採れたて本!【デビュー#11】
物語の背景は、いまから数百年未来。人類は、みずからが地球上の他の生命に対して責任を負うことのできる唯一の存在であることを自覚し、人類が絶滅しないように、より効率的に、より倫理的に殖えるシステムとして、他の生物種の生まれかたの仕組みを真似するテクノロジーを導入した。これがELB──倫理的生活環模倣技術(Ethical Lifecycle Biomimetics)である。
倫理的であることがなによりも重視される社会。言ってみれば、ポリティカルコレクトネス(政治的な正しさ)が生物としてのありかたにまで拡張されたような社会だろうか。
SF設定としてはおそろしく哲学的・思弁的で、こんなふうに紹介するとやたらめんどくさくて難解な小説にも見えるが、実際はその反対。リリカルかつ繊細な一人称の語りのおかげで、作中の議論がむしろポエティックに見えてくる。
主人公の「わたし」こと浅樹セイは、ドウケツエビ(海綿の一種カイロウドウケツの中に雌雄一匹ずつのペアで棲むエビ)の仕組みをもって生まれてきた。学園の高等部に進学した「わたし」は、好きな先輩や仲のいい友人たちと出会い、語らいながら成長していく。卒業までには自らの生殖様式を自分で決めなければならない……。
小説の軸になるのは、布目という名の先輩との関係。語りの一部を引用すれば、
「先輩が流体や幽霊だったのだとしたら、わたしは水槽や肉体だった。いまだけを重ねるといいつつ、先輩の流れゆく先で──線形的な時間概念のもと、粗い硝子繊維の網を構えて待っていた。きっとわたしが苦しんでいたのは、そのことがこんなにも嫌いであるにもかかわらず、他でもないわたし自身がそのように振舞ってしまうからだった」
という具合。従来の学園ものの文脈にあてはめれば、少年たちを主人公にしたギムナジウムSF、あるいは少女たちが主役の百合SFになるところだが、主人公の性は未分化で、男女どちらでもない。性の軛を(生物学的に)なくしても、思春期ロマンスは可能なのかというテーマに挑んだ学園小説だとも言える。
理屈っぽいのにエモーショナルという小説的な矛盾が独特の魅力を生み出している。
著者の青島もうじきは、『異常論文』に収録された短編「空間把握能力の欠如による次元拡張レウム語の再解釈およびその完全な言語的対称性」でデビューした人。電子書籍オリジナルの短編集『破壊された遊園地のエスキース』が出ているが、紙の書籍としては本書が初の単著となる。
『私は命の縷々々々々々々』
青島もうじき
星海社
評者=大森 望