「推してけ! 推してけ!」第58回 ◆『サンクトペテルブルクの鍋』(坂崎かおる・著)

「推してけ! 推してけ!」第58回 ◆『サンクトペテルブルクの鍋』(坂崎かおる・著)

評者=前川知大 
(劇作家、演出家)

幸福な闇鍋


 闇鍋のような小説である。と誰もが言いたくなるだろう。理由は二つある。場所も時代もまったく違うエピソードが一緒くたに語られること。冒頭、半纏を着た大学生が鍋を囲む描写から始まり、そしてその鍋では靴が煮えているのだから。

 人生で二度ある闇鍋の経験を思い出してみる。鍋から飛び出た靴は漫画やコントで生まれた闇鍋のイメージで、実際はもう少し穏健である。味よりも状況を楽しむ料理なのは分かるが、やはり出会ってはいけない食材というものもあった。驚き、笑い、時に悶え、次第に受け入れる。最後はスープとして調和していく「鍋」という料理の懐の深さを実感した。

 うん、やはり闇鍋のような小説だ。幸福なケースの闇鍋。小説という表現の懐の深さを教えてくれるようだ。それを可能にしているのは、胡乱で諧謔の混じった語り口だろうか。読者に「あなたは」と語りかけ、ちょいちょい口汚く罵ってくるのが、なぜだろう、気持ちがいい。味覚がおかしくなったのかもしれない。

 さて、メインの食材を紹介しよう。19世紀帝政ロシアのサンクトペテルブルクで鍋を囲むバレエ愛好家たち。鍋で煮えているのは伝説のダンサー、マリー・タリオーニのトゥシューズだ。次、明治から昭和にかけて群馬県高崎の産業の礎を築いた実業家、井上保三郎にまつわるエピソード。井上は晩年、巨額の私費を投じて高さ41.8メートルの白衣大観音像を建立したことでも知られる。次、令和の大学生による演劇サークルの内輪揉め。巻き込まれる脚本家の男子学生とダンサーで俳優の女学生の物語。それらを遠くからみつめるロシアの英雄ピョートル大帝もいた。

 素材の距離感がおかしい。これらの物語が闇鍋よろしく一緒くたに語られる。ロシアから高崎にジャンプした時は驚き、いったいどう繋がっていくのかと読み進めるが、別に繋がりはしないのだ。でもなぜか繋がっているように読める。19世紀サンクトペテルブルクのバレエ愛好家がいつの間にか令和のうすらとんかちの大学生になっていても、それがどうした、という具合である。目まぐるしくザッピングしているうちに、登場人物が間違って違うチャンネルに出てくるような感覚になり、面白い。心地よい混乱。演劇的な乱暴さが楽しい。

 俳優でも、委ねることが自然にできる人と苦手な人がいる。戯曲に書かれた言動が飲み込めず、小骨が引っかかったように違和感が残る。ひとまず最後まで演じてみよう。そうすることで分かることがある。大抵、いつの間にか小骨は溶けて消えている。

 この小説も、委ねるように読んでいけば、自然と素材の距離感は気にならなくなってくる。調和というお行儀のよい言葉とは少し違うニュアンスで、それぞれ固有の時空を保ちながら、重なり合っていく。独特の読書体験になるのだ。読み終わってなお、「なぜに高崎?」と思い、近いうちに高崎観音を観に行こうと考えているのだから、不思議な小説である。

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サンクトペテルブルクの鍋

『サンクトペテルブルクの鍋』
著/坂崎かおる


前川知大(まえかわ・ともひろ)
劇作家、演出家。2003年より劇団イキウメ主宰。SFや哲学、オカルト等を題材に演劇作品を発表。『散歩する侵略者』『太陽』など映画化された作品も多く、映像脚本、小説も手掛ける。近年は韓国、台湾などで戯曲の上演が続いている。『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』で第32回読売演劇大賞最優秀演出家賞受賞。

◎編集者コラム◎ 『作家の愛したホテル』伊集院 静
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