乗代雄介〈風はどこから〉第3回

乗代雄介〈風はどこから〉第3回


「幾山河を越えて行こう」


 2022年10月下旬の早朝、沼津駅北口前のホテルを出発。明るいうちになるべく長い時間を動けるよう、滞在先での私の朝は早い。そのせいでホテルの朝食もほとんどつけない。

 この日まで数日ほど沼津をうろつき回った朝に改めて思うのが、沼津駅北口と南口の連絡がよくないということだ。駅は通れないので、少し離れたあまねガードをくぐらなければ線路の向こうに出られない。ここしかない分、いつ行っても往来は盛んである。

 その名前は、幕末から明治を生きた啓蒙家の西にしあまねに由来するそうだ。徳川慶喜の側近として明治維新を過ごし、幕府崩壊後、静岡に国替された徳川家が沼津城内に兵学校を創設した際、初代学長に任命された。付属する形で設置された子弟を教育する学校が、日本で最初の近代的小学校とされる。そんなことを説明した碑が、ガードをくぐって直進した通りに立っている。アーケード商店街の角では、年寄りの猫が朝ごはんを待っているようだった。

朝日を浴びて待ち合わせ。
朝日を浴びて待ち合わせ。

 沼津城趾にあたる中央公園から、狩野川にかかるあゆみ橋を渡ろうとする。と、橋の真ん中で何やらテレビの撮影中だ。欄干の前に立ってしゃべっているのは──石原良純。日頃から仕事先の街を走りながら史跡や風景を見て回るのが趣味なのも知っているので、私は親しみを感じている。せっかくだからと iPod で、石原裕次郎で一番好きな「みんな誰かを愛してる」を流しながら撮影隊の後ろを通った。「孤独じゃないさ」と言いながらも、そう言うのは孤独だからという感がビシビシ伝わってくる歌声を聴きながら、その甥っ子がカメラに向かって一人でしゃべるのを見る。朝っぱらからよくわからない状況である。

あゆみ橋からの狩野川。たもとからも良純を狙う。
あゆみ橋からの狩野川。たもとからも良純を狙う。

 後日調べたら、石原良純はテレビ朝日の〈日曜マイチョイス〉という番組で、妄想歴史トリップと称して沼津から三島、修善寺へと巡ったらしい。〈日曜マイチョイス〉は50代以上のアクティブシニア向けの番組とのことだが、移動手段のない30代のアクティブミドルである私はこの日、一日沼津を歩いて過ごした。

 狩野川の左岸を上流に向かって歩き、香貫山の登山口へ。崖を守る擁壁と建物のわずかな隙間に突然あるのでびっくりする。この香貫山から南へ、横山、徳倉山、志下山、小鷲頭山、鷲頭山、大平山と続く静浦山地を山頂から山頂へと縦走する。またの名を沼津アルプス。日本各地で縦走に向いた山々がご当地アルプスとして売り出されているが、その一つである。

縦走スタート地点。一度通り過ぎた。
縦走スタート地点。一度通り過ぎた。

 香貫山は中腹が公園として整備されて、展望台からの眺めがいい。西の眼下に広がる沼津の街と駿河湾。その弓なりの境界は、誰がやったか千本松原によって丁寧にマスキングされて見える。こういう景色は白砂青松といわれるが、その多くは人がせっせと植えて作ったものだ。中でもここ千本松原は、珍しく誰がやったかについて伝承が残されている。それによると、もともとは農民たちが塩害と風害を防ぐために植えた松林が、戦国時代に攻め込んできた武田勝頼軍に伐採されてしまったそうだ。その後、不作に苦しむ農民たちに心を痛めたのが、長円という旅のお坊さん。彼は念仏を唱えながら松を植え続け、5年の歳月をかけて松林として根付かせた。彼のために農民たちがプレゼントした草庵が、後に乗運寺となった。私は前日にそこを訪れているので、あの辺だと思って満足する。

 ちなみに、そこには若山牧水の墓もある。彼は沼津に移住するほどに千本松原を愛した。県による松林の伐採計画が出た時、反対運動の先頭に立ってとうとう断念させたこともある。切ったり植えたり切ろうとしたり守ったり、長い目で見ると人のやることはまったくよくわからないが、よくわからないなりに積み重なった歴史が、ただでさえ美しい風景をちがって見せる。それがおもしろくて、石原良純と私はアクティブに過ごしているのだ。

 香貫山を東へ下り、いったん車の行き交う道路へ出て、再び八重坂峠登り口から山道へ入る。ここの登り口がまた急に出てくるので注意が必要だ。で、ここからはとにかくアップダウンのくり返し。ご当地アルプスの中でも屈指の険しさとして知られているが、トラロープが張られた横山への足場の安定しない急坂と、一段落した後にくる徳倉山への鎖が張られた長い急階段は特にハードだ。

 その徳倉山の山頂では、50代ぐらいのご婦人方が二人、シートを敷いて談笑していた。大平山まで5時間ほど歩いたり座り込んで風景の文章スケッチをしたりする中で、私が会ったのはこの二人ともう一人、トレッキングポールを突いたかなり高齢だが相当な健脚の男性だけだった。そういう道で、太平洋戦争時に機関銃を据えていた跡とか、江戸中期の馬頭観音とか、平重衡が切腹した場所とか、人の記憶を残す場所があると、どういうわけか安心する。それなのにまたどういうわけか、道中、ローリング・ストーンズの「Get Off Of My Cloud」が流れて、それから延々聴いていた。街の中で一人になりたくてわめいている人間の歌だが、私はこれを聴くたび、自分が一人になりたくて歩いていたことを思い出すのだった。

 そんな気分で歩いていても、いや、そんな気分だからか、ところどころで眺望が開けて輝く海街が見えると感動する。いい景色はたった一人で見たい。「俺の雲の上は二人でもきついんだよ」という歌詞を思う。「二人きりはイイ感じ、三人なら台なし」という主に恋愛関係に使われる英語の慣用句をひねって「二人だって何にもならねえよ、一人にしてくれ!」と毒づいているのである。歌い方も、1965年当時のディランチックにやさぐれており、励まされる。

 多比峠から多比口峠の岩尾根は、ウバメガシが絡みつくように囲う道で、目にも足にもうれしかった。そこから大平山へ登れば、沼津アルプスの縦走完了となる。奥沼津と呼ばれる方にも山は続くため、達成感はそこまでないが、多比口峠から下山する。

 舗装路になったところで横に入る道があった。気になって行ってみると、切り立った岩壁の隙間に張り出した小屋がある。横木の上に床板が敷かれ、壁板にアルミサッシの窓まではめ込まれた本格的なものだ。岩壁に沿う階段を上っても中へは入れなかったが、覗くと神棚らしきものがあって榊も飾られている。反対に回って下から見上げると岩場に石仏らしきが並んでいた。古い歴史を感じるわけではないが、秘密基地を作る楽しみが信仰と結びついて岩の間に形をとったようなおもしろいところだ。グーグルマップでは、多比観音と登録されていた。

 街へ下りたら最寄りのバス停から帰るのが普通だと思うが、まだ明るいし元気もあったので、さんざん上から眺めた景色の中を歩いて沼津駅まで帰ることにした。10キロほどあるけれど、疲れたらいつでもバスに乗れるし、なんとかなるだろう。

 国道414号を歩き始めると、まずは小さな江浦湾沿岸の感じよい町である。さらに大きな駿河湾へ出ると、高い防潮堤がそびえ立って海を隠しており、コンクリートの壁と少ない家々の間を歩く。ふいに堤防が数メートルほど途切れ、重々しい鉄のゲートが車1台分ほど開いていたりして、中の漁港が覗けてうれしい。山の上で景色が開けたのと同じことを、下でもくり返しているのだった。

 沼津御用邸記念公園はその名の通りかつての皇族の避暑地である。宮廷建築の見学もできるが、閉園時間が迫っているため素通りする。その先、小さな弓なりの牛臥海岸の美しさに引かれるようにして、5メートルほどある立派な津波ゲートから牛臥山公園に入った。こちらもあと30分ほど、4時半で閉まるらしい。ここは実にいい場所で、さっと文章スケッチをしつつ、またゆっくり来ようと思った。奥まで行って一人きり、赤らみ始めた空を見てこりゃいいやと思っていると、いやにはっきりしたアナウンスがスピーカーから流れた。4時半に津波ゲートが閉まって、完全に出られなくなるとのことだ。小走りで戻り、係員さんと、腰の曲がった黒いキャップのおじいさんに見送られるようにして外へ出た。少し行って振り返ると、警告音を発しながら閉まるゲートと、それをじっと見ているおじいさんの背中が見えた。日課なのだろうか。

 少し行くとリハビリ病院があった。そばにある秋葉神社は階段を上っていった高台にあり、そこから公園からは行けない牛臥山の山頂に出られるようだが、いよいよ日が暮れそうなので諦める。階段の下に花立てと〈賽銭箱〉と書かれた郵便受けがあるのは、リハビリ病院の方々が参拝に来るためだろう。場所と人が事情に応じて生活を作るという点では、鉄のゲートもアルミの郵便受けも大した違いはない。

秋葉神社。ハンガーの傾きに人の跡。
秋葉神社。ハンガーの傾きに人の跡。

 夕闇の中、我入道浜へ出る。太陽が低い空を茜色に染めながら、駿河湾の向こうの薄い地平に沈んでいくところだ。私も含めた10人ほどが、同じ夕日を見つめていた。ぼんやり白く浮き上がるような砂浜やそれを見下ろす堤防に散らばってはいるけれど、波間に揺れる紫めいた光の帯はそれぞれの目にまっすぐ向かっていたはずだ。若山牧水はかつてこう歌った。

幾山河越えさり行かば寂しさの
はてなむ国ぞ今日も旅ゆく

 日没、残光が失われていく中、一人、また一人と浜を離れる。車のタイヤが砂利を踏む音、気まぐれに鳴らされた学生の自転車ベルの音。私はまた高い防潮堤に沿って歩き、狩野川の河口に突き当たった。向こう岸は沼津港だ。暗い狩野川沿いを3キロほど歩いて遡る。自分の歩で街灯りが揺れるのをふと自覚して、しばらく気にかかった。ただ疲れた足を黙々と動かすこんな時間もいいものだ──とか改めて思うのは、たまたまシックの「Good Times」が流れたからだ。寂しさは果てなくても、歌詞とはちがって一人きりでも、いい気分がこの一日を支配していた。

 ようやく石原良純のいたあゆみ橋まで戻って来た。ここからさらに駅まで行き、あまねガードをくぐらなければならない。

写真/著者本人


乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年北海道生まれ。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞を受賞しデビュー。18年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞を受賞。21年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞を受賞。ほか著書に『最高の任務』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『パパイヤ・ママイヤ』などがある。

〈「STORY BOX」2023年5月号掲載〉

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