薬丸 岳『こうふくろう』× 染井為人『歌舞伎町ララバイ』刊行記念特別対談【後編】

なぜ犯罪を書くのか
──お二人は主に事件や犯罪や、それにまつわる背景や余波を作品に描かれてきた印象があります。そもそも、なぜ犯罪なのでしょう?
薬丸
僕の場合、一番は憎しみでしょうか。
例えばある事件が新聞やテレビで報じられているのを見ると、その被害者や家族の方に物凄く感情移入してしまって。そういう今現在、世の中で起きている犯罪への怒りや憎しみのようなものが、小説を書く原動力になっています。
今回の『こうふくろう』は僕にとっては珍しいラストの作品になったんですが、基本的には被害に遭われた方には救いを、罪を犯した人には報いを、せめて物語の中ではもたらすものでありたいと思っている。
染井
僕はそこまで深くは考えていませんが、とりあえず入口は「こういう人、いるよね?」「こういう事象、あるよね?」くらいの感覚で書いてはいます。犯罪者がみんな人間的に悪いヤツならいいんですよ。でも僕はどんな人でも一歩間違えれば、そっちへ行っちゃう可能性がある気がしてならないんですね。『こうふくろう』に出てくる颯太だって、最初はそこまで悪いヤツじゃないし。
薬丸
まあ、かわいそうではあるよね。

染井
むしろ同情すべきで、最初の頃は人にも優しくできた颯太が暴走しちゃうのも、コミュニティの危うさというか、人間は環境の産物だという気が改めてしました。人って特殊な環境に置かれると、針が振り切れちゃうんだなって。
逆に、『こうふくろう』の主人公である涼風の父親・新見なんて、ろくでもない親じゃないですか。借金だらけで、女性関係にルーズで。僕の周りにも少なからずいるんですよ、あの手の父親が。
薬丸
えっ! 染井さんの周辺にいるんですか?
染井
いや、結構いますよ。でもその新見の目線で進むパートが、僕は読んでいて一番楽しかったです。彼は娘を救うために、〝ある行動〟に出るじゃないですか。普通はあそこまではしませんよね。
薬丸
しないよね。自分で書いておきながら、誰がどう考えてもあり得ない行動だと、僕も思う。
染井
まともな親ならもう少し大人な方法を選びそうなものだけど、新見はそれをやるんです。ダメな父親で、金も何もないからこそ。そこの反転がとにかく面白かったし、メチャクチャかっこよかった。
読みやすさの基準
薬丸
染井さんの『歌舞伎町ララバイ』は、中盤に2019年から2024年へと5年飛ぶ構成が衝撃的でした。今回僕はコロナ禍をあえて作中に書いたんだけど、染井さんはその5年間をすっぽり抜いた。なるほど、こう来るかと、当初の想像を裏切られてビックリしました。あとは脇役ですね。歌舞伎町の生き字引的な存在のゴールデン街のママ・サチや、ガーナ人の売人・コディ、若干昭和のヤクザ風な颯太も、それぞれがとても魅力的で、活き活きとしている。
そして何より、リーダビリティの高さですよ。すごく読みやすかった。自分で言うのもあれなんだけど、僕の小説もわりと「読みやすい」と言われていて……。
染井
そう、薬丸さんの作品は読みやすいです。
薬丸
元々僕は小説が好きで書き始めたというより、映画好きが高じて物語を作ることに興味を持った人間なんだけど、染井さんも映像や舞台演出の仕事をされていたことが、もしかしたら読みやすさに繫がっている?
染井
自分の場合は映像がどうこうより、「文学」を書いているつもりが全くないんです。表現手法がたまたま小説になっただけだから、小説が苦手で、あまり読まない人にも、読んで欲しいという思いがずっとある。なるべく難しい漢字や言い回しは使わないようにしています。

薬丸
僕も同じです。2行読むのに1分近く意味を考えなきゃいけないような事態は絶対避けたいと思っているし、漢字に関してひとつの基準にしているのは「逡巡」。これより難しいと思う漢字や熟語は、使わないようにしています。
染井
僕は基準まではないですけど、難しい言葉一つで、「やっぱ、本って合わねえなあ」と思われたくないんですよ。
逆に普段あまり本を読まない人が、映画やドラマを観て、原作を手に取ってくれたりするのは本当にありがたいし、「へえ、小説って、面白いじゃん」と思わせたい。
薬丸
僕は映像化に関して言うと、自分の作った物語に触れてもらえることがとにかく嬉しいし、そのうちの何%かが原作も読んでみようと思ってくれて、「あ、小説が一番面白いかも」って思ってもらえたら、それが一番嬉しいかな。
小説をもっと読まないと
──ところで、新宿と池袋と言えば、どちらも多くの優れた創作物を生んできた街でもありますが、それぞれの土地への印象は何かありますか?
染井
僕は10年以上、池袋に住んでいたことがあるんです。歌舞伎町とはまた違うきな臭さのある街で、東口、西口、北口と、場所によって全然カラーが違う。新宿に出るのは怖いけど、池袋なら安心っていう子も多い印象がありますね。
薬丸
僕はどこに行くかって映画館を基準に考えていて、それこそ新宿には10代の頃は時々行っていましたが、最近は池袋にいい映画館があるのでそちらばかりですね。そう言えば、『こうふくろう』の舞台は中池袋公園ですが、石田衣良さんの「池袋ウエストゲートパーク」シリーズで有名な西口公園も、舞台候補のひとつでした。
染井
そうなんですね。僕は新宿が舞台の物語だと、さすがに『新宿鮫』と『不夜城』は『歌舞伎町ララバイ』を書く前から読んでいたんですが、あまり小説を読んでこなかったという劣等感があって。先輩の作家と話していて「あれ、面白かったよ」って言ってくださっても、「やべ……読んだことない」みたいな(苦笑)。

薬丸
最近は読めています?
染井
それが作家になってからなかなか読めなくて。以前は何を読むとか、何冊読むとかは意識しないで、趣味で常に何か読んでいる本があって、読み終えたら次を買うっていうのが習慣だったんですけど、今は全然です。電子書籍なんて結構な量を買ってるんですけど。
薬丸
僕も同じです。買うだけ買ってほぼ読まない。かなり言い訳がましい言い訳をすれば、読んで影響されたくない、打ちのめされたくないっていう(笑)。
ただ、読めば面白いんです。『歌舞伎町ララバイ』も、年に何冊か読むうちの1冊だったんだけど、小説っていいなあって思った。この物語世界に没入して、ドキドキ、ワクワクしている時間って、他では得られないと思うんです。映像か何かを一方的に提供されるんではなく、自分から読んでいって、没入していって、自ら感じ取るこの楽しさは小説特有のもので、やっぱりもっと読むべきだなって、僕も思いました(笑)。
締切がないと書けない
──ちなみに、お二人はプロットを作らない点でも共通しているそうですね。
染井
はい。『歌舞伎町ララバイ』の連載も、毎回、毎回が、綱渡りでした。
薬丸
例えば来週月曜日の正午が締切で、それまでに50枚の原稿を上げなきゃならないとしたら、1週前の火曜日の時点でどのくらいまで出来ています?
染井
ゼロの時もあります。僕はプロットが本当に書けないので、何となく先が見えている時もあれば、そうでない時もあって。以前は緊張して早めに書いたりもしたんですけど、最近は3日前でも、まあ何とかなるか、とか……。
薬丸
正直に言わないとフェアじゃないので言うと、僕の場合は例えば今週金曜の午後2時が締切だとして、火曜日の時点ではほぼ何も決まっていません(笑)。
染井
焦らないですか?
薬丸
焦りますよ。ずーっと考えてます。それでも書くべきものが出てこなかったり、まとまらなかったりで、木曜日の午前中に、編集者にメールを送るんです。「申し訳ありません。何とか月曜日の正午まで、お時間を戴けませんでしょうか」って。
染井
ああ、そういうことは僕もあります。
薬丸
それまでは夜も眠れないし、返事を待っている間も、息ができないんです。そして大丈夫だという返事が来ると、ようやく息ができて、昼寝もできる(笑)。
染井
昼寝!(笑) でも、わかるな。焦らないと、何も出てこないんですよね。
薬丸
特にこの『こうふくろう』は3日後に送る原稿もどうなるかわからないことの連続で、しかも毎回、丁寧な感想を送ってくれる編集者の想像を、あえて裏切る展開を途中から考えてみたりして。簡単にわかられても癪に障るから(笑)。

染井
僕はそこまでミステリを書いている意識はないけど、20年もの実績がある方なら「何でも来い」って感じなんだろうと、勝手に思っていました。
薬丸
いやいや。そんなできる作家ではないです。ただ、やはり一番大事なのはクオリティなので編集者に対して「大変申し訳ありません」「心苦しく思っております」ということを丁寧に伝えてきました。
世の中には月に長編を1本、2本と書ける人もいれば、1本に3、4年かかる人もいる。後者が月1本書こうとしても無理があるし、原稿を落とさない限りは、自分の納得のゆくものを出していくしかないと思うんです。周りにはご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないんだけど。
結局、締切がないと書けないってことですね、我々みたいな劣等生は。
染井
書けないです。マジでそれは思います。だから連載はつらくて苦しいけど、最終的には有難かったりするのかもしれない。
薬丸
その有難い締切を延ばしていただくために、この20年間でいったいどれだけ「申し訳ありません」と言ってきたか。でもその「申し訳ありません」を僕は決して上っ面では言っていないし、その申し訳なさと感謝の思いだけは、20年前も今も、全く変わっていないんです。
染井
そうか。自分もキャリアを重ねれば、もっとスムーズに仕事ができるのかと思っていたけど、違うんですね。人間、そう簡単には変われないってことか。
薬丸
いい悪いはともかく、そうなんです。何だか妙な結論になっちゃいましたけど、今日はありがとうございました(笑)。
薬丸 岳(やくまる・がく)
1969年兵庫県生まれ。2005年に『天使のナイフ』で第51回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。16年『Aではない君と』で第37回吉川英治文学新人賞、17年「黄昏」で第70回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。著書は他に刑事・夏目信人シリーズ(『刑事のまなざし』『その鏡は噓をつく』等)や、『悪党』『友罪』『誓約』『告解』『刑事弁護人』『罪の境界』『最後の祈り』『籠の中のふたり』等。映像化作品も多数。
染井為人(そめい・ためひと)
1983年千葉県生まれ。芸能マネージャー、演劇プロデューサー等を経て、2017年『悪い夏』で第37回横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞しデビュー。20年刊行の『正体』は22年に亀梨和也主演でドラマ化、24年に藤井道人監督、横浜流星主演で映画化され、日本アカデミー賞で最優秀監督賞と最優秀主演男優賞を獲得するなど話題に。城定秀夫監督、北村匠海主演の映画『悪い夏』も高い評価を得る。著書は他に『鎮魂』『滅茶苦茶』『黒い糸』『芸能界』等。