瀧澤美恵子『ネコババのいる町で』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第91回】悲劇を明るく描く
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第91回目は、瀧澤美恵子『ネコババのいる町で』について。失語症の帰国子女を取り巻く人間模様を描いた作品を解説します。
【今回の作品】
瀧澤美恵子『ネコババのいる町で』 失語症の帰国子女を取り巻く人間模様
失語症の帰国子女を取り巻く人間模様を描いた、瀧澤美恵子『ネコババのいる町で』について
いきなりプライベートな話になるのですが、ぼくの長男はスペインに住んでいて娘が3人います。そのうちの次女が、去年の夏、ひとりで東京に来ました。日本語を修得するために祖父母(ぼくと妻)のところに一ヵ月預けるということのようです。
しようがないので妻と羽田まで迎えに行きました。スペインでは父親(ぼくの長男)は娘に対して日本語で話しかけているらしいのですが、娘はそれに対してスペイン語で応えるのですね。母親はスペイン人ですし周囲はすべてスペイン語の世界ですから、娘たちは日本語をしゃべる機会がないのです。これではいけないということで、祖父母のところに派遣されたのです。
小学校6年の女の子ですが、ハーフですから、とても可愛い。それはいいのですが、お人形さんみたいで、言葉を話しません。当初は困惑しました。こちらの言う日本語はある程度わかるようなのですが、最初の3日間、まったく口を利きませんでした。3日目に、突然、3つの言葉が出てきました。「いや!」「どうして?」「ちょっと待って!」すべて否定の言葉ですね。片づけをしなさいとか、野菜を食べなさいとか、そういう命令を受けた時の否定の意思表示を、必要に迫られて発するようになったのです。
4日目からは、ぺらぺらと日本語を話すようになりました。頭の中では日本語が理解できているのだけれども、自分では話せない。それが、一つのきっかけによって、自由に話せるようになるということがあるのですね。
悲劇を“ちょっとヘンな話”として描く
今回の作品は、英語圏で育った小さな女の子が、祖母と叔母の家に預けられる話です。母親は妊娠したままアメリカに行き、そこでアメリカ人と結婚します。で、生まれた娘がじゃまになって、祖母に預けたということですね。女の子は5歳くらいまでまったくしゃべりません。
隣に「ネコババ」と呼ばれている祖母の友だちがいます。野良猫を可愛がるのでそう呼ばれているのですが、女の子は昼間は隣に遊びにいって、「ネコバン」と呼ばれる留守番のアルバイト女子といっしょに猫の相手をしています。
しゃべれないけど、機嫌よく遊んでいるのですが、ある時、野良猫の仔猫が敷地内で死んでいます。それで「猫が死んでいる」と「ネコバン」の女子に告げるのですが、「ネコバン」は突然のことなので女の子がしゃべったということに気づかずに、ふつうに会話を続けて、かなり時間が経ってから、「あんた、しゃべれるじゃないの」ということになります。
まあ、こういった話がずっと続いていく小説です。これ、気の毒な境遇の女の子の話なので、お涙頂戴といった感じのセンチメンタルな物語として描くことも可能な設定なのですが、作者は感傷的にならないように筆を抑制するというか、もともととぼけた筆致で書くのが得意な人かもしれませんが、舞台背景となっている昔の大森新地(待合、料亭、芸者の置屋などがあるゾーンです)の風物をまじえながら、のんびりとした感じで話が進んでいきます。
待合を廃業した祖母、男友だちはいるけれどなかなか結婚できない叔母、それからネコババとネコバン、といった登場人物と女の子の交流が、淡々と描かれます。女の子はネコババの甥と結婚し、子供も生まれるのですが、そのあたりのこともドラマチックな感じではなく、さらっと書かれています。
この文体が、なかなかいいのですね。書き手が深刻ぶったり、大げさに悲劇性を強調すると、読者が引いてしまうことがあるのですが、逆に淡々と描くことで、読者は思わず身を乗り出していくということがあります。ただ鈍感な読者の場合は、まったく盛り上がりのないつまらない作品だと感じてしまうでしょうが、純文学では過剰にセンチメンタルな作品は嫌われる傾向があります。言葉が通じない世界に放り出された子供というのは、充分に悲劇的な状況なのですが、それを悲劇ではなく、ちょっとヘンな話、といった感じで書ききったところが、この作品の不思議な味わいを生み出しているといっていいでしょう。
登場人物たちの独特のキャラクター
ただオープニングで、祖母が亡くなり、間を置かずに叔母が亡くなり、天涯孤独になったヒロインの戸惑いが描かれるのですが、これも何かヘンといった出だしですね。ヒロインにはすでに夫がいて、子供もいて、それからアメリカには母親がいて、名古屋には一度だけ会ったことのある実の父親もいるのです。でも、祖母と叔母がいなくなると、足もとの大地が消え失せたような喪失感を感じてしまう。その理由を淡々と綴ったのがこの作品で、最後まで読むと、確かにそうだと読者も感じるようになります。
祖母と、結婚できないでいる若い叔母のいるところに、いきなり言葉が話せない女の子が転がり込む。悲劇にもドタバタ喜劇にもなりそうな状況なのに、この祖母と叔母(隣のネコバハも)が、意外に淡々としている。そうした女性たちのキャラクターが実によく描けているのですね。
作者の経歴を見ると、私小説といったものではないようです。ちょっと小耳に挟んだような話なのか、まったくの虚構なのかわかりませんが、これだけリアリティーをもって書けるのはなかなかのものです。カルチャーセンターというものが普及して、小説創作の講座で学んだ中年の女性が、時々すごいものを書く。そんな時代の象徴的な作品といえるかもしれません。
初出:P+D MAGAZINE(2020/06/11)