話題沸騰、たちまち重版記念! 水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』ためし読み

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「そんなに頑張らなくてもいいから」

「だって、このパトカーを待っている人がいるんですよ!」

「桐嶋さんは女警、それも有名人じゃないか。無傷で交番勤務を終えれば、好きな部署に行ける。白バイでも刑事でも内勤でも、好きなところを選ばせてもらえるさ。手柄をあげるため頑張る必要はないよ」

「なぜ私は特別扱いなんですか」

 千隼は青山のことを思い出した。青山は刑事志望を公言し、上にアピールするため、職務質問や交通取締に血道をあげている。しかし夢は叶っていない。

「女警はまだまだ数が少ないからね。それに、地域課の外勤は、色々と危険な現場も多い。新任のうちは仕方ないけれど、女警がずうっといるところじゃないよ」

「私、部署を変わりたくないです。次は、自動車警ら班を希望するつもりです」

 自動車警らは、パトカーで巡回し、一一〇番通報があればいちはやく現場へ駆けつけるのが任務だ。

「それでは今と同じ地域課だ。制服勤務で当直もある。内勤と違って土日休みじゃないし、刑事のように威張れもしないよ」

「でも、誰かが助けを呼んでいるところへパトカーで駆けつけていくのって、一番やりがいがあると思うんです」

「桐嶋さんは、新任でまだ現場の怖さを知らないから、そういう気楽なことが言えるんだよ」

 この人も私を邪魔者だと思っているのかもしれない──胸に苦々しいものが広がる。千隼は、野上の話を思い出し、右手で拳銃ケースを触った。

「いざとなれば拳銃があります。ためらわずに使えと言われました」

「怖いのは犯人だけじゃないよ。うちの会社は、失敗したやつに厳しいよ」

 ナビの指示どおり左折すると、街路灯の数が減り、前方の暗闇が深くなった。

 道幅が広くなる。この道路は、工場誘致のため県が造成した広大な土地を中央に貫く。法定の規格を超えた大型トレーラーでも通行しやすいよう、高速道路のように片側二車線で中央分離帯が設けられている。

 右側を見れば、旅客機の格納倉庫のように巨大な建物が並んでいる。事務機器会社の物流倉庫だ。対照的に、左側の区画はまだ売れておらず、平原が広がっている。

「現場に一番乗りしたやつが初動対応を失敗して、容疑者を逃がしたとか、怪我人が出たとか……そうなったら責任を取らされる」

「給料を減らされるとか……?」

「扱いが変わる。交番に戻されて、課長が自分にだけ厳しくなって、小さなミスでもみんなの前で怒られて、他の仕事を探せ、とか言われる。周りも何となく察して、飲み会なんかに誘われなくなる。かといって、辞めるのも怖い。熱心に仕事していた警察官ほど、あちこちで恨みを買っているからね。警察の看板を失ったら、どうなることか」

 千隼はそっとナビに目をやった。到着予定時刻が先ほどより遅くなっている。

「拳銃を使った場合、本部あての書類をたくさん作り、警察庁にまで報告が上がっていくんだよ。すごく面倒くさい。警棒で対処できなかったのか、逮捕術の訓練が甘かったんじゃないのか、所属ではどんな指導をしていたんだ……と県警の幹部が怒りだす」

 牧島の語りが終わらない。千隼はじれったい気持ちで腕時計を見た。出動の指示を受けてから、もう五分が経過している。こっそりとサイレンのスイッチに指を伸ばしていったが、牧島に気づかれ、手を払いのけられた。

「……急ぎましょうよ!」

「失敗しないコツは、頑張りすぎないことなんだよ」

 ハイビームが前方の暗闇を照らしている。路肩にバンが停車しているのを見て、牧島は慎重にハンドルを操作し、バンの脇を通り過ぎた。

 牧島が左右に視線を走らせた。

 パトカーが風を切る音に混ざって、オートバイの音が聞こえてくる。ブォン、ブォンという爆音だ。

 千隼は後方を振り返り、暗闇の中にオートバイを探したが見当たらない。

 空には雲が垂れこめていて、月が見えない。闇がひときわ深い夜だ。

 国道との交差点まで約一キロメートル。左右両側とも工場を建設中で、白く塗られた鉄塀が続いている。その鉄塀が終わったところで、不意に、左から黒い影が飛び出してきた。

 瞬間、ヘッドライトがオートバイの横側を照らしだす。

「おおっと!」

 牧島が素早くブレーキを踏んだ。急制動の衝撃でシートベルトがロックされ、千隼の身体が締めつけられた。

 紫色に塗られたガソリンタンクがライトを反射し、ひときわ明るく闇に浮かぶ。

 乗っているのは、半帽型のヘルメットを被り、ジャンパーを着た少年だ。

 少年がこちらを振り向く。千隼と視線が合った。

 パトカーのタイヤが甲高い音を立てている。タイヤと道路との摩擦が失われ、パトカーの車体が道路上をすうっと滑ってゆく。

 少年の顔──驚きに目を見開いた顔が迫ってくる。

 千隼が小さく悲鳴を上げたとき、パトカーがようやく停止した。牧島が荒く息を吐いている。

 オートバイは、左へと旋回してパトカーの前を走っていった。二度、三度と少年が振り返る。こちらがパトカーだと気づいたのだろう。少年は道路に唾を吐いた。それから、アクセルグリップを忙しく動かし、パトカーを威嚇するように、小刻みにエンジンの空ぶかしを繰り返した。

 マフラーが途中で切られており、排気音がやかましい。

 少年はパトカーの行く手を遮るように蛇行運転をはじめた。テールライトの赤い光が左右に揺れた。



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水村 舟



水村 舟(みずむら・しゅう)

旧警察小説大賞をきっかけに執筆を開始。第2回警察小説新人賞を受賞した今作『県警の守護神 警務部監察課訟務係』でデビュー。

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