ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第九回 山谷と吉原

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷には、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
昭和30年代、ヤマ王ら地元有力者たちは、山谷に出没する売春婦を追い出すため、浄化作戦を展開した。同時期には売春防止法が施行され、山谷と隣り合う吉原遊郭は廃業に追い込まれ、街から灯が消えた。

 

謎のおでん屋

 

 私の手元にあるそのビラのコピーには、楷書体で次のように書かれている。

 売春婦の皆さんへ
貴女方も充分御承知のように 
売春に関する法律は昭和三十二年
四月一日から一部施行せられて居り、
三十三年四月一日からは全面的に行わ
れるようになります。その時からは
絶対に商売は出来なくなります
今の中から正しく生きる道へ進みま
しょう。貴女方の新しく活きる道
については次の方々が心から相談に
応じますから一日も早く御相談下さい
            旅館主人
            福祉事務所
            職業安定所
            民生委員
            婦人相談員
            司法保護司
   (改行と句点の有無は原文ママ)

 ビラの端には「200」という数字が鉛筆で書かれている。昭和30年代の山谷には簡易宿泊施設が200軒強建ち並んでいた当時を考えると、その数字は、各宿泊施設に配布する枚数と考えられる。このビラの原本は、今から15年ほど前、「ヤマ王」こと()(やま)(じん)()(すけ)の息子、哲男さん(68)が見つけたものだ。経営している簡易宿泊施設の改築工事が行われた際、屋根裏から出てきたという。哲男さんが回想する。
「山谷から売春婦と愚連隊を追い出すため、父を中心とする町の有力者たちと浅草警察が組んで浄化作戦を展開していました。その時に警告を発したビラです。私が子供の頃は、おでんを売る屋台が至る所にあり、そこに売春婦が現れたと聞いています」
 哲男さんが見せてくれた一枚のモノクロ写真に、そのおでん屋とみられる屋台が偶然にも写っていた。背広姿の仁之助たち3人が談笑しながら歩いている側に、木製の荷車が駐まっている。屋根部分には、「おでん」と書かれた札が吊されている。
「表向きはおでん屋なんですが、そこで客と売春婦が落ち合うのです。親戚が普通のおでん屋だと勘違いして買いにいったところ、値段が10倍ぐらいしたと言っていましたね」
 
ヤマ王とドヤ王 第9回 写真1おでんを売る屋台の側を談笑しながら歩く仁之助(一番右)=帰山哲男さん提供
 
 当時山谷で食道を経営していた男性たちからも、こんな話を聞いたことがある。
「夜になると食堂の前に娼婦が現れて客引きをやっていました。彼女たちから私は『あんちゃん』と呼ばれていました。店の電気がついていると自分たちの仕事がやりにくいと、電気を消すようによく言われましたね。当時はおでん屋がたくさん並び、深夜になると娼婦たちのたまり場になっていました」
「おでん屋は旧都電通り(現吉野通り)、特に泪橋周辺にずらーっと並んでいました。夕方から営業を開始し、深夜12時ごろまでやっていましたね」
 この謎のおでん屋については、読売新聞(昭和37年8月23日)が「はびこる暴力オデン屋 タマゴ一個が二百円」という見出しで報じている。

 ある会社員はビール一本とオデン数個をとっただけで千三百円といわれた。当然「高いなあ」とこぼしたいところ、しかし日焼けした売り子の腕にウス青く“男一代”と彫られたのを見てひき下がった。タマゴ一個が二百円したり、ハンペンの切れはしが五十円以上もしては想像以上。だまし打ちにあったような気がしてたまらず……

 記事によると、屋台には売春婦が出没し、売り子の親方は暴力団とつながりがあったらしい。売春婦の中には、簡易宿泊施設を利用している者もいたとして、仁之助を中心とした簡易旅館組合の幹部たちは、売春婦に品行方正を促すビラを作成し、明るい街に向けた浄化作戦に乗り出した。
 今の山谷を歩いてみると、中国人女性が経営するスナックが数店、賑わいを見せてはいるが、売春婦が「立ちん坊」をしていた当時の姿は想像できないほどに夜は人気もなく、閑散としている。そもそも日雇い労働者の街、山谷に売春婦が出没し始めたのは、いつ頃だったのだろうか。山谷に関する古書を調べまくると、戦前にあった木賃宿にはすでに、売春婦が存在していたという記述が見つかった。
 

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