ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第十回 コロナ禍の葛藤

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷は、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
その歴史を紐解く取材を続けてきた著者。3年目にして、新型コロナウイルスによる感染拡大の影響が街を襲った。未曽有の緊急事態に、現場へ向かってみると…

 

苦肉の策

 

「ホテルの開業以来、今日初めて生活保護受給者を受け入れることにしました」
 電話口でそう語るのは、山谷にあるカンガルーホテルの経営者、小菅文雄さん(54)である。新型コロナウイルスの感染拡大で、小池百合子東京都知事が外出自粛を要請してからおよそ1週間後の4月上旬のことだ。
 日本政府による外国人の入国制限で、山谷を訪れる外国人観光客はすでに激減していた。その影響について尋ねたところ、小菅さんから返ってきた言葉に、驚かされた。なぜなら2009年の開業以来、外国人を中心に一般の観光客を対象に営業を続け、これまで一度も生活保護受給者を受け入れたことがなかったからだ。
 カンガルーホテルの入口には、宿泊料金の割引を示すこんな看板も立て掛けられていた。
「1泊2300円 今だけ部屋数限定 長期滞在者 募集」

 1泊の正規料金は3600円だから、およそ4割引だ。「長期滞在者」というのは、ここでは「生活保護受給者」を指す。山谷の簡易宿泊所に長期滞在する宿泊客は、生活保護受給者か日雇い労働者に大別されるが、後者の多くは高齢化で働けなくなっている。よって長期の宿泊者といえば、ほぼ自動的に生活保護受給者になるのだ。その受け入れに踏み切った心境について、小菅さんがこう吐露した。
「ホテルの経営方針はさておき、来る者を拒めないような状況に追い込まれました。受け入れは、苦肉の策です」
 どうやらコロナ禍での状況は、それほどまでに逼迫しているようだった。

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