源流の人 第31回 ◇ 浅田智穂 (インティマシー・コーディネーター、通訳)

映画やドラマの作品に盛り込まれたセンシティブな場面を演じる俳優に専門トレーニングを経て得た知見で徹底し向き合い、尊厳を守る裏方役

源流の人 第31回 ◇ 浅田智穂(インティマシー・コーディネーター、通訳)

これからの世代が安心して携われるように──アメリカで培った経験を活かし、日本のエンタメ業界に光をもたらす


 映画やドラマのエンドロールを眺めていると、ここ最近、目にする肩書きがある。

「インティマシー・コーディネーター」

 性描写や露出を伴う「インティマシー(親密な)・シーン」を撮影するうえで、制作側の意図を汲みつつ、俳優のからだやこころの不安に寄り添い、調整するスタッフのことだ。米国などに専門のトレーニング機関があり、日本では二〇二三年現在、二人の女性がインティマシー・コーディネーターとして活躍している。

 浅田智穂は、そのうちの一人。映画やドラマの撮影現場に欠かせない存在として、文字通り「ひっぱりだこ」の毎日を送っているさなか、インタビューが叶った。

「映像業界で、クレジットとしてインティマシー・コーディネーターの肩書きが初めて入ったのは、二〇一七年撮影の米国ケーブルテレビHBOの『The Deuce』というドラマだと聞いています」

浅田智穂さん

 浅田によると、所属団体の米国「インティマシー・プロフェッショナルズ・アソシエーション(IPA)」が設立される以前から、演劇界において「インティマシー・ディレクター」という職業があったという。演出家・ディレクターに近い存在で、そうしたシーンを演出、ステージングする役割なのだそうだ。しかし、浅田らのような映像業界のインティマシー・コーディネーターは、基本的には脚本や監督の演出には口出ししない。あくまで、米国の映画俳優組合(現・SAG-AFTRA)のルールに基づき、「調整していく」ことが、浅田らインティマシー・コーディネーターとしての仕事だという。

公平な立場を貫き、双方の意見を聞く

 それにしても、どんな仕事なのだろう。率直に気になる。浅田は、順を追って説明してくれた。

 台本を受け取ったら、まず、浅田が関わるべきシーンにあたるのか否かを、目を凝らし読んでいく。話の核となるシーンだけではない。たとえば、露出度の高い役柄が、メインの登場人物とは限らない。端役の俳優が、思いがけず際どい格好をして出てくる可能性だってある。ひととおり想像をめぐらせたら、監督と対峙し、どういったシーンなのか、このシーンで俳優たちが何をしているのかを、一つひとつヒアリングし、確認していく。

 制作側の意向を、くまなく聞くことが、まず大切なことだという。そのうえで、こんどは俳優と向き合う時間が始まっていく。

「一対一で、またはマネージャーや所属事務所も同席して、『監督は、この場面で、こういった描写を求められていますが、これで大丈夫ですか? できますか?』って、細かく伺っていくんです。確認して、俳優から同意が得られたら、監督に戻します。(同意が得られず)『これは難しい、できない、ここまでだったら大丈夫』という意見が出されたら、それをまた、監督に戻します。『この方は、ここまでだったら大丈夫なんですけど、どうしましょうか?』って」

浅田智穂さん

 俳優と話をするなかで、「できる」「できない」「不安だ」という反応が返ってきたときには、なぜ、懸念が生じているのかを聞いてみる。その理由が、俳優の個人的な事情から生じている場合には、それ以上は絶対に深入りしない。いっぽう、たとえば過去の撮影で嫌な目にあったなど、理由が明らかであるときには、浅田の立場で解消できるケースもあるという。こんなふうに浅田は語りかけるのだそうだ。

「今回の撮影では、こうした解決策をとれば、演じることができますか?」

 映像制作における、ヌードや性的な描写がある場面で、俳優の身体的・精神的安心安全を守りつつ、いかに、監督の求めるイメージ、ビジョンを実現していくか。

「監督のやりたいことは、できるだけ叶えたい。でも、第三者として公平な立場を貫きます。どうすれば、俳優が安心して監督の求めることをできるのか。やり取りを重ねていきます」

 ときには絵や写真、人形を使って、話し合い、最終的に「これだったら大丈夫」という到達点を探っていく。

 露出や性的な描写、擬似性行為のシーンに関しては、同意書が必要になる。浅田は書面の作成を手伝って、「撮影のときには何をするのか」が双方できっちり決まるまで、準備する。しっかり準備することにより、俳優からの同意が得られていない性的描写が撮影当日に行われることはない。

 こうして双方の同意が得られる。そうしたら、さっそく撮影の準備に取り掛かる。演出やメイク、衣装の担当者と連絡を取り合って、何が必要なのか、誰が何を準備するのかを再確認し、撮影当日を迎える。

 どの段階においても浅田が心がけていること、それは、「説得は絶対にしない」ということだという。

「制作側から、『なんとかしてよ、浅田さん!』と泣きつかれることもあります。でも、説得は、私が一番してはいけないこと。俳優は、監督やプロデューサーに対してプレッシャーを感じてしまい、正確な判断や、素直な気持ちを言えない。だからこそ、そこに私が入っている」

 キャリアを積むうえで、初めてセンシティブな場面に挑戦するとき、俳優は不安になりがちだ。ただ、その不安の理由が、「新しいことへの挑戦」だからなのか、「本当はやりたくないのに……」だからなのか、では、浅田の対応はまったく違ったものになっていく。

「不安のレベルが高い場合は、とくに慎重になります。『次にまた機会があるかもしれない。心の準備ができた段階で、そういう役に挑戦すればいいのでは』とアドバイスすることもあります」

 俳優と浅田との対話の結果、シーン自体がなくなったケースは、これまでにない。ただ、露出が少し減ったり、台本の初稿とは異なる描写になったりしたことはあるという。

 事前準備の段階で、浅田は、俳優の一人ひとりが過去にどんな作品に取り組んできたか、一応チェックしている。ただ、と浅田は付け加え、語ってくれた。

「彼らの今までの仕事が、私が今回関わる作品に、必ずしも影響を及ぼすわけではない、と考えています」

 それは、どういう意味なのか。浅田は続ける。

「自分が主役なのか、脇役なのか。そういうことでも変わってきます。あと、『この監督だったら挑戦したい』『こういう話の流れだったら、ありかな』とか、本当にいろいろケースがあるんです。だから、『前の作品で脱いだから、今回も』という考え方は一切しないようにしています」

浅田智穂さん

 こんなにもセンシティブなことなのか、と驚かされる仕事内容だ。

 二〇二二年、大きな話題を呼んだドラマ「エルピス ─希望、あるいは災い─」(関西テレビ放送)に、インティマシー・コーディネーターとして関わったことで、浅田の存在が広く知られることになった。浅田自身のSNSアカウントのフォロワーが増え、好意的な反応をもらった。そのなかで、浅田が驚いた、意外な反応があったという。

「(俳優のファンからの)『安心して見られました』という声でした。自分の好きな俳優が、ちゃんと守られている、きっと安心して撮られている。それが嬉しいです、って。まさか視聴者から感謝の言葉をいただくとは」

大きなきっかけをくれた俳優

 この仕事を浅田が初めて務めることになったのは、二〇二〇年のことだ。

 インターネット動画配信サービス Netflix の作品「彼女」を制作するにあたり、主演俳優の一人である水原希子(さとうほなみとのダブル主演)が、「インティマシー・コーディネーターをスタッフに入れてほしい」と要望したのがきっかけだ。映画やエンタメの世界で、通訳として携わっていた浅田に、白羽の矢が立ったのだった。日本にはそうした存在がいない。専門のトレーニングを受けてほしい、という打診だった。

「迷いました。長らくこの業界で仕事をしてきましたので、『絶対に煙たがられる』って容易に想像できた。明らかに邪魔者扱いされる仕事に、このタイミングで、どれだけ向き合えるのか」

 浅田自身が四十代半ばを迎えつつあり、子どもと夫と穏やかな生活を送っていた。それに、経験上、撮影現場が「ああ、楽しい!」などと、のんきに喜べるような環境ではないことも想像がついていた。私はどこまで割り切って仕事ができるのか。幼稚園児だった子どもの前で、「つねに疲れて笑顔のないお母さん」にだけは、なりたくなかった。

 だが、長時間労働、男性優位など数々の問題を抱える映像業界において、自分の仕事によって、助けられる人たちがいるかもしれない。わかりやすく、目の前にある人と、目の前にいる作品が、良くなっていくかもしれない。考えるうちにだんだん気持ちが変わってきた。

 タイミングも絶妙だった。約五十時間もの養成トレーニングのプログラムは、あの忌まわしい疫禍のせいで、すべてオンライン受講となっていた。ちょうど通訳の仕事がバタバタとキャンセルになり、ぽっかりと時間が空いたのが大きかった。

 子どもの姿を見つめながら、次の世代が将来、映像業界に携わりたいと言ったとき、安心して背中を押せる業界にしておきたい。そう思い直した。

「こんなチャンスはない。そう思い、お引き受けしました」

浅田智穂さん

 インティマシー・コーディネーター機関「IPA」のプログラムは、じつに多岐にわたっている。ジェンダーの知識、セクシュアル・ハラスメントの実態、同意を得ることの大切さ、性的なシーンを、いかに安全にリアルに撮影するのか──。

「自分では知っていたと思っていたのに、意外と理解が違ったこともありました。例えばLGBTQ+。いろんなパターン、グラデーションがあることについて、きちんと勉強したことがありませんでした」

 スタッフを所望した水原希子からはのちに、「入ってもらって良かったです」と言葉をかけられた。

「水原さんは、ご自分のことだけではなく、仲間や、日本の映像業界、エンターテインメント界のことを考えて、このポジションが日本に必要だと考えてくださった。彼女がいなければ、私は今、この職業をしていません。大きなきっかけをもらいました」

良い化学変化が確実に起きている

 本来の仕事以外に、思わぬ収穫もあった。それは、浅田が撮影現場にいるだけで、さまざまなハラスメントの抑止力になりえるとわかったことだ。

「撮影前にスタッフリストが配られます。監督からプロデューサー、演出部、メイク部、車両部、宣伝までスタッフ全員の名前が載ったリストです。そこにインティマシー・コーディネーターの記載があると、『この作品は、ちゃんと気をつけようとしているんだ』って伝わると思うんですね。作品を守っていこう、ちゃんとやっていこう。そういうプロデューサーだっていうことが伝わる」

 浅田が訓練を受けた機関は米国にある。だが、ここは日本。欧米のプログラム通りには、なかなかいかないのでは? そう尋ねると、浅田は身を乗り出すようにして、こう答えてくれた。

「もう、そんなことばっかりですね。米国の場合、撮影開始から何時間後には必ず食事を入れなければいけない。その食事は温かいものでなければいけない。終業後、何時間は絶対に仕事してはいけないってルールがあります。翻って日本の現場は、終電・始発は当たり前。残業なんていう考えは現場にはない。1か月拘束、何週間拘束で、まるっとギャラをもらったら、もうその間には休みなんかない。『撮休』って書いてあっても、それは撮影が休みであるだけで、休みじゃないんですよ」

 インティマシー・シーン「ではない」問題が山積みの日本。インティマシー・シーンだけ欧米ルールを持ってこようとしても、うまくいかない。浅田はそこで、思い切って、視点を変えることにしたという。

「ルールがないということを私は逆手にとって、『本当に絶対に守らなければいけないことは、これですよ、ただ、あとは柔軟にやっていきましょう』っていう感じにしてみました」

浅田智穂さん

 すると、現場の雰囲気に変化が起こり始めた。最初こそ制作側からネガティブな印象を持たれがちな存在だったのが、この三年弱で、「どうすれば俳優が安心・安全な現場を築けるのか」について考えるスタッフが増えていったそうだ。

 それだけではない。「言わなくてもわかる」「空気を読む」という日本でも、時間をかけて、同意を得て、確認をしていき、シーンそのものについて話し合いを深めていく作業が、インティマシー・シーン以外のシーンにも影響を及ぼし始めたのだ。

「『他のシーンについても、ちゃんと話をしたいよね、詰めたいよね』という雰囲気が醸成されている。良い化学変化が、確実に起きていると感じます」

 浅田の仕事のことを知る俳優・スタッフが、急速に増えているのも実感している。今年浅田が関わったテレビ時代劇の、撮影前の顔合わせ時、自分の仕事のことについて尋ねたところ、半分以上のスタッフ・出演者が「知っている」と手を挙げたという。そのうえ、「入ってもらえて嬉しいです」という声をかけられた。

 とかく「体当たり勝負」のようなことが持て囃される俳優たちが、そこからちょっと脱却し、演じる自分自身がどう思うのか、どうやっていきたいのかを、自問する機会を、浅田はつくっているようだ。

アメリカで舞台芸術を学ぶ

 深緑の木立の中を清流が流れゆく、東京・調布で育った。幼少の頃のエピソードについて尋ねると、浅田の声が弾んだ。

「はっきり覚えていることがあるんです。小学校一年生のとき、家族でオーストラリアに旅行に行ったんです。飛行機に乗って、初めての海外旅行。そこに、日本人の高校生らしいお姉さんが二人、乗ってきました。『なんであのお姉さんたち、お父さんとお母さんいないんだろう?』。母に尋ねると、『たぶん、留学だと思う。勉強に行くんだね』」

 その瞬間、浅田は強く心に決めたのだそうだ。

「ぜったい、私も海外に勉強に行く!」

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「グーニーズ」など、米国の映画に影響を受けた。ミュージカル「アニー」や「レ・ミゼラブル」を観てからは、ミュージカルにものめり込み、中学に進むと、映画館にも足繁く通うようになった。「米国に行きたい」という夢想がみるみる膨らんでいった。

 交換留学や短期留学では、おそらく「体験」程度で終わってしまう。家族と相談し、米国の高校に進学することにした。米国南部・東海岸のメリーランドへ。

「留学の条件として、寮のある女子高でなければいけなかったんです。それに、西海岸だと、開放的な天候の下、のんびり遊んでいるうちに時が経ってしまうと思って(笑)、進学先を決めました」

浅田智穂さん

 英語漬けの高校生活を送りながら、舞台芸術のことを勉強したいという気持ちが、浅田には芽生えていた。当時、すでに日本は就職氷河期の寒風が吹き始めていた。このまま日本の大学に進み、就職活動をしたところで、自分の就きたい職業に就けないだろう。浅田は、高校卒業後も米国に残る道を選んだ。ノースカロライナ州立芸術大学へ。

「舞台芸術学部には、日本人学生がいなかった。それも、この学校に進学した理由でした」

 舞台照明を専攻し、照明家になりたい、という夢が固まった。四年間の大学生活を経て、ニューヨークの小劇場で照明スタッフを務めることに。

 一九九九年、浅田はいったん帰国する。米国の小劇場で培った人脈を活かし、日本でも舞台照明の仕事にありつけた。ところが──。年功序列で、しきたりを重んじる空気を感じ、当時の浅田はやりづらさを感じてしまう。

「高校・大学の多感な時期を米国で過ごしましたので、他人から見たらアメリカナイズされた面があったと思うんです。(衝突が起きたとき)自分の人格を否定されたような気持ちになってしまった」

浅田智穂さん

 今までの自分らしさを出せていない。もがいていた頃に、転機が訪れた。二〇〇〇年、日本の学生のコンテンポラリー・ダンスグループが海外で賞に輝き、お披露目公演で欧州に出かけることになったのだ。その公演に携わる知人が、浅田に声をかけてくれたという。

「通訳兼、照明担当として、一緒に来てくれる?」

一番やりたいことを一所懸命やってきた

 通訳なんて、英語が完璧に話せて、賢い人が担う職業。けれども、照明の経験や知識を活かせるし、なおかつ、欧米の感覚もわかる自分なら、ひょっとしたら役立てる。浅田は欧州へと飛んだ。

 帰国後には、当時、建設中だった「東京ディズニーシー」で、パレードなどに出演するパフォーマーやアーティスト、クリエイターたちと関わる通訳に従事した。ひとを楽しませる場所をつくり上げる場面に立ち会えたという経験が、浅田の自信に繋がっていった。

 二〇〇二年にサッカーのFIFAワールドカップ・日韓大会で、浅田は通訳として奔走した。英語を今一度ブラッシュアップしておきたい。その後そう考え、再び米国の大学へ。ニューヨークで一年間、舞台や銀幕の世界にどっぷり浸りながら、あらためて、エンターテインメントをいかに愛しているか、浅田は確認した。この業界で、通訳として生きる。そう心に決めた。

 東京に戻り、東京国際映画祭の運営事務局が募集していた通訳業に、浅田は従事することになった。そこで出会った映画プロデューサーに請われ、ロサンゼルスに毎月出張する日々が始まった。企画の立ち上げからすべて、通訳として携わっていく。撮影現場では、監督付き通訳として奔走した。

 そしてこの当時、共に汗を流してきた仲間たちが皆、約二十年の時を経たのちに日本映画界の核となった。水原希子が「日本人のインティマシー・コーディネーター」採用を望んだ時に、浅田に声をかけたのも当時の仲間だった。すべての縁を繋いできたからこそ、浅田の現在がある。謙遜の表情を浮かべながら、浅田はこんな言葉で振り返ってくれた。

「その時々で、『一番やりたいこと』だから、一所懸命やっていたと思うんですね。べつに、何か結果を残したわけではないけれど、その時に楽しくて、一所懸命やっていたことを、見ていてくれた人がいたんです」

当たり前の職業にするために

 そして浅田は今、「楽しい仕事」から、「他人のために役立てる」仕事へとシフトチェンジを果たした。俳優の人権や、ひととしての尊厳を守る。日本の映像業界にインティマシー・コーディネーターが採り入れられ、たった三年程度でありながらも、確実な手応えを感じている。そのいっぽうで、浅田は、次のステップに進まなければ、とも思っている。

「後続の育成です。現状は英語圏のトレーニング機関しかなく、英語が喋れない人は、インティマシー・コーディネーターに就けません。英語が足枷になっている方々を、トレーニングできるように、今、少しずつ動いているところです」

浅田智穂さん

 俳優からの信頼のみならず、「スタッフロールに、この肩書きが載っているだけで安心」とまで、視聴者からの支持が拡がってきた。浅田は笑顔でこう語る。

「嬉しい反面、信頼を失ってはいけない。自分はスタッフの一員という認識で仕事をしています。これが標準にならなければ。話題にも上らないぐらい、定着していくのが目標です」

 誰もインティマシー・コーディネーターの話なんかしない。その次元までたどり着きたい。俳優を守ることが当たり前になれば、やがて他のシーンも含め、作品全体も磨かれていく。撮影環境だって変わっていく。浅田が描く未来は、意外と早く訪れるかもしれない。ちょうど、この仕事が、瞬く間に世の中に周知され、受け容れられていったように。

浅田智穂さんご愛用のエコバッグとマグカップ
色々なエコバッグを集め、気分や用途で使い分けている。写真はオランダ・アムステルダム市立美術館のエコバッグ
金の縁取りが美しいマグカップはサンタクロース(!)からの贈り物

浅田智穂(あさだ・ちほ)
東京都生まれ。1998年、米国ノースカロライナ州立芸術大学卒業。2000年代初頭、東京ディズニーシーやFIFAワールドカップ日韓共催大会などで通訳を経験。2003年、東京国際映画祭では審査員付き通訳として参加。通訳や翻訳、キャストの英語台詞の指導などを担当。2020年、IPAで「インティマシー・コーディネーター」の養成プログラムを修了。インターネット動画配信サービス Netflix 作品「彼女」では、日本初のインティマシー・コーディネーターとして作品に参加。ドラマ「エルピス」(関西テレビ放送)にも同様に加わり、話題となっている。
chihoasada.com

浅田智穂さん

(インタビュー/加賀直樹 写真/松田麻樹)
「本の窓」2023年5月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『70歳のたしなみ』坂東眞理子
乗代雄介〈風はどこから〉第3回