話題沸騰、たちまち重版記念! 水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』ためし読み

『県警の守護神』バナー

 とたんに記者たちの手が止まり、部屋の中が静まり返った。

「桐嶋千隼という人物の来歴は、非常に知名度の高いアスリートでしたので、今さら、説明は不要かと思います。本件訴訟において、加害公務員として責任を問われるのは、その桐嶋千隼です。

 彼女は、まず、パトカーの運転を誤ってバイクを転倒させた。次に、赤色灯をつけずにパトカーを路上に停め、後続車による事故を誘発した。さらに、少年を救護すべきところ、暴走族であると誤解し、少年を取り押さえようとして、危険のある道路上から退避するのを妨害した。そして、危険を察知するや、いちはやく自分のみ退避し、少年を路上に放置した」

 静寂の中、丸山京子がわずかに息を吸い込む。

「逃げた後続車も悪いけれど、桐嶋千隼巡査はそれ以上に悪い。さらに、警官の過失を隠蔽した警察も糾弾されるべきです」

 池田が手を上げた。

「証拠はあるのですか」

「目撃者を証人として確保しています。訴訟方針については、本日のところはこれ以上お話しできません。法廷へ傍聴に来てください。民事訴訟の場で、すべてを明らかにしてみせます。第一回口頭弁論の日が決まりましたら、皆様にお知らせいたしますので」

 丸山京子は席を立ち、ぶら下がろうとする記者を相手にせず、記者クラブを出ていった。

 まだ記者クラブに騒めきが残っている中で、池田が高崎に聞いた。

「このR県警には、警視庁のように、独立した『訟務課』はないのだろう」

「小規模の県警本部ですからね、そこまでの人員は割いてません。警務部監察課の中に『訟務係』があるだけです」

 訟務担当の任務は、警察が訴えられた場合に事件を処理すること──要するに、裁判に勝つことだ。

 警察官は公務員なので、弁護士資格がなくても、事件ごとに指定されれば、訴訟代理人として法廷に立つことができる。しかし、訴訟には専門知識と経験が要求される。どこの警察本部でも、監察部門には、刑事、交通、公安などの各分野からエース級の職員が送り込まれているものだが、警察官だけで全て処理することは難しい。

 顧問弁護士に事件処理を委任してサポートに徹するか、あるいは、警察官だけで訴訟追行するにしても、顧問弁護士の指導を受けた上で行うことが多い。

「R県警の顧問弁護士は、どんな人?」

「日弁連の役員も務めたベテランがいますよ。ですけれどね」

 今度は、高崎が内緒話をするように身を屈めた。

「この県警には、弁護士資格を持った職員がいるそうなんですよ」

「ほう、警察では珍しいな。行政では、任期付職員として弁護士を任用することが増えてきているそうだが」

「いや、任期付じゃなくて、プロパーの警察官なんです。階級は巡査長のようですから」

「ますます珍しい。どうして警察官なんかに」

「それは知りませんが……ここぞというときは、外部の弁護士を使わず、彼に担当させているようです。無敗で、内部では『県警の守護神』なんて呼ばれているようですよ」

 

 

 記者会見からさかのぼること三週間前──二月半ばに、千隼は退院していた。

 独身寮に戻ったが、二月いっぱいまで療養休暇を命じられていたので出勤はできない。

 体力を戻すためにジョギングやジム通いを始めたが、一週間ほどで運動量が物足りなくなった。

 原付バイクで帰宅する途中、頬を打つ風が春のぬくもりを帯びてきたことに気づくと、久しぶりに自転車に乗りたくなった。

 競輪選手だったときは高価なフレームやパーツを何台分も持っていたが、引退時に全て同地区の後輩にあげてしまった。

 仕方ないので、ネット通販でロードバイクを一台買った。サイクルジャージとヘルメット、それに、顔を隠すためのサングラスも揃えた。

 最初の数日は、幹線道路を二、三百キロ走るだけ。しかし、その程度は、かつて基礎トレーニングとして毎日こなしていた走行量だ。すぐに物足りなくなり、県北の山岳地帯へ行き、日が暮れるまで、ひたすら登っては降りてを繰り返した。

 標高約八百メートルの山を登る道を、麓から一気に駆け上がる。

 小学校のスクールバスとすれ違う。子どもたちが「がんばれぇっ!」と声をかけてくれる。

 最初は、頂上付近の展望駐車場に着くと、息苦しくて倒れ込むぐらいに辛かったが、数日で平気になった。

 ぐいぐいと急坂を上っていく千隼に、もう、スクールバスの車内から応援は聞こえてこない。子どもたちは「凄い、速ええっ、格好いいっ……!」という驚きの声をあげている。

 千隼は、息を弾ませながら、片手でサングラスを下げ、微笑みながら手を振り返す。

 ──もう大丈夫だ。私は元気!

 山頂からH署に電話し、すぐにでも療養休暇を打ち切り、復職させてくれるよう願い出た。

 

(続きは書籍でお楽しみください)



【好評発売中!】

県警の守護神 警務部監察課訟務係

『県警の守護神 警務部監察課訟務係
水村 舟



水村 舟(みずむら・しゅう)

旧警察小説大賞をきっかけに執筆を開始。第2回警察小説新人賞を受賞した今作『県警の守護神 警務部監察課訟務係』でデビュー。

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第1話
椹野道流の英国つれづれ 第26回