滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第5話 鳴きまね名人②
鳥の鳴きまねが上手な笑田さん。
定年後、アメリカへやってきた事情とは?
何年前のことだったか、日本から帰る飛行機の中で、年配の日本人に出会った。その人は、わたしの隣にいた台湾人の女の子のそのまた向こうの席に座っていて、台湾人の女の子に向かって、間にある空席を使うように身振りで示していた。その人は女の子よりもはるかに年配であったから、空席を使ったとしてもだれも文句は言わなかったろうに、ニコニコ笑って席を譲っているのを見て、親切な人だなあ、と思った。
何がきっかけだったのか、台湾人の女の子越しに会話が始まって、その人がある大手のメーカーを定年退職して時間とお金に余裕ができたので、ニューヨークへ英語を勉強しに行くところだということを知った。ニューヨークに着いたら、バスでマンハッタンへ向かうと言う。お金に余裕があるのだから、英語も不自由なわけだし、タクシーに乗れば楽なのに、その人はバスにチャレンジしたいのだと言った。
いつもニコニコしているから、仮に笑田(しょうだ)さんにしておこう、ひとりでアメリカに英語を勉強しに飛び込んで来る笑田さんみたいな、頑張っている人を見ると、わたしは思わず声援したくなる。英語が片言しかしゃべれないというので、不慣れなアメリカでいろいろ困ることもあるだろうから、笑田さんに「困ったことがあったら遠慮なく連絡してください」と言っておいた。すると、さっそく「困ったことが起こった」と電話がかかってきて、お手伝いをするはめになった。渡米前に近所の人からもらったおにぎりを食べて食中毒になったり、ピザを食べている最中に入れ歯が真っ二つに割れたり、足の裏が痛くなって歩けなくなったり、と、笑田さんという人は、いろんな不自由が次から次へと押し寄せてくる星の下にある人であった。
でも、いろいろな不自由はあるにはあったけど、笑田さんは、いつも元気いっぱいでニコニコ笑っていて、孫ほどの年齢の同級生たちといっしょに英語の勉強を続けた。同級生たちからも「いいおじ(い)さん」として慕われているようだった。なにしろ、笑田さんという人は、楽しくて楽しくてたまらない、という笑い方をする。だから、笑田さんの楽しいオーラがあたりに広がっていって、周りにいる人もそのオーラに包まれてなんだか楽しくなってくるのだ。
笑田さんは、ひとりでいろいろなところに足を運んでいるようだった。あるときは首都ワシントンへ電車で行って、ユニオン・ステーション前に止まっていた循環観光バスに飛び乗って1周して帰ってきた。ナショナル・ギャラリーも航空宇宙博物館も見なかった。ただ、バスの窓からワシントンの街を眺めただけだった。ボストンへ行ったときは、車中、知り合った人と駅近くのチャイナタウンでお昼をして、そのまま帰ってきた。ロングアイランド鉄道で終点まで行って、取りあえず視界に入った海まで歩いて、カモメと遊んで帰ってきたこともあった。笑田さんにとっては、ただ、行くことに意義があり、その地に足を付ければそれだけで目的を達したことになるようであった。
お手伝いを何度かするうちに、笑田さんは、フランク・シナトラさながらに「ニューヨーク・ニューヨーク」を歌えるカラオケ名人であることと、鳥の鳴き声をまねできる鳴きまね名人であることを知った。笑田さんの日本の家は郊外にあって、ウグイスやメジロやシジュウカラやキジバトなど、いろんな鳥がやって来る。メジロは、つがいで餌付けしていたということだ。メジロたちは、日中は外へ散歩に出かけているが、夜になると笑田さんが軒下にぶら下げた鳥カゴにちゃんと戻ってきて休む。そうやってメジロを間近に見ているうちに、笑田さんはメジロの鳴き声からその心理状態まで把握できるようになった。おかげで、笑田さんは、メジロがリラックスしているときや警戒しているときの鳴き声もまねできる。すごくうまい。これは、もう、稀有(けう)な特技の一つだと思う。