作家を作った言葉〔第5回〕李 琴峰
文学を志し始めた十代、様々な作家を読み漁った。中でも張愛玲に惹かれた。正直、彼女の小説は当時の自分には難しかったが、いくつかの名言が印象に残った。「有名になるのは早いに越したことはない」。中国語圏を代表する女性作家もそう言っているのだ。その言葉は十代の自分に深く刺さった。
実際、張愛玲はかなり早くから文名を揚げた。十八歳の時に発表された「天才夢」というエッセイによれば、彼女は三歳で唐詩を諳んじ、七歳で小説を書き始めた。恋を失った女性の自死の話らしい。その後彼女は二十一歳でデビュー小説「沈香屑 第一炉香」を発表し、文壇に名を轟かせ、更に翌年には代表作「傾城の恋」を仕上げた。
張愛玲の道程は十代の自分を焦らせた。当然、私は張愛玲ほどの天才じゃない。七歳で自死を考えるような早熟さも持ち合わせていない。しかし「天才夢」だけは諦めたくない。とすれば、人一倍努力するしかない。張愛玲が名を揚げた二十代初頭がタイムリミットのように思われた。それを過ぎると凡才であることを受け入れざるを得ない。私は必死に書き、作品を発表し、いくつか小さな文学賞も取ったが、単著を出版することがついに叶わなかった。鳴かず飛ばずの十代、そして深刻なスランプに嵌まった大学時代を経て、作家の夢を半ば諦めてから日本へやってきた。
十代の私には分からなかったが、三十五歳で渡米した張愛玲のその後の人生は友人もおらず、親類縁者とも隣近所とも付き合いはなく、死ぬまで孤独と妄想性障害に苛まれたらしい。二十代で代表作を出し尽くした彼女が世を去った七十四歳までどんな生活を送っていたのか、想像もつかない。もしそれが天才の運命だとしたら、私は凡才でいいかもしれないと、三十を過ぎた今なら思える。
李 琴峰(り・ことみ)
1989年台湾生まれ。早稲田大学大学院日本語教育研究科修士課程修了。作家・日中翻訳者。『独り舞』で群像新人文学賞優秀作、『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞。著書に『五つ数えれば三日月が』『ポラリスが降り注ぐ夜』『星月夜』などがある。
〈「STORY BOX」2022年5月号掲載〉