話題沸騰、たちまち重版記念! 水村舟『県警の守護神 警務部監察課訟務係』ためし読み
発売1ヶ月で重版出来! 「週刊文春」「共同通信」「週刊ダイヤモンド」など、書評も続々と出ている話題作『県警の守護神 警務部監察課訟務係』。今回は重版記念として、プロローグから第一部の途中までを大公開します。今野敏氏も「この新人がデビューしたら私の立場が危なくなるんじゃないか、と思うくらい評価した」とコメントを寄せる注目の本作、この機会にぜひ読んでみてください!
プロローグ
警察はよく訴えられる。
不当に犯人扱いされた、警察官に怪我させられた、車を傷つけられた──
民事上のトラブルは、話合いで解決できなければ法廷に持ち込まれる。警察側が被告席に座り、警察官が証人尋問に引きずり出されるのは、珍しいことではない。
そう、よくあることだ。これまでにも数多くの事件を審理し、感情を挟まず、判決を書いてきた。
しかし、どうして、今日に限って──
裁判官席で、荒城は、幾度もハンカチで額を拭っていた。嫌な汗が止まらず、胸の鼓動が速くなる。
証人尋問を中断させ、証言台にいる男を叱りつけたい衝動に襲われていた。
今さらここで言い訳をして、何の意味があるのですか──と。
「私は何度も署の幹部に言いました。相談者──原告の娘さんの身を護るため、ストーカー規制法の警告を出すべきだ、と」
証人として呼ばれているのは、生活安全課所属の警察官だ。警察が依頼した弁護士からの質問に答える形で、自らが取った行動を説明している。緊張しているのか、貧乏ゆすりがひどい。
原告席では、老夫婦が体を寄せ合い、身を固くして証人尋問の成行きを見守っている。
ストーカーの凶行に遭い、一人娘を喪った。それを防げなかったのは、警察の対応が悪かったから──というのが原告側の主張である。
荒城は、裁判官になってから五年余のキャリアを積んでいる。当事者がどれだけ法廷で涙を流そうとも、心を動かされぬように努めてきた。
この事件でも、情に流されることなく、冷静に審理を進めねばならない。
ポイントは、この警察官が職務を怠ったのかどうか。次に、職務を誠実に遂行していたならば凶行を防げたのかどうか。それだけを考えればよい──そして、それ以外を考えてはならない。
質問者が原告側の弁護士に交代する。
「ストーカー規制法に基づく警告の発出について、いったい、何をどのように検討していたのですか。結果として、何ら有効な手立てがされないまま、凶行が引き起こされてしまった」
「……相談を受け、つきまとっているという男に連絡を取りました。すると、弁護士を連れて警察署に乗り込んできて、事実無根であるとか、警察を訴えるとか言われたのです。それで、この件はよく調べて、本部にも連絡して、慎重に対応しなくては、と……」
証人は背中を丸めて言葉を濁した。
「質問に答えてください。あなたは警告発出について検討していたと言う。どんな検討をしていたのかを聞きたいのです」
「それは、ええと……」
「答えられませんか。つまり、本当は、警告発出に向けた検討をしていなかったということですか」
弁護士が、ちらりと荒城の方に視線を投げてきた。今の発言はポイントになりますよ──と念押しをするように。
「質問を変えます。男が連れてきた弁護士は、もし警告を発出した場合、あなたをはじめ、対応した警察官を訴えると言いませんでしたか」
「……言われました」
「訴えられたら面倒ですよね。だからあなたは、本当は、法的手段によらずうやむやに丸く収めようとしていたのでは?」
証人の視線が宙を泳ぐ。
地方裁判所の建物は老朽化し、窓ガラスのアルミサッシは隙間だらけだ。エアコンの働きが悪く、法廷内の室温が上がらない。証言台の傍らには石油ストーブが置かれていた。
あの事件が起きたのも、冬の寒さが厳しい日だった──
俺が、あのとき。
裁判官という立場を気にせず警察署に出向き、刑事を呼びつけ、しっかり動けと文句を言えばよかったのだろうか。
警察の対応が鈍いという愚痴を、幾度も聞かされていたのに。
法廷では、証人と弁護士のやり取りが続いている。
証人の輪郭がぼやけてくる。荒城は眼鏡を外し、右手で目をこすった。
荒城は、スーツの上から黒いシルクの法服を纏っている。黒は、何物にも染まらないという公正さの象徴だ。裁判官が証人尋問で心が乱されるようなことは許されない。
気がつけば、原告側の弁護士が反対尋問を終え、席に戻っている。荒城は眼鏡を戻した。
「最後に、裁判官の荒城からも質問をします」
証人の男が背筋を伸ばした。
「教えてください。どうすれば、あなたは、男が連れてきた弁護士の脅しに屈せず、速やかに、原告の長女を護るための行動が取れたと思いますか」
「は……?」
「あなたの考えで結構です。お聞かせください」
一段下の机に座っている書記官が、真っ先に振り向いて荒城を見た。
わかっている。
証人尋問は、証人が自分自身で見聞きしたことを尋ねる手続だ。個人的見解を質す場ではない。そんなことはわかっている。
「警察にも法務部門があるでしょう。弁護士の対応などはそちらに任せて、あなたは、市民を護ることに専念できなかったのですか」
被告席には、弁護士のほか、警察本部の訟務担当が二人座っている。そちらを意識してか、証人の声が小さくなった。
「訴訟が起きたら大変だ、何とか現場で収めろ、と言われるばかりで……そんなこと言われても……」
「警察官のあなたは国民を護る。そして、あなたが訴えられたら、警察の訟務担当があなたを護る。そういう仕組みですよね?」
荒城は被告席に視線を投げた。訟務担当の二人は答えずに、目配せを交わし、嫌な役目を押しつけ合っている。
荒城は目をつぶった。
俺は裁判官だ。
俺の仕事は、事件が起きてから、冷静に、後追いで審理すること。裁判官のままでは、出来ることはない。
そう、裁判官のままでは──
『県警の守護神 警務部監察課訟務係』
水村 舟
水村 舟(みずむら・しゅう)
旧警察小説大賞をきっかけに執筆を開始。第2回警察小説新人賞を受賞した今作『県警の守護神 警務部監察課訟務係』でデビュー。