又吉直樹『劇場』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第99回】暗さとしなやかさの奇蹟的融合

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第99回目は、又吉直樹『劇場』について。苦悩する若者の恋愛を描いた作品を解説します。

【今回の作品】
又吉直樹劇場』 苦悩する若者の恋愛を描く

苦悩する若者の恋愛を描いた、又吉直樹『劇場』について

2015年に芥川賞を受賞した又吉直樹さんが、第2作を発表しました。お笑い芸人が小説を書くというと、世の中の人々は疑いの目で見たりしますが、本来、作家の資質をもっていた人が、何かの間違いでお笑い芸人をやっていたと考えれば、第2作を書くのは当然のことです。そして改めて考えてみると、テレビに芸人として出演していたかつての又吉さんの姿は、確かに、何かの間違いでテレビに出ていた人、という感じがしますね。小説家になった又吉さんは、いきいきとしています。

と、ここまで書いたところで、「作家の資質」って何だろう、と考えてみました。皆さんはふだん、どういう生活をしているのでしょうか。学生の人もいるし、働いている人もいるでしょう。学校にしろ職場にしろ、そこには「場」というものがあります。どのような「場」にいても、何となく場違いな感じになってしまう人……それが作家としての資質ではないかと、ぼくは思っています。単なるお笑い芸人だった又吉さんは、まさにそういう、場違いな感じの芸人だったのですね。

芥川賞を受賞した『火花』という作品は、まさに「場違いなお笑い芸人」の物語でした。必要以上に考え込んで、「お笑いとは何か」ということに真剣に悩んでいる芸人。そんなところから、本物の笑いが出てくるわけはありません。テレビの画面の中に自然に融け込み、すべてがアドリブみたいな感じでギャグが出てくる。そんな感じでないと、テレビではウケないのです。考えぬかれた笑いなんて、笑えないですよね。あの作品は、そういう考えすぎの芸人の悲劇を描いたものでした。

感覚がズレた主人公の奇妙さと愛らしさ

さて、今回の作品の主人公は、劇作家です。それもほとんど素人演劇のような、小劇場での公演しかしない小さな劇団を率いる劇作家のタマゴみたいな若者です。冒頭、あてもなく街をさまよっていた主人公が、偶然にある女性と出会う場面があり、いきなり読者は異様な感覚の世界に引きずり込まれます。この主人公、犯罪者ではないし、暴力的なところもないのですが、何かおかしい……、どこにいても場違いな感じのする、奇妙な人物なのです。

外見はおそらく、どこにでもいるようなふつうの人物なのでしょうが、感覚が、少しズレている。その微妙なズレが、長く持続していて、その執念深いほどのズレた感じが、しだいにビョーキ的なムードを発散します。そんな主人公を見捨てることができず、時におもしろがる女の方も、やや異様というべきでしょう。このように運命的な出会いをしたカップルが、ずぶずぶと泥沼に沈み込んでいく……。そんな話です。はっきり言って、おもしろく楽しい話ではありません。

でも、どこかとぼけたユーモアがあります。冒頭、二人でバーに入って、棚に並んでいる酒のボトルを眺めながら、このボトルが殺し屋だったら、誰が一番強そうか、といったことを考えるシーン。ふつう、そんなこと考えないですよね。「山﨑」が強そうだ、ということになるのですが、確かに、ジョニーウォーカーとか、ジャックダニエルよりは、「山﨑」の方が強そうです。とはいえ、そんなこと考えても、何の意味もないということは明らかです。

そういう、何の意味もないことを、むきになって考えるという点では、『火花』のキャラクターの特徴が、まだ持続しているという感じがするのですが、この主人公は、お笑いを目指しているわけではないので、考えていることがもっと暗いのですね。でも、この暗い男の奇妙さと、その底に秘められた愛らしさに反応して、主人公に寄り添っている女が、何ともいえず悲しくて、胸が痛くなります。ものすごくいびつな、純愛ロマン。そんな感じがします。暗いのだけれど、しなやかです。キャッチコピー的にいえば、暗さとしなやかさの奇蹟的な融合、といった作品になっています。

深くておもしろい純文学の傑作

ただし、この作品は、前作と比べれば、読者を選びます。文学の深さと、意外な愉しさに、わくわくするような感じで読み進める人の割合が、『火花』よりは少ないかなと思います。『火花』はテーマがお笑いでしたから、誰でもある程度は楽しめる作品になっていました。主人公に共感できなくても、業界の裏話としては、興味のある話がいろいろとあったからです。でも今回は、前衛演劇、といった場所で話が展開するので、ついていけない読者がいるかもしれません。

こちらの方が文学的です。これを「純文学」というには、まだポップな感じがあって、これもベストセラーになるだろうとは思いますが、読んでもおもしろくなかったという人が出てくるでしょう。それが文学です。文学を愉しむためにも、「資質」が必要なのかもしれません。でも、太宰治が好きだという人なら、わくわく感をもって愉しめるでしょう。それにしても、第2作にして、こんなすごい文学を書いてしまうのですから、又吉直樹というのは、本物の大作家といっていいでしょう。これを読まずして文学は語れない、というくらいの名作になっていると思います。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/10/08)

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