坂崎かおる『サンクトペテルブルクの鍋』

坂崎かおる『サンクトペテルブルクの鍋』

反復横跳び小説


 あなたはいま、サンクトペテルブルクにいます。
 そう言われて、どれだけの人が、ありありとその光景を想像できるでしょうか。ロシア、ということはわかっても、その水都としてのにおいと、華麗な建築物に過ぎる陰影は、なかなか想像しにくいかもしれません。
 あなたはいま、高崎にいます。
 この場合は、もう少し想像しやすい人は増えるかもしれません。出身の方も、そうでない方も、それなりのイメージがあるでしょう。でも、それはもしかすると、どこにでもある地方都市の灰色の様相であるかもしれません。
 あなたはいま、サンクトペテルブルクにもいれば、高崎にもいます。
 そのように言われたらどうでしょうか。恐らくあなたは困惑するでしょう。それはありえないし、この二つは全くの別物で、そこにはなんのつながりもないからです。かなり無理めな反復横跳びを強いることになります。それは事実です。事実というのはそういう風に、犬の頭と尻尾を厳然と分けたりするものですが、でも、それはやっぱりどっちも犬じゃないのか? と小説は無理やり主張してきたりします。じゃあお前は尻尾で飯を食うのかと笑う人が普通なのでしょうが、まあ尻にご飯粒がついててもよいじゃないか、なんてことを小説家は考えたりもします。

 トウシューズを鍋で煮る。
 という逸話からこの物語を書き始めました。冗談みたいな話ですが、一応、当時の新聞に伝聞ながらも記載があり、まったくの与太話ではないかもしれません。19世紀ヨーロッパを席巻していたバレエダンサーのマリー・タリオーニというダンサーのその靴を、男たちが競り落とし、鍋で煮て食べたというのです。初めは、落語の「河豚鍋」を下敷きに一万字程度の掌編で書いたそれを(オオハシ、という人物の名前はその名残です)、高崎観音という啓示を受け、どんどんと書き継いでいくうちに、あれよあれよという間に、大風呂敷を広げた、そのくせどこかせせこましい登場人物たちの煮凝りのような物語になっていきました。焼き豆腐と鱈と白菜とネギとつみれが整然と配置された鍋のような小説ももちろんいいのですが、お玉を入れてすくってみないとなにが出てくるかわからない、出てきたとしても、口に入れなければ正体もわからない闇鍋のような味わいの小説も私の好むところです。

 あなたはいま、サンクトペテルブルクにもいれば、高崎にもいて、鍋でトウシューズを煮込んでいます。
 この話は、そういう縦横上下斜めの反復横跳びをしながら読む物語です。そして、小説というものは、私があなたでもあり、あなたが私でもあり、でもほんとはそういうことはぜんぜんひとつも合ってない、というヤクザみたいなこともできてしまうところに、ある種の可笑しみがあるのだと思っています。騙されたと思って、ぜひご賞味ください。

  


坂崎かおる(さかさき・かおる)
1984年東京都生まれ。「リモート」で第1回かぐやSFコンテスト審査員特別賞、「嘘つき姫」で第4回百合文芸小説コンテスト大賞。既刊に『嘘つき姫』、第171回芥川賞候補作の『海岸通り』、第46回吉川英治文学新人賞受賞作『箱庭クロニクル』。

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『サンクトペテルブルクの鍋』
著/坂崎かおる

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