「推してけ! 推してけ!」第55回 ◆『アカシアの朝』(櫻木みわ・著)

評者=渡辺祐真/スケザネ
(書評家)
K-POPアイドルを通して日韓の近代史を描いたポップで重厚な一作
『アカシアの朝』の帯文を書かせてもらえることになった。夢中で読んだ作品だから嬉しく、光栄な話だった。
しかし困った。こんなにも強く推したいのに、同時に重い責任を感じる。
というのも、物語の中のあるシーンが強烈に印象に残っていて、その姿を超えられる文句が思い浮かばないのだ。初読から二ヶ月くらい経った今も、ふとそのシーンが去来するほど。
この書評ではせっかくだから、まずはそのシーンを紹介したい。(帯文がどうなったかは、表紙の画像などで確認していただきたい)
舞台は、日本有数のコリアンタウンがある大阪の鶴橋(東京に土地勘のある人なら、新大久保を思い起こしてほしい)。そこで在日朝鮮人に対するヘイトスピーチが行われていた。
「わたしは皆さんに死んでほしい!」
最初は何の話だかわからなかったが、近づくにつれて、その輪郭が明確になっていった。
「韓国人のみなさん!」
(中略)
「わたしは、みなさんが憎い! ここは日本ですよ! いい加減帰れ!」
「そうだ!」
「帰れ!」
「帰れ!」
ニュースやSNSでも、何度か目にしたことがあるような激しい場面。更に衝撃を受けたのは次だ。続きを引用しよう。なお、ここで視点となっているのは在日コリアンとして、日本で生まれ育った美月という名の女性だ。
美月は駅まで行くことができなかった。空腹でもないのに、目の前の食堂に入った。いつもは近所の常連客でにぎわっている店なのに、客が誰もいなかった。子どもの頃から顔見知りのその家のおばあさんが、店の奥のマッコリの壺の横にうずくまり、涙を流してふるえていた。
自分が生まれたときからいる町に、知らない人たちがやって来て、死んでほしい、憎い、帰れ、と大声でコールする。美月はそのことに、怒りやかなしみよりも、驚きと恐怖が先立った。
水野直樹、文京洙『在日朝鮮人』(岩波新書、2015年)によれば、1897年頃を皮切りに、朝鮮から日本への移民がはじまった。1920年ごろから急増し、在住朝鮮人の人口はピークとなる1945年には約210万人を記録。それ以降は60~70万人を推移し、現在に至る。ここから言えるのは、本格的に移住が始まってからだけでも100年は経過していること。
となると、在日二世三世の中には生まれも育ちも日本という人はそれなりにいるだろうし、ヘイトスピーチを叫んでいる日本人よりも長く日本で暮らしている場合も普通にあるはずだ。
かと言ってここで、だから在日コリアンの人たちと仲良く暮らしていきましょう、という安易な教訓を引き出したいわけではない(それは大事なことだが、この小説の感想としては抽象が過ぎる)。
本書を(特にさきほどの一節)を読むことで、まずはマッコリの壺の横でふるえるおばあさんと、思わず店に飛び込んだ美月の「驚きと恐怖」を肌感覚として感じたいのである。一人の人間が震えている姿に、同情や哀れみを感じることはできるはずだ。
しかしそうは言っても、その背景にある在日コリアンや日韓の歴史についてまでは、イメージがわかない、数値(年数や人数)で言われてもピンと来ないという人もいるだろう。
そこでぜひ『アカシアの朝』を読んでほしい。
重いシーンの紹介から始めたのだが、この作品には K-POP やアイドル文化などがリアルに描かれ、時にポップ、時に熱血でスポコンだ。一方で韓国と北朝鮮との緊張関係、そこから派生する徴兵制などが緊迫感を以て綴られる。
あらすじを紹介しよう。
日本人の15歳の少女「飯田陽奈」は、K-POP アイドルの練習生として活動を始めるため、韓国にやって来た。幼い頃に K-POP ダンスに魅せられた陽奈は、日本でダンスに打ち込み続け、いよいよ念願が叶って、韓国の事務所「ミルカム・エンターテイメント」の練習生になれたのだ。これから死にものぐるいで努力し、韓国に約百万人いると言われる練習生の中から、デビューを目指す。
一緒に練習をするのは、同じく十代の女性たち四人。リーダーでサンパウロ出身のレイカ、バンコク出身で天真爛漫なプロイ。にこやかで優しい韓国出身のチア。そして、話題のために、デビューまで存在を明かさない非公開練習生の「ソユン」。彼女は韓国の貧しい田舎出身で、ソウル大に進学した大好きな幼馴染を追いかけるために練習生になったのだった。
物語は陽奈とソユンの二人を軸に展開する。
韓国のカルチャーには憧れを持つが、竹島や日韓の政治問題には無関心だった陽奈が、ダンスに夢中になりながら、日本人として少しずつ韓国の歴史を学ぶ。
一方、親族が朝鮮戦争によって傷を受け、今なおその影響下にあるソユンが、少しずつ韓国の歴史を、自分の延長線上として韓国の歴史を捉え直していく。
二人が辿る日韓の近現代史が、実は複雑に絡み合っていることが明らかになっていく。それはとりもなおさず、(良くも悪くも)ともに歩んできた日本と朝鮮(韓国)の歴史に由来していることが、炙り出されていく仕掛けになっている。
歴史の教科書をひもとき、日本と朝鮮の歴史を学ぶことはもちろん大切だ。それと同時に、ある一族、ある少女たちを通して、これほど密接に日本と韓国が歩んできたのかと実感できるのは、小説ならではだと思う。
大上段に構えるのではなく、K-POP という身近なカルチャーを通して、友達や仲間を通して、肌感覚として、歴史を知っていく。陽奈とソユンのように、読者もそのように歴史に触れることができるだろう。
その上でもう一度、冒頭に挙げたおばあさんの震えに寄り添ってみてほしい。
政治思想ががらりと変わるとか、融和を叫んでほしいとかではなく、近くて遠い隣人の気持ちが、少しだけ分かるようになっているはずだ。
そしてもちろん、小説として抜群に面白いのは言うまでもないことは、最後に言い添えておきたい。
渡辺祐真/スケザネ(わたなべ・すけざね)
1992年生まれ。東京都出身。書評家、文筆家、書評系 YouTuber、ゲーム作家。TBSラジオ「こねくと」レギュラー、TBS podcast「宮田愛萌と渡辺祐真のぶくぶくラジオ」パーソナリティ。著書に『物語のカギ』(笠間書院)。ほか、共著、編著など多数。