「推してけ! 推してけ!」第35回 ◆『カンヴァスの恋人たち』(一色さゆり・著)

「推してけ! 推してけ!」第35回 ◆『カンヴァスの恋人たち』(一色さゆり・著)

評者=前田エマ 
(モデル)

言葉からこぼれ落ちた後で


 アートを見るとき、私たちはそのアーティストが生きた時代背景、語る言葉、まわりの人々の証言などを手がかりにする。アーティストの信念や作風を、時代の流れのなかで語ったり、解釈しやすい物語を作り上げ、感動したりする。それがすでに亡くなっているアーティストならなおさらだし、アートにはビジネスの側面も強くあるので、今を生きるアーティストだとしても、語りやすい言葉があるに越したことはないのだろう。しかし、そこで語られる大きな言葉たちを、私はあまり信じていない。確かに、作品を作るとき、言葉が先にくるアーティストもいるし、言葉を上手く使って制作するアーティストもいる。言葉はときに、作品よりも強い立ち位置にきてしまう。そういったまわりの人々が後付けしたきれいな言葉のなかから、仕立て上げられたわかりやすい言葉のなかから、こぼれ落ちてしまうもの、見えなくなってしまうものがある。

 私自身も美術大学で学び、アーティストと多く交流してきたが、私が眩いほどに惹かれ尊敬してきたアーティストたちの多くは、作らなくては生きていけない、生きることこそが作ることであるような、そんな人々だった。そんな彼らの作品を前にしたとき、言葉は脆く弱いものになる。彼らは決して言葉を持っていないわけではない。むしろ彼らの頭や心のなかにはたくさんの言葉があり、それを言語化していないだけだと感じることがある。言葉にした瞬間に、消えてしまうものがあることを、忘れてしまいたくない。

 小説『カンヴァスの恋人たち』は、地方の美術館で働く31歳の女性・史絵が、80歳の画家・ヨシダの展覧会を担当することになったところから始まる。若い頃は〝第二次ウーマンリブを牽引する女性芸術家〟として一線で活躍していたヨシダだが、あるときを境にひとり山奥に籠り、表舞台に姿を現さなくなる。そんなヨシダと時間を共にするなかで、史絵は社会に存在する様々な固定観念に対して、今までとは違う心持ちで向き合うようになっていく。自分なりの〝本当の生き心地のよさ〟を求めて生きていけるようになるまでの、史絵の成長過程を描いている。

 著者は東京藝術大学を卒業後、海外の大学院でも学び、ギャラリーや美術館で働いた経歴を持つ。現代を生きるアーティストと共に展覧会を作り上げることの喜びやたのしさを、素直に感じられる小説でもある。

〝多様性を重んじる時代〟だと、いたるところから聞こえてくる。この言葉を聞くたびに、私は違和感を感じる。それと同時に、違和感を抱いた自分にどこかホッとする。いちばん怖いのは、〝私は多様性を重んじている〟と自負してしまうことだと思うからだ。

 誰かを憎く思うとき、その理由はもしかしたら個々人の問題ではなく、社会の仕組みや歪みのせいであるかもしれない。性別による生きにくさからきているかもしれない。

 知識を身に付けることは大切だ。それによって思考し想像し、共感したり疑問を抱いたり、行動を起こすこともできる。しかしそこからうまれてしまう、〝知っている〟〝わかっている〟といった感情は、ときに暴力的な一面を持つ。

 多様性について語るとき、私たちは言葉に頼る部分が多い。「あの人って◯◯なんだって」「こういう発言をしていたから、◯◯な人なのだろう」というように、カテゴライズしたり、名付けたりすることが増えた。しかし、言葉で括られた瞬間に傷付く人がいること、存在しない存在になってしまう人がいることを、日々感じる。

 学び続ける姿勢を持つこと。他人の声に耳を傾けること。受け入れること。疑問に思うこと。行動すること。立ち止まること。

 人生とはそのバランスの匙加減だ。正解などなく、置かれた立場、大切にしたいもの、年齢や時代によって、それはどんどん変化していくものだ。主人公の史絵、そして画家のヨシダをはじめ魅力的な登場人物たちが、そのヒントのようなものを教えてくれるのではないだろうか。

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カンヴァスの恋人たち

『カンヴァスの恋人たち』
著/一色さゆり


前田エマ(マエダ・エマ)
1992年神奈川県生まれ。東京造形大学卒業。モデル、写真、ペインティングなど、活動は多岐にわたり、エッセイやコラムの執筆も行う。著書に小説集『動物になる日』(ちいさいミシマ社)がある。

〈「STORY BOX」2023年5月号掲載〉

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