「推してけ! 推してけ!」第2回 ◆『私のカレーを食べてください』(幸村しゅう・著)

「推してけ! 推してけ!」第2回 ◆『私のカレーを食べてください』(幸村しゅう・著)

評者・印度カリー子 
(スパイス料理研究家)

カレー愛が形作る人生


 世界で日本ほどカレーの種類が豊かな国はないかもしれない。一般的なルーのカレーから、ホテルの欧風カレー、蕎麦屋のカレー、インドカレー、スパイスカレー、和風の創作カレー……。カレーという一言で括れないほど広大な料理を愛している国民こそが日本人だ。

 児童養護施設で育った主人公の成美もその一人で、カレーが大好きな少女だ。自分の中にある思い出のカレーを追いかけて様々なカレーを食べ、作り、研究を始める。学びのためにカレー屋さんを食べ歩いている途中で、成美は自分の想像を超えた衝撃的なカレーに出会う。単なる美味しさを超えた得体の知れないその味に感動し、よりカレーに深く向き合うようになり、人間的に成長し、自立した人生を歩み始める。

「カレーを食べ歩く」「人から学ぶ」という多くの人が受動的に学ぶような期間でも、常に成美は取り入れたものを自己解釈し能動的にカレーを学び続ける。それらを生かして次第に自分なりのカレーを生み出せるようになっていくが、終始カレーへの強い愛の塊が根底にあり、もがきながらもずっと前進し成長し続ける姿が印象的だった。

 学問や勉強というのは現代教育においてあまりに受動的で、特に日本の義務教育はそれを思想が形成される学童期に強制しているために、学びの本質を歪めているように思う。本来学びは愛の塊によって自発的に行われる行為であり、決して興味がない学問を高学歴と言われるような学校で勉強することではない。成美がカレーを「愛し、学ぶ」ということは本来あるべき学びの姿で、これこそが唯一無二のその人自身の人生を形作ることなのである。

 カレーに向き合う成美の描写は、あまりに自分のカレーに対する向き合い方と似ているので、読んでいる途中で何故か恥ずかしい気持ちになって笑ってしまうほどだった。カレーは美味しいとか香りが良いとか、そんな言葉で表せるような単なる料理ではない。むしろ料理ではなく、人生を捧げるにふさわしい「文化」だと思っている。何か人知を超えたような興奮が潜んでいて、身体の細胞が沸き立つような体験をしてしまうと、もうカレーの魅力からは抜け出せないのである。

 私自身、18歳の時まで将来の夢も趣味もなく、化粧にもどこそこのフラペチーノにも目もくれず生きていた。しかしある日、図書館で借りてきた本を参考にして姉がハマっているというインドカレーを家のキッチンで作ったとき、スパイスの香りの重ね合わせからなるあまりに衝撃的なそれに自分で作った料理ながら至極感動してしまったのである。その日以来カレーを深く知りたくて、インドに行って学んだり、ひたすら文献を読みあさって作りまくったり、大学院は転部してスパイスの研究をするまでになってしまった。今ではカレーは人生そのものであり、夢や興味に突き動かされる毎日を生まれて初めて知って、私は人生を生きている実感をようやく得たのである。

 成美や私のように、18歳で深く愛せるものに出会える場合もあるが、もっと早く出会っている人もいるし、人生の終盤で出会う人もいる。それはその人のタイミングがあると思っている。当たり前だが、深く愛せるものは、必ずしもカレーになるわけではなく、それは愛する「人」かもしれないし愛する「思想」かもしれない。いつ出会えるか分からないけれど、自分がずっと好きなこととか、何となく毎日してしまうこととか、自分の中にずっとあるようなものがヒントになって、ある転機においてそれが「深く愛せるもの」になることが多い気がする。

 深く愛せるものに出会えたら、間違いなく、人生が変わる。人生が変わるくらいそれに集中できるし、ずっとそのことを考えていられるし、毎日前に進んでいる。そして何より愛するものを学ぶ過程は辛いことなどなく、自然と、生きられる。そうしていつしか振り返ると自分だけの人生が形作られている。

 成美のカレーを軸にして自分の人生を、自分の足で歩み続ける姿は、どの世代においても共感できるところだと思う。魅惑的に美味しいカレーを通してそれを読むことができるこの作品は、まさに「読むカレー」で、カレー好きにはきっとたまらないと思うし、カレーを特別好きでない人でも、これを読むとカレーを食べずにはいられなくなるだろう。

 カレー好きな人、愛せるものに出会った人、出会いたい人はこの作品を是非とも読んで欲しい。

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私のカレーを食べてください

『私のカレーを食べてください』
著/幸村しゅう


 
印度カリー子(いんどかりーこ)
スパイス初心者のための専門店 香林館(株)代表取締役。現在東京大学大学院で食品科学の観点から香辛料の研究中。1996年生まれ、仙台出身。 ▷ Twitter ▷ Instagram

〈「STORY BOX」2021年1月号掲載〉

【「2020年」が明らかにしたものとは何か】岡口基一『最高裁に告ぐ』/「裁判官が、裁判所当局による統制からも自由」であろうとする胎動
1/20(水)、「とくダネ!」で浅田次郎さんの『見果てぬ花』が紹介されました。