小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第19話
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第19話
朝になったら帰ってほしい
朝になったらまほうがとける、というようなことでもない。もともとまほうじみてなんかいないもの。兎にも角にも、朝になったら帰ってほしい。ほんとうは朝になる前に帰ってほしい。もちろん、わたしがあなたの家へ行ったら、朝になる前にベッドからぬけだして、まだまだ浅い夜を歩いて、わたしはわたしのベッドで眠ることを約束しよう。
どうしてそんなふうに思うのか、わたしもわからない。でも、どうしてもそうなのだ。
さりとて、人の眠っているところを見るのは、けっこう好きだったりする。
真夜中のスーパー銭湯の休憩室には、眠っている紳士淑女の群れがあり、口をぽかーと開けて眠っているひとがあれば、頭の上までブランケットをかぶっているひとがあり、豪快ないびきをかくひとがあれば、ぷつぷつ寝言をつぶやくひとがある。そのさまざまな寝姿を、散歩ついでに眺めていると、こころのどこかが癒されたりする。
それなのに、部屋に朝のひかりがさしても、わたしのベッドの上で、すやすや眠るあなたをみると、たまらなくうっとうしい、のは何故でしょう。
気を抜いているところを見られるのがいやだから、というのはひとつあると思う。けれど、前の夜、ほんの数時間前、あんなに気を抜いているところを見たり見せたりしたのに、朝はすべてを、はじまり、に戻してしまうようなところがあるのかないのかしらないけれど、「なにもなかったということで」というような心の言い草を、わたしは無視することができない。
あなたがやっと起きてくると、わたし、微妙に顔が固まって、あなたと何メートルも距離をとり、「おはよう」とだけ声をかけて、珈琲のひとつも淹れようとしない。水すら言われなければ出さない。
「そんなに帰ってほしそうな顔しないでよ」とあなたは笑いながら言って、
「そんなことはないけど」と言いながら、わたしは内心ほっとする。
ある夜、うちに泊まるのはいいけれど、わたしは朝が来るとすごくつめたくなってしまうようだから(それはほとんど避けようのないことで、全自動的にやってくる心もちであるから)、その感じになっても、どうか傷つかないでほしい。と言ってみると、あなたは日の出の時間を調べて、午前五時四十分にアラームをかけた。それからすこし眠って、リリと鳴ったアラームを止めたら、ふわりとベッドから出て、あんまり音もたてずに帰っていった。一切声もかけられなくて、あれは、ほんとうに、すてきだった。わたしは甘やかなきもちになった。わがままを聞いてもらったうれしさなのか、受け入れてもらったあたたかさなのか、離れるときのすずやかさなのか、上手に判別できないけれど、すごくいい気分だった。それから、わたしはわたしのベッドでひとり、夕方までこんこんと眠った。
けれどときどき、正午を過ぎても、あなたのベッドから出ないことがある。それは約束がちがうけれど、だから、約束がちがうのは、それは、やっぱり、好きなひととは昼ごはんなどを食べてから解散したいからである。そういうきもちはわたしにだってある。実は、あるのだ。では、朝になったら帰ってほしい、と思うひとたちのことは好きじゃないのか、と聞かれると、真正面からは好きでない、と答えるほかない。だから、そうやって、あなたのベッドのなかで「昼ごはんでも食べようか」と誘われるのをひそかに待っているとき「仕事に行かなきゃなあ」などとつぶやかれると、すごく哀しくて、背筋が伸びる。現実のただしさに、後もどりする。わたしはすぐに服を着て、そそくさとあなたの部屋をでる。昼のひかりに全身をさされながら、最寄りの駅に歩いて向かっていると、もうこんなことはやめようと自然に思う。自分のことを大切にしよう、などと思う。
わたしがあの日感じた甘やかなきもちは、ひとのきもちを踏みにじる快感だった。いやなことに気づいてしまった、と二重にくるしいような気がしたけれど、電車に乗り、家に帰って、ごはんを食べて、寝たら、忘れた。
小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得。24年に大幅な加筆を経て実業之日本社から商業出版された。その他著書に『これが生活なのかしらん』(大和書房)がある。