◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第13回 前編

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第13回 前編

厳罰に処された意次の栄華に思いを馳せる伝次郎。
玄六郎らは蝦夷地探索の停止を申し渡され──

 

     四十三
 

 天明六年(一七八六)閏(うるう)十月五日、老中牧野貞長(まきのさだなが)の屋敷に、大老の井伊直幸(いいなおひで)、そして松平康福(まつだいらやすよし)以下四人の老中すべてが詰めていた。その場に呼び出されたのは、田沼意次の名代となった堀長政だった。その堀に対し、牧野から宣告が下された。

「先だって(老中の)御役御免(ごめん)あそばされ候(そう)らえども、かねて(将軍家治の)おぼし召しこれあり候(そうろう)につき、両度の御加増二万石召し上げられ、差しひかえ仰(おお)せつけられ候」

 去る八月二十七日、意次の依願により老中辞職を許可したものの、前々から将軍は意次による失政をそれだけでは済まされないと考えておられたので、所領の五万七千石のうち近年二度の加増分にあたる二万石を没収し謹慎を命じるというものだった。

 十月二十四日に故十代将軍家治(いえはる)へ「浚明院(しゅんめいいん)」の院号が贈られ、実権は次期将軍家斉(いえなり)の実父一橋治済(ひとつばしはるさだ)と御三家に握られた。将軍家治の死去が表沙汰にならなかった八月二十七日の時点では、意次の依願による老中辞職を認めていたが、それでは示しがつかないとばかりに彼らは意次による数々の失政に対し懲罰へと踏み込んだ。

 またこれに続けて、「大坂にこれある蔵屋敷も、御用これあるにつき差し上ぐべく候。もっとも、ただ今の居屋敷も家作(かさく)とも差し上ぐべく候」。大坂にある田沼の蔵屋敷ばかりか現在住み暮らしている神田橋の上屋敷も返上せよとの厳命が追加された。しかも、神田橋の上屋敷からの退去については、二日後の七日には明け渡せとの条件までが添えられた。明和四年(一七六七)に側用人(そばようにん)になって神田橋内に屋敷を与えられて以来十九年、意次が本拠となしてきた上屋敷を一両日中に引き渡せというのは重罪人に対するがごとき沙汰だった。

 同日、意次の片腕となって財政を担当してきた勘定奉行の松本伊豆守秀持(いずのかみひでもち)も罷免され、知行五百石のうち半分の二百五十石没収の宣告を受けた。そればかりか松本は、用済み部屋の小普請(こぶしん)入りを命ぜられた。勘定奉行から一転しての小普請行きは、無能の烙印を押されたも同然であった。

 

 田沼意次が厳罰に処され、いわゆる政事生命を完全に絶たれたとわかると、以後は落書を始め手を替え品を替えての田沼とそれに連なる松本らへの批判が、露骨に表されることになった。

『 見世物(みせもの)
 評判。評判。天明六丙午(ひのえうま)年、下総(しもうさ)国、印旛(いんば)沼の松本に、三井上田組の大山師(おおやまし)、人足をお先にして、二十五匁(もんめ)の金銀を不通用、玉を世界の目つぶしにして、泥の中にて生け捕りましたるこの化け物、人面獣身にして、目は七つ星のごとく、鳴き声は「キキン(飢饉)、キキン」と鳴き、口は長崎の果てまで裂け、食べものは世界をひと吞(の)みにして、春秋は火水を吹き出し、武家・町人・百姓を粉にして食らい、あまつさえ口より吹き出す水にて、世界の油の根を絶やし、この世を闇となさんと計り、しまいの果ては、やたら取りのほうへ出づ(伊豆)。主殿(とのも)なしに赤雲に乗り、運上(うんじょう)してこそ失せにけり』

 意次とその一派の松本らは、諸悪の権化にして大火やら洪水やらを引き起こし、身分も生業の区別もなくあらゆる者から金銭を奪い取り、飢饉を招いてはこの世を闇となした。その化け物どもも、ついに消え去った。

 落書は、田沼意次とその一派の退場に庶民が安堵し、その末路をあざ笑う風刺に満ちていた。

 

 読売(瓦版)までが、意次の罪状を刷り物にして公然と辻売りする有様となった。

 加瀬屋伝次郎(かせやでんじろう)が手に入れた読売も、芝神明(しばしんめい)の門前で深編笠の二人組が、政事向きの文面にもかかわらずこれまでのように闇売りとはせずに、三十文でじかに売っているものだった。ただし、いつも神明の門前市に現われる六尺(約百八十センチ)の大男と五尺そこそこの小男からなる二人組ではなかった。

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

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