ニホンゴ「再定義」 第8回「サボる」
当連載は、日本在住15年の〝職業はドイツ人〟ことマライ・メントラインさんが、日常のなかで気になる言葉を収集する新感覚日本語エッセイです。
動詞「 サボる 」
サボる、というのはフランス語の「sabotage」の語尾に「る」をつけて日本語化したムリヤリ語の割に、世代を超えて活力と生命力を維持している興味深い単語だ。みんな大好きWikipediaに頼らず独自に日本社会文脈での意味を定義してみると、「ルールや建前を破壊することなく、おおかたは短期的に職務や作業から逃避・逸脱すること」という感じになるだろうか。もともとは労働運動の中で攻撃的なニュアンスで使用されるべく発生した語らしいが、いつのまにか消極的な逃避行動じみたニュアンスが優勢となり固定化した印象がある。
ちなみにドイツ語ではサボることを「schwänzen」または「blaumachen」という。前者は学校をサボる時だけの限定ワードで、もともと犬が尻尾「Schwanz」を左右に振る動きに由来する。授業をサボって、街中を「ぶらぶら」するから、だそうだ。また「blaumachen」は、染色職人が染め物が染まるまで「休むしかない」ことが起源だそうで、病気でもないのに仕事を休む意味で使われている。染色職人にとっては微妙に迷惑な話だ。
そしてサボりの実態はさすがドイツというべきか、何気に極端。私の学生時代、真顔で真面目に頑張る姿勢を見せる生徒ほど馬鹿にされる傾向があった。いかに「表面上、まったく頑張っていない雰囲気を醸し出しながら何気に好成績をゲットする」のがスクールカースト的サバイバル術だった。たとえば皆で演劇の練習をしているとき、教師が急用でその場を去ったりすると、5分も経たないうちに「脱走しぐさ」を見せるものが出現し、それを非難すると「ドイツ人ぽいクソ真面目」なる烙印を押されてしまう。教師が教室に居ても居なくても変わらずに文化祭の準備を着実に進める日本の高校生の姿を見た時の衝撃は、今なお忘れられない。
またドイツでは、社会人になるとそのあたりの価値観そのものが変化を見せる。ルールに反して抜け駆け的に休むのではなく、自らの休息についての法的ルールと権利を背景に、これ見よがしに堂々と正式な手続きを踏まえた上で休みまくったり遊びまくったりする傾向が強くなる。要するに「うしろめたさ」的な要素の完全排除を優先するようになるのだ。これは、日本的なサボりの醍醐味の核心が一種の「背徳感」であり、それが社会人になってもあまり変わらず継続するのと対照的だ。俺ルールも公的ルールであるかのように周囲に見せつけるのが上手いドイツ的生活習慣のなせるわざ、と言ってしまえばそれまでかもしれないが……さて。