監督・編集=石川慶|脚本=向井康介|音楽=Cicada|出演=妻夫木聡/安藤サクラ/窪田正孝/清野菜名/眞島秀和/小籔千豊/坂元愛登/山口美也子/きたろう/カトウシンスケ/河合優実/でんでん/仲野太賀/真木よう子/柄本明|配給=松竹
11月18日(金)より全国ロードショー
映画オフィシャルサイト
芥川賞作家・平野啓一郎が2018年に刊行した長編小説を、劇場デビュー作『愚行録』で注目を集めた石川慶監督が映画化。別人としての人生を歩もうとしたひとりの男の謎めいた生涯を、社会派ミステリーとして描いている。
弁護士の城戸(妻夫木聡)は、奇妙な仕事を引き受けた。宮崎で暮らすシングルマザーの里枝(安藤サクラ)は、夫・大祐(窪田正孝)を事故で亡くしていたが、大祐という名前とその経歴は偽りのものだったことが死後に判明。里枝に代わって、城戸が身元調査をすることになる。
大祐の実家は群馬にある大きな温泉旅館だったが、里枝の夫とは無関係だった。本物の大祐(仲野太賀)の消息もつかめない。調査に行き詰まった城戸は、ある絵画展に出向いたところ、意外な手掛かりを見つける。
デビュー当初は純文学のイメージが強かった平野だが、近年はSF、ミステリー、メロドラマなど多彩なジャンルのスタイルを使って、複雑化した現代社会を見つめる小説を発表している。なかでもNHKで今年ドラマ化された『空白を満たしなさい』や本作には、「分人主義」がテーマとして盛り込まれている。
平野が提唱する「分人主義」とは、ひとりの人間の中には多面的な顔(分人)があり、その人の置かれた状況によって異なる顔を見せるのが自然ではないか、という考え方だ。本作の〝ある男〟は本名や戸籍を捨ててまで、別人として生きようとした。壮絶な過去を持つ〝ある男〟は、世間の偏見や不寛容さによって追い詰められ、偽りの人生を選択せざるをえなかった。
異なる人生を不器用に渡り歩く〝ある男〟を窪田がストイックに演じ、死後もずっと影のように存在感を漂わせる。『愚行録』に続いての石川監督作となる妻夫木は、奇妙な物語の語り部に徹した。安藤演じる里枝は、アイデンティティーの定まらない不安定な世界の中で、唯一信じられる命綱のような存在だ。里枝や子どもたちと一緒に過ごすときだけ、〝ある男〟は幸せそうな顔を見せる。
ルネ・マグリットの名画「複製禁止」が映画の冒頭と終わりに映し出され、観ている我々もこの物語に取り込まれていくような感覚を覚える。
原作はコレ☟

『ある男』
平野啓一郎/著
文春文庫
(文/長野辰次)
〈「STORY BOX」2022年11月号掲載〉
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