採れたて本!【歴史・時代小説#08】
『底惚れ』で第十七回中央公論文芸賞と第三十五回柴田錬三郎賞を受賞した青山文平の新作は、農村を廻り物之本(学術書)を売る私を主人公にしている。
本を売るだけでなく出版も手掛けたい私は、隣藩の同業者が本を出したことに焦って騙され借金を抱えてしまった。行商の途中で私は、得意客の惣兵衛が、十七歳の遊女を身請けしたとの話を聞く。表題作では、惣兵衛から妻に何か本を見せて欲しいと頼まれた私が、買い手が決まっている絵画の教本『芥子園画伝』を出したところ、二冊が盗まれてしまう。
動機にこだわった『半席』でミステリ好きからも高く評価された著者だけに、本作も秀逸な動機を作っている。犯人をかばう人物の特異な心理を通して、価値観の異なる人とどのように共存すべきかを問い掛けたところも鮮やかだった。
『伊勢物語』の一編「芥川」の見立てともいえる「鬼に喰われた女」は、ミステリと幻想小説が見事に融合している。
私は城下の店で、国学を学ぶ常連から、東隣の藩に人魚の肉を食べ不老不死になった八百比丘尼の伝説があるものの誰も詳細を語らないと聞かされた。隣藩へ向かう山中で霧の中から現れた怪しい女と出会った私は、杉瀬村の名主・藤助に、八百比丘尼の話を聞く。隣藩は取り潰されたが、前藩主が善政を行っていたため元藩士を雇う名主も多かった。堂上派の歌人でもあった杉瀬(仮名)も名主に雇われた一人で、新風の和歌が得意な名主の娘と恋仲になるも、和歌が縁で家老の娘との縁談が決まったという。
捨てられた娘は杉瀬に復讐するが、周到な計画が恐ろしくもあり、私の経験した怪異と結びつくので美しくもある。
江戸時代の農村は貧しかったとの印象も強いが、著者は、経営能力がある名主は商品作物の栽培を進めて村を豊かにし、本を集めるなど文化活動にも力を入れていた史実を掘り起こしている。国学に傾倒する藤助は、天皇中心の社会があってもいいと考えているが、この流れが、幕末に尊王攘夷運動に走る豪農の渋沢栄一らを生んだともいえるのである。
最終話「初めての開板」は、城下で開業する医師の西島晴順が、昔は自信がなさそうだったのに名医へと変貌し、手に余る患者には師匠でもないのにある村に住む佐野淇一を紹介する謎が描かれる。
私を頼る人たちは、本を読むことで自分の仕事を深め、今まで知らなかった世界に触れてもいる。だが近年は、内容が精査された本ではなく、玉石混淆ながら手軽なネットから情報を得る人が増えている。物之本を売る私の物語は、こうした風潮への批判になっているのである。
『本売る日々』
青山文平
文藝春秋
〈「STORY BOX」2023年5月号掲載〉