滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第3話 マネー・ア・ラ・モード②
近くにいると聞こえるのはため息ばかり。
家族のなかにいろいろな問題があることがわかってきて……。
その夏、イレーネは、インターネットの出会いサイトで出会った数学者とオンライン恋愛の最中だったのだけれど、さすがセネカやキケロを生んだ土壌に生まれただけあって、イレーネは「哲学すること」が大好きで、その数学者とも哲学し合っていた。頻繁にメールを交わし合っていて、プリントアウトした数学者とのメールは、びっくりするほど分厚く、そして、イレーネは、「ここを読んでちょうだい」と言って、メールの束を見せて、あれやこれやと解釈して「ひどく傷ついて、夜な夜な泣いた」と言うのだけれど、イレーネには悪いが、どんなにイレーネの言うことに耳を傾けても、どんなに文面を読んでも、なぜ傷つくことができるのかよくわからず、何をどう言ったらいいのかわからなくて、困った。
そもそもが、相手がいくら哲学することのできる稀有(けう)な人であったって、別の国にいてまだ会ったこともないのだ、いったいどうやって「傷つけられた」と言って泣くことができるほど深い恋愛ができるのかも、よくわからなかった。いっしょにいる時間が長くなればなるほど、ますますナゾのベールに包まれていくイレーネだった。
イレーネは、自分を「フィロソフィカル(哲学的)」と呼び、わたしを「プラクティカル(現実的)」と呼ぶのだけれど、そんな分類よりも、もっと違うところでわたしたちは異なっているような気がする。なぜなら、イレーネは、ひどく哲学的である反面、しっかり形而下(けいじか)の世界にも留(とど)まっていて、お金と愛情は正比例するとも思っていたから。
美人であるからずっと貢がれてきたのだろう、男が貢いで当然と考えていたし、元彼の1人がイレーネに会うために違法駐車して1000ドルの罰金を払わされたことを教えてくれたとき、「彼は、わたしに会うために1000ドル払ったのよ! たった1時間かそこらの逢瀬(おうせ)に1000ドルも!」と感嘆符が幾つも連なるような感じで言った。普通なら、うれしくなるよりも、恐縮すると思うのだけれど、あるいは、それはわたしの取り方であって、イレーネの取り方の方が妥当であるのかもしれない。イレーネといると、自分の座標軸がぶれることが往々にしてある。
それにしても、イレーネの実家は裕福だった。お昼になると、弟たちも実家に集まってテーブルにつき、湾を一望にできるダイニングルームで優雅な昼食会が始まる。だれひとりテーブルを立たなくていい。料理人が作った料理を、メイドさんがカートにのせて運んで、そして下げてくれるからだ。
ワインが開けられ、まずは前菜の後に、スパゲティが運ばれてきた。スパゲティがメーンだと思っていたから、その後、山盛りの揚げたてのポテトフライと肉料理を運ばれてきたときは、ちょっとびっくりした。肉料理の後はサラダが、最後にフルーツとコーヒーが運ばれてきた。それはフルコースのランチだった。イレーネの一家にとっては、これが特別でも何でもない日常だということは、新鮮な驚きだった。
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