採れたて本!【歴史・時代小説#05】

採れたて本!【歴史・時代小説】

 梶よう子の新作は、明治時代に教育家、翻訳家、作家として活躍した若松賤子の生涯を追った歴史小説である。

 幕末に京都守護職に任じられた会津藩主・松平容保に従った藩士・松川勝次郎の長女として京で生まれたカシは、鳥羽伏見の戦いで京を追われ、会津城の落城も経験した。早くに母を亡くしたカシは、数え八つで横浜の生糸商の番頭・大川甚兵衛の養女になる。だが養父の勤務先が傾き転職先を探すようになると、カシは実父に宣教師のキダーと夫のローセイが開いた女学校フェリス・セミナリー(現在のフェリス女学院)の寄宿舎に入れられた。カシは同室の山内季子と親しくなるが、そこに美人でお嬢さまの坂上美和が割って入る構図は、古き良き少女小説を思わせるテイストがある。

 洗礼を受けたカシは、宣教と教育のため来日したキダーの志を受け継ぐため、遅れている日本の女子教育に力を入れたいと考え始める。高等科の第一回卒業生になったカシは、母校の教師になった。

 やがてカシは、フェリス・セミナリーの生徒の兄で海軍将校の世良田亮と婚約する。だが結婚後も仕事を続けたいカシと、職業婦人は否定しないが自分の妻には家庭を守って欲しい亮の溝は埋まらず、カシから婚約解消を申し出る。こうした結婚後の家庭観の齟齬は現代でも起こり得るだけに、悩めるカシに共感する女性は少なくないのではないだろうか。

 故郷の会津若松と神のしもべを意味する賤子を組み合わせた若松賤子などのペンネームで女性の地位向上を目指す啓蒙雑誌『女学雑誌』に投稿していたカシは、編集長で明治女学校の教頭(後に校長)でもある巌本善治と出会う。カシと善治は意見を戦わせることもあったが、互いを尊敬できる相手と認め結婚する。

 結婚後も教師と文筆活動を続けるカシは、女性の権利や新しい生き方を描いた海外の名作文学を誰もが読める易しい文章で紹介することを思い付き、刊行されたばかりのバーネットの “Little Lord Fauntleroy” を『小公子』のタイトルで翻訳し、創作にも力を入れ始める。

 カシが翻訳家、作家として活動したのは、欧化政策が一段落し日本の伝統に回帰すべきという復古主義が台頭し、女子教育も逆風にさらされた時期である。カシは江戸を知る老人ではなく、明治の新教育を受けた世代まで女子の権利を認めないと嘆くが、こうした現状は今も変わっていない。逆境の中にあっても、誰もが等しく教育を受け、未来を切り開けるようにしたいと考えたカシの戦いは、教育格差とジェンダーギャップを埋めるには何が必要かを教えてくれるのである。

空を駆ける

『空を駆ける』
梶よう子
集英社

〈「STORY BOX」2022年10月号掲載〉

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