◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第2回 後編
丸屋は、錦絵の仕事から離れ、蕭亭春重(しょうていはるしげ)と号して、肉筆の美人画を描き始めた。肉筆ならば、版元に縛られた版下職人の一人ではなく、独立した絵師として自らの力量を示すことができる。また、南蘋(なんぴん)派の漢画師、宋紫石(そうしせき)に師事して江漢(こうかん)の号で漢画も描いた。ただし、木版画の錦絵とは異なり、肉筆画は一枚限りのものでしかなく、それだけで暮らしを立てることはほとんど無名の絵師にとってかなり難しいものだった。
加瀬屋伝次郎が丸屋と出会ったのも、勝三郎が錦絵の世界から離れ肉筆画に打ち込んでいた安永四年(一七七五)のことだった。
新銭座町(しんせんざちょう)の髪結い床の主、藤太郎(とうたろう)が伝次郎を訪ねてきた。新銭座町は町名が示す通り、かつては銭の鋳造場があった所である。
髪結い床の主人は、稼業ゆえに貴賤にかかわらず多くの客とつながりを持ち、縁談はもとより奉公や職の周旋から公事(くじ)訴訟などの面倒までを見たりもした。公事師を兼ねて白州(しらす)に出入りする者もあったぐらいで、藤太郎も訴状を書けるだけの素養があり、家業を放り出しても他人の面倒を見る好人物だった。
藤太郎はひどく恐縮し、紙筒の内から横一尺、縦三尺ほどの墨で竹が描かれた紙を差し出した。竹が一本、左下から幹を弓状に走らせ、左上へと伸びていた。その右側に葉をつけた細い竹枝が同じく弓なりに描かれていた。幹の左側からも裏を通るように葉をつけた竹枝が下部にのぞき、手前の竹葉は濃く、左から後方に現われた竹葉は薄く描いて、奥行きを示していた。変に筆を加えず、一筆で走るままに描いた竹は、力に満ち勢いがあった。画の右上端に「江漢写(うつす)」と墨書し、「司馬峻(しばしゅん)印」と「君岳(くんがく)」の朱印二つが捺してあった。
伝次郎が朱の印を指して「このお人は」ときいた。
「わたしどもの近くに住んでおります勝三郎と申します者で、それが描きましたものです」
「ほう。で、いかほど」
「はい。それが、……金で五両などと申します。いくら何でもそんなに出すお人はこの世にいないとわたしもきつく言ったのですが、見る目を持った人に見せればわかるなどとうそぶきまして」 藤太郎は自分で値を言いながら、あきれたように笑いを浮かべた。
「いや、なかなかにいい画ですよ。意のままに一気に筆を走らせてます。わかりました。その値でいただきましょう」
「……旦那さん。戯(ざ)れ事をおっしゃるのも、ほどほどになすってください。あの馬鹿野郎を調子づかせるだけの話です。食うにこと欠いて、人にものを頼む時だけ殊勝な顔をしますが、日頃はまあひでえもんだ。道で会っても洟(はな)もひっかけやしません。頼まれたものの、わたしは、こんなものを買う物好きはいなかったと突っ返してやろうかと思い定めて参りました次第で」
絵師の困窮を見るにみかね頼まれるままに墨絵をわざわざ売りこみに来ながら、いざ売れそうになると日頃の無礼の数々が甦(よみがえ)り、藤太郎が突然腹を立てたのが可笑(おか)しかった。
「こんなもの、軍鶏(しゃも)の足に墨を塗りたくって紙の上を歩かせ、あとは棒を引いただけのようなものでございましょう? うちの小童(こわっぱ)でも描けそうだ。せいぜい一両。いや一両でも多過ぎます」藤太郎は悪霊を振り払うかのように首を振った。
「そうたやすい話ではないと思いますよ。かなりの修練を積んだ絵師だと思います。たやすく見えるものほど、実はその技量があらわになります。なかなかの力量です」