額賀 澪『タスキ彼方』
戦時下に開催された〝靖国神社にゴールする箱根駅伝〟
2024年1月、第100回箱根駅伝がいよいよ開催されます。しかし、箱根駅伝の創設100周年は2020年でした。この4年のズレには、太平洋戦争中が関係しています。
戦時中、当然ながら箱根駅伝は中止されていました。しかし、箱根駅伝の年表を確認すると、1943年に一度だけ、唐突に箱根駅伝が復活しているのです。
1943年といえば、学徒出陣のあった年です。当然、スポーツ行事なんてものはことごとく中止だった頃。その年の1月に、どうして箱根駅伝は開催されたのか? しかも、大会名は「靖国神社・箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会」です。
現在の箱根駅伝は大手町・芦ノ湖間を往復するルートですが、この年の箱根駅伝は「靖国神社をスタートし、箱根神社で折り返し、靖国神社にゴールする」という駅伝だったのです。そして、箱根駅伝を走った選手達は、数ヶ月後に学徒出陣によって出征していきます。多くの学生がそのまま戦地で命を落としました。
当時の政府が、国民の戦意高揚のために箱根駅伝を利用したのではないか?
多くの人がそう思うかもしれません。私も当初そう思いました。果たして、本当にそうなのか? という疑問も、同じくらいありました。
選手達はどんな気持ちでこの大会に参加し、箱根路を走ったのか? 一人の駅伝ファンとして、駅伝小説を書いてきた作家として、この「戦時中の箱根駅伝」を書いてみたい。そんな思いから、『タスキ彼方』は生まれました。
第100回箱根駅伝を控え、本戦出場に躍起になる新米駅伝監督・成竹と、駅伝が大嫌いな学生最強ランナー・神原が、アメリカで入手した日本兵の日記。そこに綴られていたのは、太平洋戦争中に箱根駅伝に関わったとある学生の証言。この日記をきっかけに、成竹と神原は戦時中に箱根駅伝がどうして開催されたのかを知ります。
『タスキ彼方』を書き上げてつくづく思うのは、箱根駅伝はただ続いてきたのではなく、いつの時代も誰かの「続いてほしい」という願いのもとに続いてきたということです。まさにタスキのごとく誰かがつなぎ続けてきたからこそ、100回大会は開催されるのです。
この作品を通して、その「継走」を感じていただけたら嬉しいです。きっと、第100回箱根駅伝がより輝かしいものに見えるはずです。
額賀 澪(ぬかが・みお)
1990年茨城県生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒業後、広告代理店に勤務。2015年に『屋上のウインドノーツ』で第22回松本清張賞を、『ヒトリコ』で第16回小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。2016年に『タスキメシ』が第62回青少年読書感想文全国コンクール高等学校部門課題図書に。その他の著書に『ウズタマ』『風に恋う』『沖晴くんの涙を殺して』『転職の魔王様』『青春をクビになって』など多数。
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『タスキ彼方』
著/額賀 澪