こざわたまこ『教室のゴルディロックスゾーン』スピンオフ小説「私の好きな音」

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『未緒は、高校行っても続けるの? 吹奏楽』

 教室に戻る途中、優花からそんなことを聞かれた。

『あー、いや。……どうだろ』

 こういう話になるとは思わず、咄嗟とっさに口ごもってしまった。

『迷ってるんでしょ。××高のこと』

『えー。何、急に。もしかして、ともやんから聞いた?』

 まあね、と優花がいたずらめいた表情を見せる。あのお喋りめ、他の人には言わないでって頼んだのに。未緒、ごめーん。あっけらかんとした調子で舌を出す、ともやんの顔が目に浮かんだ。

 ××高校は吹奏楽の強豪校だ。もう何年も全国大会の常連校として名を馳せている。進学の話になると、大人達は口をそろえて、高校生になって本気で吹奏楽をやりたいならここを目指しなさいと言う。

『未緒なら推薦とかいけるんじゃないの? 腐っても部長なんだし。後輩の面倒とか、よく見てるじゃん』

『腐ってもって何よう』

 これで結構大変なんだからね、と口を尖らせると、ごめんごめんと笑いながら優花が私の肩を叩いた。

『で、どうなのよ。受けんの?』

『えー。まだわかんないよ、そんなの。そもそも私が受かったところで、だしさ……。てか、いいんだって。私の話は』

 しどろもどろになった私を見ても、優花は特に表情を変えず、ふうん、とだけつぶやいた。優花につられて窓の向こうに視線を移すと、外はすっかり暗くなっていた。優花の視線の先で、校庭の土をならす運動部の生徒達が、豆粒みたいにちょこまかと動いている。

『私は好きだけどな。未緒の音』

 私よりうまい人に言われてもな。一瞬そんな言葉が頭をもたげて、いやいや、さすがにそれは卑屈過ぎでしょ、と思い直す。

『……え、じゃあ私も聞いていい? 優花はどうするの』

『え?』

 自分が質問を受ける側になるとは思っていなかったのか、優花は面食らったような顔をして、そうねえ、と苦笑いを見せた。

『うーん。ユーフォは嫌いじゃないけどね。この先はもう、趣味でいいかなって』

 ほら、私要領悪いからさ、と優花が肩をすくめる。

『去年の夏期講習とか、地獄だったもん。あの感じで両立とか、絶対無理』

 こんなこと言ってるけど、優花って意外と何でもできるんだよなあ。勉強だってスポーツだって、そつなくこなせてる。その上多趣味だし、プライベートも充実してるみたいだし。私は優花が何かにつまずいているところを見たことがない。優花の志望校は、県内でも有名な難関の進学校だ。去年の夏休みに夏期講習を受けていたのも、それを見据えてのことらしい。今の時点で自分の進路が定まってるのもすごいけど、そこに向けて走り出してるのはもっとすごい。私なんか、志望校すら決まってないのに。

『勉強についてくだけでも大変そうなのにさ。その上部活もってなったら、趣味にかける時間も今より少なくなっちゃいそうだし』

 この期に及んでなお、言い訳めいたことを口にする。そんな優花を、ちょっとだけ白けた気持ちで見つめてしまった。優花には、忙しい高校生活がすぐそこに見えているんだろう。いつ来るかもわからない遠い未来なんかじゃなくて、手の届く現実として。つまり高校も、受かることが前提なわけで。ユーフォの演奏は優花にとって山程ある、「できること」のひとつでしかないんだろうな。

『そこまでして続ける情熱、私にはないかなあ』

 そっか、とつぶやいた自分の声が、わずかに震えるのがわかった。

『……でも、正直もったいないな。優花、せっかくうまいのに』

 私なんかより、ずっと。すると優花が、そんなことないって、と謙遜けんそんしたように首を振った。

『私レベルの人間なんて、全国に掃いて捨てるくらいいるよ。全然大したことない』

 え。じゃあ、私は? その掃いて捨てるレベルにすらなれてない、私はどうなるの? そう言いたいのを、すんでのところで飲み込んだ。腕に抱いたユーフォニアムが、心なしかいつもより重い。首元のストラップが皮膚にくい込んで、キリキリと痛かった。黙り込んだ私を、優花が不思議そうに見つめている。

 本当は高校だって、優花みたいな人が受ければいいんだと思う。優花の方が音ものびやかで、うたい方だって私よりずっと上手だ。立奏だって、すいすいこなす。この前の演奏会でも、いちばん目立つソロは満場一致で優花に決まった。元が違うって、こういうことを言うんだろうなって思う。優花は練習の時も、びっくりするくらいなめらかで澄み切った音を鳴らす。

 部長のことだってそう。一年生の三学期に行われた部内投票。開票時は、優花の得票数の方が多かった。優花が親から反対されたとかで辞退したから、たまたま次点の私がなったってだけ。みんな本当は、部内でいちばん演奏がうまい優花になってほしかったって思ってる。そしたらきっと、先輩達にもごちゃごちゃ言われないですんだのに。

 春の演奏会を聞きに来たOGの人達が陰で、随分レベル落ちたね、みたいなことを言っていたらしい。ともやんは怒っていたけど、一緒になって文句を言うことはできなかった。だって、本当のことだし。そんなの、私がいちばんよくわかってる。私達の代が先輩達の演奏に全然追いついてないってこと。

 それに比べて、南条なんじょう先輩はすごかったな。先輩が部長の間は卒業した人達に勝手なことを言わせなかったし、何より先輩はうちら吹奏楽部のエースで、普段から私の背中についてこい、みたいな空気をまとっていた。先輩に憧れて、部活に入った子達はたくさんいる。私もその一人だ。部活紹介の時に吹いていたソロが、すごくかっこよくて。未経験だからと迷っている私に「一緒にやってみない?」と声をかけてくれたのも、先輩だった。私はそういう風にはなれない。同じ部長なのに。後輩に指導する時はいつも、偉そうにして、じゃあお前はどうなんだよって声が頭の中でこだまする。

 でも、その先輩だって結局、高校ではユーフォを辞めてしまった。あんなにうまかったのに。本人は、燃え尽き症候群だって笑ってたけど。

 私よりも才能のある人が、私が欲しかったものをいとも簡単に手放す場面を、これまで何回も見てきた。それが、すごく嫌だ。そんなのただの八つ当たりだって、自分でもわかってる。わかってるけど、やっぱりモヤモヤする。じゃあその才能くれよ、って思う。いらないなら、そんなに簡単に捨てるなら、私にくれればいいのに。

 なんでなんだろう。なんで私は吹奏楽を続けたい、って思っちゃうんだろう。たいした才能もないくせに。優花や先輩の方が、その道にふさわしいのに。ふさわしかったはずなのに。だから余計に思う。私でいいの? 私なんかがこの先もユーフォ、続けちゃっていいの?



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『教室のゴルディロックスゾーン』
こざわたまこ


こざわたまこ
1986年福島県生まれ。専修大学文学部卒。2012年「僕の災い」で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。同作を収録した『負け逃げ』でデビュー。その他の著書に『仕事は2番』『君には、言えない』(文庫化にあたり『君に言えなかったこと』から改題)がある。

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