ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十一回 漂流する風俗嬢

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
コロナ禍による影響から生活保護の申請件数が急増している昨今、著者の取材に二つ返事で応じてくれた山谷の宿泊者には珍しい21歳の女性。彼女が語った壮絶な過去とは……?

 

夜中に怒鳴り合い、警察沙汰に

 
 新型コロナウイルスによる感染拡大の影響で、カンガルーホテルが生活保護受給者を受け入れ始めた4月上旬以降、私は、刻々と変わっていくホテルの状況を取材するため、頻繁に訪れていた。
 ゴールデンウィークが明けたある晩のこと。
 午後7時過ぎにフロントに到着すると、経営者の小菅文雄さん(54)と妻が、中で何やら深刻そうな表情で話し込んでいた。私に気づいた小菅さんがフロントから出てくると、開口一番こう尋ねてきた。
「表にボーダーシャツの人いませんでしたか?」
 確かに正面入口から少し離れた路上に、男性の人影が見えていた。外に出て再確認すると、ボーダーの入った白いシャツに野球帽をかぶり、マスクをした中年男性が、暗がりで携帯電話を操作していた。再びホテルに入ると、小菅さんが言った。
「こないだホテルを追い出した人なんですよ。生活保護受給者です。うちのWi-Fiパスワードを知っているから、インターネットの接続のために来たんだと思います」
 カンガルーホテルを何らかの事情で追い出されたこの男性S氏は、別の簡易宿泊施設へ移ったが、そこはWi-Fi環境が整っておらず、ネットに接続するためだけにやって来たというのだ。

カンガルーホテルの正面入口
 

 しばらくするとS氏は、小菅さんの説得に応じてその場を立ち去った。
「実は少し前に宿泊者同士の喧嘩がありまして、今のS氏はその当事者でした。それで警察沙汰になったんです……」
 そう語る小菅さんによると、ゴールデンウィーク中、S氏ともう1人の男性宿泊者G氏との間で、「部屋のドアを開け閉めする音がうるさい」と、口論になった。G氏も生活保護受給者だ。その数日後の夜、2人はホテル前の路上でにらみ合いを始め、一触即発状態に。慌てた小菅さんが仲裁に入ったところ、S氏から「何だこのやろう!」と大声で怒鳴られた。現場付近をたまたま通り掛かったパトロール中の警察官も加わって事態は収拾し、翌日にG氏を説得して追い出した。
 ホテルに残ったS氏は「俺は出ていかないぞ!」と居座り始め、また別の男性宿泊者にも絡み始めた。ついにはパトカーや救急車までやって来たという。小菅さんが振り返る。
「警察が到着すると、S氏は山谷におけるトラブルメーカーだということが分かりました。結局、説得を重ねて2人とも出ていってもらいました。生活保護受給者を受け入れるってことは、こうした騒動が日常的に起きるのを想定し、警戒しないといけないと思いました」
 コロナの感染拡大によって外国人観光客が激減し、生活保護受給者の受け入れに踏み切ったカンガルーホテルだが、早々にトラブルに見舞われた。
「背に腹は代えられないと思い、生活保護受給者の積極的な受け入れを行いましたが、これを機に控えることにしました」
 とはいえ都内ではコロナ禍による失業や収入減などで生活困窮が急速に広がり、生活保護の申請件数が急増している。各区役所からは、生活保護受給者がカンガルーホテルに次々と送り込まれてくるのだという。そのうちの1人に、山谷の宿泊者にしては珍しく、まだ21歳という若い女性がいた。
 何か事情があるはずだと直感した私は、取材を申し込んだ。彼女は二つ返事で応じてくれた。

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◎編集者コラム◎ 『DASPA 吉良大介』榎本憲男
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