作家を作った言葉〔第17回〕滝口悠生
結構考えてみたものの作家を志した決定的瞬間みたいなのは自分にはなくて、気づいたらそれ以外にやりたいと思えることもないし、という感じで文章を書きはじめ、はじめは小説とは呼べないようなものだったのが、だんだん小説と呼ぶほかない形になっていった気がする。そういう自分の来し方にとっても重要な本や言葉はいろいろあるが、どれか選べと言われると困ると思っていろいろ遡っていくと、小学生の頃読んだ銀色夏生さんの日記にたどり着いた。
本を読むのは嫌いじゃなかったが、あまり物語性のあるものも、難しいものも好きじゃなかった。で、よく読んだのが日記の類で、角川文庫で出ていた銀色夏生さんの『つれづれノート』という日記のシリーズに出会った。基本的には毎日の出来事が淡々と綴られているタイプの日記である。
忘れられない一節は「セブンイレブンのツナマヨネーズのおにぎりはおいしいと思う」というものだ。いまでこそツナマヨはコンビニのおにぎりの定番として君臨しているが、「ツナマヨネーズ味のおにぎり」というのは当初はかなりキワモノ感があって、だからこそ日記にも支持表明のようなニュアンスを込めて記されていた気がする。そして小学生の私はそれに共感したのだった。本に書かれた他人の言葉に共感する、という最初の経験がたぶんこれで、「作家を作った言葉」としてはあまりに生活感が強くて文学的じゃないと思うかもしれないが、小説も文学も生活のなかにしかない。
自分がいまも日記の本を読むのが好きだったり、自分も日記の本を出したりしていることを思えば、その経験はたしかにいまにつながっている。もう久しく手にしてはいないのだが、『つれづれノート』シリーズはいまも継続していて、当たり前だがひとの生活が続く限り、そこにある言葉も続いていき、言葉は他人の生活や人生につながっていく。
滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう)
1982年東京都生まれ。2011年「楽器」で第43回新潮新人賞を受賞しデビュー。15年『愛と人生』で第37回野間文芸新人賞を受賞。16年「死んでいない者」で第154回芥川賞を受賞。22年『水平線』で第39回織田作之助賞受賞。近著に『ラーメンカレー』がある。
〈「STORY BOX」2023年5月号掲載〉