ニホンゴ「再定義」 第10回「ワンチャン」

ニホンゴ「再定義」第10回


 でワンチャン主義を概観するに何が重要かといえば、緒戦が想定以上にもくろみ通りに展開し、それでイケイケになった挙句、最後は十倍返しの反撃を食らって滅んでしまうという史的パターンの強力さである。これは重要でありおそらく皆知っておいたほうが良い史的原理だ。実際、歴オタ業界では割と基本知識と見なされており、世間一般でも周知済みと期待される観点なのだが、実態をよくよく見ると思いのほかそうでもない。

 なぜというに、大日本帝国にしても第三帝国にしても、緒戦のイケイケぶりのあとでやってくる劣勢時の重苦しさの話が自然に原爆とかホロコーストとか、それはそれで超デカい話題にシフトしてしまい、ワンチャン主義の問題を回収するどころではなくなってしまうからだ。テーマの重心が思いっきりズレてしまうゆえ、まるで別の話になってしまう。物語の途中でなぜかSF化して伏線が回収されずに終わってしまうミステリのようなものだが、正直、この流れに抗うのは難しい。ゆえに、このへんの史話は歴史的教訓として強力なポテンシャルを有するけど、ワンチャン主義の心理的陥穽を社会に伝えるのには向いてないといえるだろう。

 また、2014年のクリミア併合で「ワンチャンいけた」ことに味をしめてウクライナ戦争を展開して世界的泥沼にハマったプーチン権力システムの事例も、形式上はこのパターンに当てはまりそうではある。が、ウクライナ戦争については「精巧フェイク証跡を駆使した情報戦争」としての印象と社会的爪痕が大きいゆえ、史的にみて、やはり本来的な教訓の枠内では回収できなさそうな予感がある。

 さて実際、冷静に考えてみて、ワンチャン主義の行き詰まりというものはなぜパターン的な形で発生するのだろう。諸説ありうるけど、私が周囲の歴オタ・ミリオタ陣に聞いた話を総合するに、組織力学として「先例たる実績を踏まえた路線で拡大しながら」の成功サイクルが求められてしまうからだ、という感じになる。そして、その「先例たる実績」がワンチャンいけるぜ的な賭博じみた成功の連鎖だったりすると、後半、悲惨な展開になる可能性がむしろ高まるのだ。これはなにやら会社組織ダイナミズム的な話にも聞こえるが、なるほど言われてみれば、確かに大小いろいろな例に当てはまりそうだ。ビギナーズラックの反動で負けが込んできた競馬で「いや、いま自分はむしろ有利な立場にある! 最終レースは絶対勝てるから、そこに残高全額突っ込めば一発逆転でオールオッケー!」という、ダメなギャンブラーが陥りがちな心理を考えればよくわかる。最終レースは絶対勝てるって、どこに根拠があるんだそれは。しかし、第二次世界大戦終盤のドイツ軍の「ルントシュテット攻勢」(いわゆるバルジの戦い)や、日本軍の「あ号作戦」(いわゆるマリアナ沖海戦)の内情もまさにそんな感じで、特にあ号作戦では、事前のシミュレーション演習について「自軍有利ブーストかけすぎで、ありゃあマズいよ」という感想が内輪からも漏れていたあたり、実に王道のヤバみといえるだろう。

 まあ「ルントシュテット攻勢」も「あ号作戦」も、世間一般では認知度が低いのだけど。

採れたて本!【海外ミステリ#11】
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