乗代雄介『パパイヤ・ママイヤ』
もっと光を!
小説の舞台である小櫃川河口干潟は、木更津駅から十分ほどバスに乗り、そこから徒歩で三十分という場所にある。足を運びやすい場所ではないが気に入って、手帳によると二十回行ったらしい。潮の満ち引きが見たくて朝から出向き、風景を書きとめ、蟹と戯れ、ゴミを漁り、飲み食いし、浜で遊び、昼寝して、夕焼けを見て帰る。一日いても数人しか見かけない。
潮っぽい体でホテルに戻れば、バスタブに湯を張った。何となく蛇口を全開にすると、湯が白くほとばしる。うるさいし撥ねるし、この状態のままにしておく人はいないだろう。透明でしなやかな太い流れに調節する。小説も大抵はそのように書かれる。書くうちに、まして小説家になれば、歪なほとばしりのぎりぎり手前まで締める習慣がついてくる。洗練と言ってもいい。
でも、自分にとって「書く」とはそういうものではなかったはずだ。誰と関わることもなくひたすら過剰な書き方を試していた昔の自分を思った。その気分が、この素晴らしい干潟を誰もいないまま小説にしたいという変な気を起こさせた。人がいなければ風景もないが、風景を残したまま人を消すことはできないか。写真では、明るすぎる部分のグラデーションが失われて真っ白になる白飛びという現象が、多くは失敗として起こる。小説ならどうか。強すぎる光で人が消え、風景だけが残る。そんなことはできないだろうか? できないだろうが、やってみる価値はある。締めるばかりの世で、過剰な開きを旨とするようなことは誰も試みないからだ。
設定も人物も会話もほとばしりのまま惜しげもなく光を重ね、遮るものは恥ずかしげもなく取り除いた。風景だけは裏切るまいと、物語をつなぐ光を発するものを必死に探し歩いた。もっと光を! という思いで他人様の歌まで持ち出した。ぎりぎり目に映せるような輝きを見てやろうとして、実際、時々見ていられなかった。そのくせ登場人物に励まされた。書いているという気がした。
そんな過剰な光の中でも人物を認識できる読者もいれば、白飛びにうんざりするだけの読者もいるだろう。作者のこういう屁理屈を嫌わない読者までいるのだろうか。勝手にしやがれだが、もし、それらの感慨が時をずらして一人の読者の内に湧くなんてことがあるなら、小説には書く甲斐だけでなく読まれる甲斐もあるのだと自信を持って言えるかもしれない。刻一刻と景色を変え続ける干潟を見ながら、そんなことを考えていた。
乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)
1986年北海道生まれ、法政大学社会学部メディア社会学科卒業。2015年「十七八より」で第58回群像新人文学賞受賞。2018年『本物の読書家』で第40回野間文芸新人賞受賞。2021年『旅する練習』で第34回三島由紀夫賞受賞。著書に『最高の任務』『皆のあらばしり』『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』『掠れうる星たちの実験』などがある。
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著/乗代雄介