採れたて本!【デビュー#05】

採れたて本!【デビュー】

『このミステリーがすごい!』大賞落選作から選ばれる「隠し玉」として、またまたユニークなデビュー作が誕生した。題名から予想がつく通り、一種の誘拐ミステリーだが、その中身は予想外。なにしろ問題の〝身代金〟3億円は、まだ誰も誘拐されないうちに主人公の家に突然届けられるのである。なんだそりゃ。

 もう少しくわしく説明すると、題名の〝坊っちゃん〟は、18歳の中国人留学生。来日して4カ月、日本語学校に通っているものの、ぜんぜん勉強する気がない。父親が大金持ちなので、クラブで200万円なくしても、「悲しいです。でも、仕方ない」と言うだけ。父親は、息子の住まいと不動産投資用にマンションを3戸購入する予定で、坊っちゃんの銀行口座には3億円ほど入っているらしい。

 主人公の夕香子は、坊っちゃんが通う日本語学校の非常勤教師、30歳。同い年の大原啓治(やはり非正規労働者)と同棲中だが、二人とも年収は200万円にも届かない。坊っちゃんの金満ぶりは別世界だが、二人はたまたま彼の銀行預金を動かす手段を手に入れ、少額なら気づかれないだろうと、啓治や友人や後輩の口座に総額およそ30万円を送金する。

 だが、その二日後、二人の家に巨大な段ボールが届く。中身は現金3億円。誰がなんのためにこんなものを? すると、当の坊っちゃんから LINE が着信。

『そのお金は全部返してください。返さなかったらヤバイですよ』

 重量30キロにおよぶ一万円札を抱えて右往左往する、二人にとって〝最悪の夏休み〟が始まった……。

 というわけで、この3億円が〝坊っちゃんの身代金〟らしいが、金の出所も脅迫主も当の〝坊っちゃん〟。しかもこの時点ではまだ誰も誘拐されていない。この謎展開はいったいどこに行き着くのか?

 小説のポイントは経済格差。日本がどんどん貧しくなる一方、中国では富裕層が急拡大。日本語教室における先生と生徒の貧富の差をドタバタ〝誘拐〟劇に仕立てる発想と、なんともユルい語りがすばらしい。日本人チームの貧乏臭さ(毎度タクシー代を誰が払うか議論になったり、ひとりだけ正規雇用の後輩がやたら〝正社員〟風を吹かせたり)に比べて、中国人坊っちゃんの鷹揚な金持ちっぷりが際立つ。見たこともない大金に最初は目の色を変えていた夕香子たちが、3億円の物理的精神的重圧にだんだんうんざりしてくるあたりもおかしい。

 著者の本江ユキは、1967年、青森県生まれ。日本大学大学院修士課程修了。デザイナーを経て、現在は日本語教師をしているという。なるほど。

坊っちゃんの身代金

『坊っちゃんの身代金』
本江ユキ
宝島社文庫

〈「STORY BOX」2022年11月号掲載〉

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