芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第54回】お笑いと純文学は似ている

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第54回目は、又吉直樹『火花』について。お笑い芸人初の芥川賞受賞作を解説します。

【今回の作品】
又吉直樹火花』 お笑い芸人初の芥川賞受賞作

お笑い芸人初の芥川賞受賞作、又吉直樹『火花』について

ぼくは夜中に仕事をします。寂しいのでテレビをつけっぱなしにしています。ピースというお笑いコンビの存在も、夜中の「ハッピーMusic」という音楽番組で知りました。綾部くんとベッキーが主にしゃべっていて、又吉くんは二人のうしろでうろうろしているだけ、というような場面が多かったですね。テンポの早い二人の会話に、又吉くんはまったくついていけず、黙っている方がじゃまにならないといった感じでした。最初は、なぜ又吉くんがそこにいるのか不可解だったのですが、そのうち綾部くんと又吉くんがコンビだということがわかりました。

その時の印象は、このコンビはすぐに解散して、綾部くんはピンのタレントとして生き残るけれども、又吉くんは芸能界から消えていくだろうな、といった感じだったのですが、その後、NHK教育テレビ(Eテレ)で、レギュラーの又吉くんがゲストの経済評論家から話を聞く「オイコノミア」という番組が始まり、又吉くんが単独で活躍しているのを見て驚きました。そこでも又吉くんは、けっしてトークが上手というわけではないのですが、聞き手としては有能で、ゲストの先生の説明にボケながらポイントを引き出す対応に知性が感じられました。

そのうち又吉くんはエッセーや俳句で活躍するようになりました。そして今回の芥川賞です。ぼくは『文學界』に作品が掲載された時に読んで、これはまちがいなく芥川賞だと確信しました。ただし候補者のリストが発表されてみると、前衛的な作風で売り出し中の新鋭から、ベストセラーを連発している流行作家までがノミネートされていて、いくぶん心配になったのですが、無事に受賞と決まりました。候補になった段階でも大きな話題になっていましたが、受賞が決まって、又吉くんはもはや大スターですし、純文学も息を吹き返した感じがします。

冒頭から「純文学」の雰囲気がある

さて、その受賞作なのですが、熱海の花火大会の道路に面した仮設の舞台で前座をつとめた駆け出しの芸人が、そのあとで出演した先輩芸人と出会うところから話が始まります。花火を見に来た観光客ばかりでトークがまったくウケず、一緒にやけ酒を呑んだようなものなのですが、そこで「お笑いとは何か」といった議論が始まるところが、すでに「純文学」の雰囲気を発散させています。

昔の作家も、作家志望の若者も、理屈っぽい議論が好きでした。文壇バーみたいなところでも、文学論が熱心に交わされていましたし、文学部の学生たちも同人誌を作って文学論を書き、喫茶店で論争をしたものです。最近の若者は議論をあまりしないようです。文壇バーもなくなりましたし、若者たちが喫茶店で論争するということもなくなりました。ところが小説の中では、主人公と先輩芸人が、吉祥寺あたりの安酒場で、延々と「お笑いとは何か」という議論を続けるのですね。これはまるで、昔の若者たちが「文学とは何か」と議論していたのを、パロディーにしたような感じで、この作家は文学を深く読み込んでいるなと感じさせます。

そこで交わされる「お笑い論」が秀逸です。まじめに議論しているようなのですが、何しろテーマがお笑いですから、ギャグが出てきて笑わせてくれます。しかし理屈っぽい議論が続くと、しだいに笑えなくなり、少し哀しくなったりもします。本当の天才作家なら、「文学とは何か」などといったことは考えずに、書きたいものを書くだけでそれが評判になるのでしょうし、売れているお笑いタレントも、何も考えずに、おもしろいギャグを連発しているのでしょう。「お笑いとは何か」などと考え込んでしまうと、ギャグが出なくなります。理屈っぽい笑いは大衆にはウケません。考えれば考えるほど深みにはまってしまって、まったくウケなくなってしまう。

そういうわけで、主人公が師匠と慕っている先輩芸人は、まったく売れずに、没落していくことになります。一方、迷いながら芸を披露している主人公の方は、少し売れるようになります。そのあたりの感じは、又吉くん自身の体験が、そのまま反映されているようで、そうなるとこの先輩芸人にもモデルがいるのかなという気もします。

歴代最上級の芥川賞受賞作

作者が芸人で、主人公も芸人ですから、私小説と見ることもできるでしょう。日本には私小説という伝統があります。自分の文学こそが本物の文学だと信じて売れない小説ばかり書いている作家の苦悩と貧困を、リアルに描いたものが私小説ですが、この作品に登場する先輩芸人も、自分のお笑いこそが本物のお笑いだと信じて、売れないギャグを連発し、泥沼にはまりこんでしまっています。その先輩芸人を師匠と仰ぐ主人公も、理屈っぽいギャグしか出せず、少しはテレビに出るようになっても、人気は上がりません。そのあたりもまさに又吉くんそのものという感じがします。

どこまでが私小説で、どこからがフィクションなのか、よくわからないほどに巧妙に仕組まれたフィクションなのでしょうね。すごい作家だと思います。そして、久々にすごい作品に出会ったと思いました。歴代の芥川賞受賞作の中でも、最上級の作品ではないでしょうか。と書いてしまうと、ぼく自身の作品よりも上なのかな、と思ってしまいますが、それくらいにすごい作品だということはまちがいないでしょう。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/10/25)

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