辛酸なめ子「お金入門」 1.新一万円札、渋沢栄一に好かれる体質を目指す

辛酸なめ子「お金入門」1
類いない感性で世相を活写しつづける辛酸なめ子さんが、お金と仲良くなって金運をアップするべく模索する日々を綴ります!

 新しいお札が発行された2024年7月3日、私は早く手に入れたいという一念で、渋沢栄一のお膝元である王子へ向かいました。新札のニュースの高揚感に身を委ねながら、内心、新しいお札と仲良くなりたいという思いもありました。同じく渋沢栄一にゆかりがある街、深谷市では新札発行の当日、銀行で一万円札の交換会が行われている、というニュースを目にしました。渋沢栄一の飛鳥山の邸宅があった王子の銀行も、新札が交換できるに違いない……と、予測して、電車を乗り継いで王子駅へ。昔、荒川区に住んでいた時、都電に乗り換える時によく利用していた駅でした。昭和感漂う商業施設があったり、都電がゆっくり走っていたり、レトロな雰囲気も魅力です。王子にゆかりがあったということは、私も渋沢栄一に縁があるということかもしれない……。そんなほのかな金運の予感を胸に、王子の某銀行へ。ちなみに新札発行日は、渋沢栄一に気に入られたくて、藍染めの染料を製造販売していた渋沢の実家にちなみ、デニムの服を着て行きました。もはや推し活、お札活のようです。(もちろん福沢諭吉翁のことも忘れず、引き続き尊敬して参ります)

 ニュースでは深谷市の銀行ではお昼過ぎくらいに新札の取り扱いを開始と報じていたので、午後に王子の銀行に行ったのですが、とくに周辺が混雑しているということもなく、むしろ閑散としていました。銀行の案内係の人に「新札に交換できますか?」と聞くと、「うちにはまだ来ていません」と、素っ気ない答えが。「こちらに入ってくるのは金曜日です」とのことで2日後じゃないと新札には交換できない、というショックな情報が。渋沢栄一の重要な拠点の街なのに、当日に新札に交換できないとは……。しかも、近くにはお札も印刷している国立印刷局東京工場まであるので、この近辺の銀行には工場直売所のようにできたての新札があるに違いない、とも期待していたのですが、当てが外れました。金運の幸先まで心配になってきて、ふらふらと周辺をさまよいました。

 駅の反対側には、都内にいることを忘れそうな小川が流れる緑地「音無親水公園」があります。憩いの場所に佇むお土産ショップは「渋沢逸品館」という名の通り、渋沢栄一にちなんだお土産を扱うショップでした。地元に愛されているのが伝わってきます。渋沢栄一の名言が個包装の袋に印刷されている「渋沢百訓饅頭」、お札のデザインを模した渋沢栄一チョコや渋沢栄一サブレ、渋沢栄一が晩年愛したオートミールが入ったパスタ、そしてリアルなお札の絵柄がプリントされた、おさつ(スイートポテト)ペースト入りの「おさつのお札パン」、渋沢栄一のロゴ入りノートやペンなど、次々と大人買い。新札が入手できなかった心の穴が少し埋まりました。お札パンは大好評で焼きたては完売。冷凍のパンを買ったら、「渋沢さんがカチカチなので解凍してから食べてください」と言われました。かわいいタッチの肖像で渋沢栄一への好感度が高まります。

 この勢いで飛鳥山に登ってゆかりの地を訪ねたいと思い、飛鳥山モノレール乗り場へ。こちらは短距離をつなぐ無料のモノレールで、約2分間で高低差18メートルを登ります。飛鳥山公園は広くて、日差しを遮るものもなく、酷暑の中、奥の方へと歩いていくと「渋沢史料館」の建物が現れました。渋沢栄一の活動を広く紹介する博物館で、こういう機会でもないとなかなか訪れないマニアックなスポットです。なんとありがたいことに、この日は新札発行を記念し300円の入館料が無料でした。少し金運が向いてきたような……。

 中に入ると、わかりやすい年表が四方の壁に貼られていて、彼の偉業を一覧できるようになっていました。「創立する」「監事となる」「取締役となる」「発起人となる」「会長となる」「建立する」といった名誉系の述語が目立ちます。自分には全く縁のない、栄光に彩られた世界です。写真も豊富で、江戸時代のちょんまげに和服姿や、若い頃のスーツ姿から、シルクハットをかぶってステッキを持った写真、かわいいおじいちゃんになった写真までの変遷を辿ることができます。

「あら、この写真とあの写真、奥さんの顔が違うわ!」というマダムの声が。渋沢栄一の写真が並んでいる一角を見ると、たしかに隣にいる妻らしき女性の顔が違います。前妻の千代と後妻の兼子でしょうか。渋沢栄一といえば、女性関係がお盛んで婚外子が20人いるという説も。失礼ながら、そのイメージが強くて、新札が渋沢栄一になったら、その女好きパワーが世の中に伝播し風紀が乱れるのでは? と内心危惧していました。でも、この史料館の展示ではもちろん女性関係には一切触れられておらず、この忙しさでいつ女性と遊んでいたのかと驚かされました。生涯で500もの会社の設立に関わったとされている渋沢栄一。今でいう「連続起業家シリアルアントレプレナー」でしょうか。設立でアドレナリンが出まくって、気分が高揚し、つい女性の方に行ってしまったのかもしれません。

 渋沢栄一の経歴を簡単に説明させていただくと、1840年、現在の深谷市に生まれ、家業の畑作や藍染めの染料の製造販売を手伝いながら勉学に励みました。血気盛んな若者の時には尊王攘夷思想に傾倒し、倒幕のために高崎城を乗っ取る計画まで企てますが、周囲の説得などもあって断念。渋沢栄一は常に引き立てられる星のもとに生まれたようで、縁あって一橋慶喜(徳川慶喜)の家臣となりました。慶喜の弟の昭武のお供として「パリ万博使節団」の一員になってパリに行きます。西洋の文明に触れて感化された渋沢栄一は、帰国してから株式会社や銀行の設立に関わり「日本資本主義の父」と呼ばれるまでに。80歳で子爵を授けられ、晩年も忙しく働き、91歳まで長生きしました。

 渋沢栄一にとって、経済と道徳は両輪で進めていくべきものだったようです。次々と起業するいっぽうで、養育院の院長として恵まれない境遇の人々を援助し続けました。また、神社仏閣にも多額の寄付や寄進をしていたようです。もしかしたらこれらの善行が巡り巡って渋沢栄一の金運を上げていたのかもしれません。自分一人が儲けるのではなく、多くの人が利益を受けるべき、という考え方の持ち主でした。年表の展示の中に、1916年、インドの詩人タゴールを私邸に招いたときの写真がありましたが、2人とも高次元の雰囲気を醸し出していました。渋沢栄一の新札で風紀が乱れる、なんて言って失礼しました。もしかしたら聖徳太子のお札の系譜につらなる、徳が高いお札なのかもしれません。渋沢栄一は、会社を設立し、国を豊かにするために『論語』を心のよりどころにしていたそうです。「何事に対しても、真心を尽くし思いやりを持たなければならない」ということを大切にしていました。女性関係も、人間が好きなので来る女性を拒まず、それぞれの人に真心を尽くした結果なのかも、と思えてきます。史料館で買った文庫『父 渋沢栄一』(渋沢秀雄著)によると、女性関係が渋沢栄一の唯一の欠点で「この欠点は栄一の人柄を、より一層謙虚にしたような気もする」とのことです。息子から見たリスペクトの気持ちがこめられていますが、女性関係によって人柄がさらに素晴らしくなるなんて、人生に無駄なことはないと思えてきます。

 史料館の横に佇むクラシカルな煉瓦及びコンクリート造りの建物、「青淵文庫」は男爵から子爵にアップグレードしたお祝いを兼ねて寄贈されたそうです。中には「栄一の日常」が書かれた紙が貼られていました。渋沢栄一が生きていた年代の、同じ7月3日の予定が記されていて、この日は午前10時に「松方公爵邸へ御出向」午後6時に「国際聯盟協会研究会(協調会館)」に用事があったようです。

 等身大パネルの横には、渋沢栄一の日常の言葉やライフスタイルが紹介されていました。「食事は好き嫌いなく何でも食べ『旨い不味いは分かるし、料理のことも多少は知っている』」「甘いものは好きで、飴をよく食べる」飴好きとはかわいいですが、脳疲労に効きそうです。食といえば、前述の伝記によると、20代の頃は貧乏暮らしで、家に出たネズミを食べたこともあったとか……。「あぶらっこくてなかなかうまかったよ」と、栄一談。食べ物の好き嫌いはなさそうです。「煙草は若いときに『日本煙草』をたしなんだが病気を患ってやめた」など、そこまで健康に気を使いすぎず、自然体で暮らしていたようです。

「凡そ多忙といふ点に就いては、余は大抵の人に劣らぬであらう。」と、本人もハードな日々を自覚していました。文庫『父 渋沢栄一』を読んで驚いたのは、82歳で渡米し、昼と夜の会食のためニューヨークとワシントンを往復した、というエピソード。バイタリティがありすぎです。この施設に展示されている本人の文章によると、ふだんは朝は6時起床で夜は12時頃に就寝し、起床後に入浴すると元気になる、とのこと。庭園を散歩し、澄んだ空気を呼吸することで心身を養うことができるそうです。忙しい日々でも訪ねてきた人とは面会し、お金が欲しいと言われることも多いようですが、「貴賤貧富を問はず、必ず面会して、相手の意見なり、希望なりを聞き、応じ得ることなら相談にも与り微力をも致して居る」と、頼りがいのあるお言葉が。本当に困っていると懇願したら助けてくれそうです。紙幣の肖像に向かって「お願いします!」と言ってみようと思いました。

 この日、飛鳥山で充実した渋沢栄一情報をインプットしただけでなく、後日には改めて王子の北とぴあで開催された「シブサワフェスタ」を訪れて、渋沢栄一グッズをさらに買い足しました。自分一人のものにせず、友人知人におすそわけすることで、渋沢栄一の理念にかない、栄一翁にも気に入ってもらえそうです。新一万円札で金運アップする方法は、お金が入ったら、その一部を世のため人のために使うことかもしれません。

 

今月の一言

金運を上げるためには、お札の肖像の人の生き方や信条を学び、見合うように努力する。

 

辛酸なめ子「お金入門」1 イラスト

 


辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
1974年東京都千代田区生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部卒業。漫画家、コラムニスト、小説家。著書に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『女子校礼讃』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』『大人のマナー術』『煩悩ディスタンス』などがある。
Xアカウント@godblessnameko

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