新刊『リングサイド』収録▷「ばあちゃんのエメラルド」まるごとためし読み!

新刊『リングサイド』収録▷「ばあちゃんのエメラルド」まるごとためし読み!

 この頃、俺はプロレス博物館で、アメリカのプロレス団体WWEが台湾に興行に来るという宣伝を見た。以前、日本のプロレス団体も何度か台湾に来たことがあったけど、俺はまだ小さかったし、小遣いもなかったから観に行ったことはなかった。掲示板で俺がいつも議論している何人かが、みんなで一緒に観に行こうぜと呼びかけていた。俺はついまた余計な冷やかしを書き込んでしまったんだが、やつらに「生で試合を観たことのない人間につべこべ言われる筋合いはない」と一蹴された。なんだよ! 生で試合を観たのがそんなに偉いのかよ? いや、確かに俺は一度も生で観たことがないけど、それが何なんだよ!

 
 阿西は、俺が唯一プロレスの話ができる幼馴染みの同級生で、家も近所だ。しかも悪運の強さを発揮して、俺と同じ大学に受かっちまった。「プロレス博物館」という素晴らしいサイトを教えてくれたのもやつだった。

 俺は阿西に、掲示板で俺を援護してくれるよう頼んだ。もちろん、やつは俺の味方をしてくれると思ってたよ。ところが阿西はアメリカン・プロレスを観に行くって言い出しやがった。なんだよ! 裏切りじゃねえか。阿西が言った。少なくとも一度観たら、あいつらも俺たちのことバカにできなくなるぜ。しかも生の試合を観られる機会なんて毎日あるもんじゃない。今ならちょうど夏休みだし、金だってムダに持ってるだろ。

 俺はポケット中の祝い金を探ってみた。チケット幾らだよ? 一〇〇〇元。高えよ!  やつらはアメリカから来るんだぞ。最前列か? 夢見んなよ、最前列なら五、六〇〇〇元するよ。

 はぁ……、毒を食らわば皿までだぜ。一〇〇〇元払って最後列で何を観るってんだ。俺と阿西は媽祖廟の向かいのコンビニの機械で二五〇〇元のチケットを買った。祝い金は半分飛んでいっちまった。

 
 面白かったかって? まあそう焦るなって。

 金を節約するために、俺のスクーターの尻に阿西を乗っけて、朝早く出発した。途中何度も道に迷って、ようやくあの林口体育館とか何とかいうところにたどり着いた。林口体育館は、新北市の林口にあると思うだろ? 違うんだよ。明らかに桃園市の亀山にあるのに、なんで林口体育館って言うんだろうな。どっちにしろ、林口の隣は亀山、亀山の隣は林口なんだけどさ。道路標識もわかりにくいし、山道は走りにくくって、俺は新しいスクーターが心配でならなかったよ。

 うん、アメリカのプロレスラーはさすがにいいもの食ってんだろうな。俺はあんなガタイのでかい人間を初めて見たよ。

 熊かと思ったぜ、って阿西が言った。お前、熊見たことあんのかよ? いや、ないけどよ。

 悔しいけど、アメリカン・プロレスのファンの数には圧倒されたね。しかもかわいい女の子のファンもたくさんいた。何かおかしいだろ?

 ……えっと、どこまで話したっけ? そうだ、試合ね。最終マッチは確かに面白かったよ。特別ルールのTLC戦だった。つまり、テーブル(Table)、はしご(Ladder)、椅子(Chair)の使用が認められた試合のことだ。TLCっていうのは、この三つの凶器の英文の頭文字をとったんだ。椅子が選手の背中に当たると、どんなに大きい音を立てるか知ってる? バン! ボン! バン! ボン! まるでスタジアムの中で雷が鳴ったみたいだったよ。それと、折り畳みの机を開いてそこに置いてだな、コーナーポストの上から相手を投げおろすんだよ。バシャーン! テーブルはぺちゃんこに潰れちゃってさ、脚なんかぜんぶ曲がっちゃってさ、板なんか木っ端微塵に砕け散ったぜ!

 俺と阿西はそれを見てさ、遠い二階席だったけど、思わず立ち上がって吠えちゃったぜ。まあ吠えてたのは俺たちだけじゃなかったから、ちっとも恥ずかしくなかったけどさ。うん。まあ俺も周りに合わせてたって言うかさ、盛り上がったんで、ちょっと合わせてみたんだ。

 うん。ちょっとおおげさすぎたな。本当はまあまあってとこだったよ。まあ、こんな試合は、俺が愛する日本プロレスに比べたら、ぎりぎり引き分けってくらいだ。ほんとに大したことはなかったぜ。

 TLCルールのマッチは、この日のメインイベントだった。試合が終わると、阿西は俺を引っ張って一階まで突進して行って、鉄柵ギリギリのところまで近寄って、リングとやつの記念写真を撮らせた。その後、行列に並んで会場限定のTシャツを買いやがった。お前、日本プロレスのファンじゃなかったのかよ? 裏切り者め。「俺は本当はアメリカのも日本のも観るんだよ。お前が日本のしか観ないから、お前とは日本プロレスの話をしているだけだ」。クソっ。

 会場の一階、アメリカ人スタッフがリングをばらしている脇で、台湾人のおっさんおばさんたちがその辺を掃除していた。俺はごま塩頭のおっさんを呼び止めて、テーブルの破片を一個くれないか、と頼んでみた。どうせ捨てるんだ。おっさんはすぐにはくれなかった。あたりをきょろきょろ見回して、外人とか上司とかに怒られないか恐れているようだった。おっさんはようやく俺にテーブルの破片をくれると、プロレスはいったいどこが面白いのかとか、テーブルは何に使ったのかとかなんとかぶつぶつ俺に尋ねた。まあどうせおっさんにはわからないだろうから、俺は適当にあしらっておいた。別のスタッフがやってきて、撤収の邪魔だから出ていけと俺たちを追い出した。

 俺は家に帰って、ばあちゃんにテーブルの破片を見せ、アメリカのプロレスを観に行ったと言った。ばあちゃんは俺の頭をはたき、また無駄遣いして!と小言を言った。そのあと、破片を手に取って、指先でコツコツつついてみたり、匂いを嗅いでみたりした。そして結局は、俺が試合の流れと内容を語って聞かせるのを熱心に聞いた。来福は隣に座って激しく尻尾を振っていた。木片が、旨そうなおやつにでも見えたんだろう。世の中そんなに甘くないぜ。

 テーブルが木っ端微塵になったあの試合のくだりになる前に、ばあちゃんは木片を俺に返すと、立ち上がって、寝ている間テレビにかけてある花柄の布をめくりあげた。

 プロレスの時間だ。

 今日放映されるのは、ばあちゃんが一番好きな、そして俺も一番好きなレスラー──三沢光晴選手の試合だ。三沢光晴は、見てくれはふつうの日本人のおっさんと変わらない。顔だちも特に良くはない。敢えて言えば個性的というくらいか。身体がでかいわけでもないし、腹だって出てる。だけど、外見から彼のことを甘く見たら、大間違いってもんだぜ。

 



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リングサイド

『リングサイド』
著/林 育徳 訳/三浦裕子


 
林 育徳(リン・ユゥダー)
1988年台湾・花蓮生まれ。プロレスファン。花蓮高校卒業後3つの大学を転々とし、6年かけて卒業。東華大学華文文学研究所(大学院)で、呉明益氏に師事。中学時代から詩作を中心に創作活動を展開し、全国学生文学賞、中央大学金筆賞、東華大学文学賞、花蓮文学賞、海洋文学賞など受賞歴多数。『リングサイド』収録の短編《阿的綠寶石》(ばあちゃんのエメラルド)で、2016年第18回台北文学賞小説部門大賞受賞。『リングサイド』(原題:擂台旁邊)は大学院の卒業制作。現在も花蓮在住。

 
三浦裕子(みうら・ゆうこ)
仙台生まれ。早稲田大学第一文学部人文専修卒業。出版社にて雑誌編集、国際版権業務に従事した後、2018年より台湾・香港の本を日本に紹介するユニット「太台本屋 tai-tai books」に参加。版権コーディネートのほか、本まわり、映画まわりの翻訳、記事執筆等をおこなう。

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