ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第3回

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第3回

メロスだって、邪知暴虐の王がいなければ走らなかったのだ。

 


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

「よろしく」と言うのはもちろん私の本を買って燃やすことだ。だからと言って本屋には行くな、ポチれ。書店に行ったところで私の本は高確率でない。

ここ数年、こういった文章の仕事が増えてきているが、漫画の新連載の準備もしているし、新しい話もいくつかある。
しかし漫画というのは「新しい話」が話のまま頓挫することがままある。

創作界隈では、文章は漫画の下に見られることが多い、何故なら「文章なら誰でも書ける」と思っている人がいるからだ。
確かに漫画の場合、同じ道具を使っても、使用者によって出来上がる物のクオリティの差は一目瞭然である。
私と田亀源五郎先生は同じソフトを使っている、と言えばわかっていただけるだろうか。
わかっていただけたなら、わかっていただけないようにするのが目標である。

その点、文章の場合、同じソフトを使えば同じように文字が打ち出される。使い手によって「ツ」と「シ」の打ち分けが出来なくなる、などということはない。
よって「誰でも書ける」と思う人間がいるのだ。

同人界でも、漫画サークルより小説サークルは下に見られがちだと言う、一瞥して「何だ小説か」と言われたり、小説サークルはスペースを取らないで欲しいなどと言う者もいるようだ。

しかし同人誌、もっと端的に言うとDB(ドスケベブック)を買う側から言うと、漫画のDBは、それはもう素晴らしい。一目でエロい、一瞬で抜ける、非常にわかりやすいエンターテインメントだ。
しかし、小説のDBは物にもよるが、まずエロまでの導入がそこそこ長い、しかしこの期間が「高まる」のだ。
AVのインタビューやストーリー部分は早送りする私だが小説DBの冒頭だけは読む、ここを飛ばすと「トロ」の部分が美味く感じられないからだ。
そして絵がない分、脳内で自分の好きな絵を当てることが出来る。漫画のDBはすでに絵が提示されているので、こちらでトッピングのしようがない。

そして当然だが小説の方が読むのに時間がかかる。
つまり、オカズとして漫画の方が、ハンバーグやカレーのようなわかりやすい美味さがあるが、小説の方は噛めば噛むほど味が出る珍味でありアレンジが自由、さらに賞味期限が長い。

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カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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