角田光代さん『方舟を燃やす』*PickUPインタビュー*
冒頭は十年ほど前に書きかけていた小説
最初に決まったのは、「デマ」というテーマ
鳥取に生まれた柳原飛馬と、東京で娘を産んだ望月不三子。一九六七年から二〇二二年に至るまでの二人の人生を追っていく角田光代さんの新作『方舟を燃やす』。二〇二二年から一年間、「週刊新潮」に連載された長篇だ。
「連載を始めるにあたって編集部にいくつかテーマの案を出したところ、その中にあった〝デマ〟がいいと言ってもらったんです。私も、コロナ禍の時のいろんなデマみたいなものを興味深く思っていました。ただ、準備期間がなくて。どうしようと思っていた時に十年くらい前に新潮社チームで鳥取に取材に行き、四十ページくらい書きかけて頓挫していた小説があったことを思いだしたんです。なので、そこから始めました。自分としてはちょっと変わった始め方でした」
連載開始時に当然、タイトルも決めた。なぜデマというテーマから、ノアの方舟を思いついたのか。
「デマって、面白がって流すものもあるけれど、根底に人を助けたい気持ちがあるものも多いと思うんです。そう考えた時に最初に浮かぶのが、私にとってはノアの方舟でした。聖書に書かれているノアは一人で黙々と舟を作るだけで、別に〝神様が怒っているからみんな死ぬよ〟などと触れ回ったわけではないんですが、もしも洪水が起きなかったら、ノアはいきなり世界が終わると言いだす変な人とみなされていただろうな、などと思うんです」
主人公は一人の少年と、一人の母親
鳥取空港が開設された一九六七年に、鉱山のある町で生まれた飛馬。父親によると鉱山で働いていた祖父はかつて地震を予知して人々に避難するよう呼び掛けてまわるさなか土石流で命を落とし、命拾いした人々に称えられたという。飛馬は父から「祖父の立派な行動に恥じることのない男になれ」と言われてきた。県庁所在地に引っ越した後、小学六年生の時に母が亡くなるが、その際飛馬は大きな悔いを残すことになる──冒頭のこの部分が、十年ほど前に書いてあったのだという。
その後の彼の成長が描かれる中、ノストラダムスの大予言や口さけ女、コックリさんなどのオカルトや都市伝説なども登場し、同世代は懐かしくなるだろう。角田さんも飛馬と同い年なわけだが、
「私達の世代はオカルト世代というか。小さい頃、ユリ・ゲラーの超能力や、UFOに牛が連れていかれた、などといったことがテレビでさかんに放送されていたんですよね」
もう一人の視点人物、不三子は東京の久我山で育ち、高校時代に父親を亡くして大学進学を諦め、卒業後は製菓会社に就職。一九七五年に結婚すると同時に退職してやがて妊娠。人に勧められて区民センターの料理教室に通い始め、講師の勝沼沙苗の自然療法や食事法の教えに傾倒していく。
「不三子の部分では、本人はよかれと思っているけれどもしかしたら壮大なデマかもしれないもの、あるいはデマとは言い切れないけれどもどうなんだろうと思わせるものを出したかったんです。それで、母親の立場の人を視点人物に選んだのだったと思います」
勝沼沙苗は明るく喋りも達者な女性。白砂糖や白パンなど白い食べ物は身体に悪いからと否定し、「玄米を食べればつわりはおさまる」などと言う。不三子はその通りに家庭での献立を考え、夫や子ども達に食べさせようとする。
「勝沼先生の人となりはオリジナルですけれど、彼女が言っていることは当時の育児関連書などの主張を根底に置いています。あの頃のベストセラーに目を通したんですが、今の時代からすると、当てはまらないことも多いんです。本文にも書きましたけれど、母原病といって子どものさまざまな不調は母親の育児下手が原因だと主張する本があったり、三歳児神話(子供が三歳になるまでは母親が家庭で育児に専念するべき、という説)があったり。当時出ていた自然療法や健康食品、マクロビの本も読みましたが、子育てと家事は女性がやるべきものという論調が多いんですね。あの時代、男も女もみんな、子育ての責任はすべて母親にあると言っていたんですよね。そういう本が売れて、ふつうに読まれている世界だったら、それは洗脳されるだろうと恐ろしくなりました。今だったらそんなの噓だと言えるのに」
不三子は、子どもにワクチンを受けさせることもためらう。その様子に、コロナ禍の際、ワクチン接種についてさまざまな主張が飛びかったことを思い出す人は多いだろう。
「当時の反ワクチン派の本や冊子を読むと、どんな症例があって、どんな裁判があったのかをつらつら書いてある。実際、少なくない数の死亡事故もあって、特定のワクチンがある時期中止されたことも、接種年齢の引き上げなどもありました。そういうニュースを見聞きしていたら、ちいさな子を持つ不三子のような母親は、〝ワクチン打ったらまずいんじゃないか〟という気持ちにごくふつうになるだろうなと思いました。私は、不三子は仕事を辞めなければよかったのに、という気がしていて。仕事をしていれば、もうちょっとバランスがとれたのでは」
不三子に食生活を管理された娘は、どんな思春期を過ごし、どんな大人になるのか。終盤では意外な事実も見えてくる。
騙されることよりも、信じてしまうことを書きたかった
連載開始当初は、主人公達がなんらかのデマに騙されていく姿を書くつもりだったという。
「デマに翻弄されてディープステートを信じてしまうとか、デモに参加するなど大きなアクションを起こす話を考えていたんです。でもどうしても、そこまで書けなかったんですよね。自分は人が何に騙されるかよりも、何を信じてしまうのかのほうに興味があるんだなと気づきました。考えてみたら戦争だって、〝日本が勝つ〟なんて、国を巻き込んだデマだったなと思う。それで、〝それを鵜吞みにした私達〟、〝信じることによって加担してきた私達〟のほうを書きたくなりました」
飛馬はバブル期に大学を卒業し、都の特別区職員に採用される。周囲には大手企業に易々と内定を決めた学生が多く、飛馬は「なぜこのご時世に公務員を選ぶのか」とからかわれる。
「どこかで人の役に立ちたいと思ったんでしょうね。たぶん、父の教えもあって、誰かを助けなきゃいけないという固定観念で自分を縛ってきているんです」
やがて地域支援課に異動した彼は、民間団体の子ども食堂の立ち上げに協力し、SNSの非公式のアカウントで食堂関連の情報を発信していくことに。
「今回、デマという大きなテーマの他に、もうひとつ書きたかったのは通信手段についてでした」
と角田さん。確かに本作には、文通や無線通信、電話など時代ごとのさまざまな伝達手段のエピソードが盛り込まれている。
「昭和の頃は文通だったのが電話になり、ポケベルになり、テレフォンクラブみたいなものもできて、PHSや携帯が出てきて、ネットが普及して。手紙をちまちま書いていた頃を考えればSNSなんて途方もない進化だと思うんですけれど、じゃあそれで何を伝えているのかというと、しょうもない内容がいっぱいある。通信手段は進化したけれど、それを使って私達が伝えていることといえば、昔のノストラダムスの大予言と同じレベルじゃないのかという気持ちがありました」
一方、不三子もとある形で子ども食堂に関わり、飛馬と出会う。二人が気に掛けるようになるのが園花という少女だ。母親と二人で暮らす彼女はつねにお腹をすかせている模様。また、「公園に猫を盗む人がいる」などと物騒な話をすることも多く、周囲からは「噓つき」とまでいかなくとも、「話を盛る子」とみなされている。
「園花ちゃんは、飛馬と不三子にとって救いたい存在の象徴として出しました。でも飛馬は何が園花ちゃんを救うことになるのか分からないし、不三子の場合は園花ちゃんを救いたがっているようでいて、結果自分を救いたいんだろうと思います。思うような子育てができなかったから、もう一回、園花ちゃんを通してやってみて自分を肯定したいんですよね。二人とも助けたい気持ちがちょっと別の方向を向いてしまう、みたいなところは書きたかった」
誰かを助けることの葛藤や難しさについては、一昨年刊行した『タラント』にも丁寧に描かれている。今回の二人の場合は、助けたいのに空回りしている様子。
「ただ、実は二人が出会う前、飛馬が区の広報誌に書いた適当な人生相談の回答が不三子を絶望から救っているんですよね。誰かを救うことって、目の前の誰かに何かをしてあげることとは限らなくて、本当に何気なく言ったいい加減な一言やいい加減な動作が誰かを救うこともあるかもしれなくて。そちらのほうが、方舟に乗せてあげるようなことより大きいのではないかと思うんです」
今後は仕事の仕方を変える予定
二人の葛藤と気づきを丁寧に描く本作。誰かを助けたい気持ちと、噓やデマとの距離の近さも見えてきて、他人の意見や主張を鵜吞みにするのではなく、自分で考えることの必要性を実感させられる。
「書きながら、どういうデマが流れるのかは、時代性、精神性と関わっているなと感じました。たとえば確固とした信仰を持たない日本人の間では、終末論が流行ったとしてもそこに神様のような、人間を裁く存在は不在だったりする。それに、災害が起きた時、アメリカなどでは一部のエリートや金持ちの陰謀だというデマが出てきますが、日本ではそういうデマは少なく、むしろ政府や国家の陰謀だというデマが広まっていくという違いも興味深いなと思って。最近印象的だったのは、今年はじめの能登の地震の時に、SNSで〝どこそこの町で孤立してます、助けて〟と書いた人がいたんですが、そんな町は存在していなかった、という話です。誰かがどうしてそんなことを書いたのか、書いた本人に問いかけたら〝日本人の良心を試しました〟みたいな返答がきていました。それはただの言い訳だとは思いますが、本当に神なき世界のデマだなと感じました。倫理性もなく、成熟さもなく、ただただ未熟で、人を驚かせたいという気持ちしかない。今はそういう時代性、精神性だったりするのかなと思いました。あと十年くらい経てばまた変わってくるんでしょうけれど」
では今後、どんな作品をどんな切り口で書いていくのか。この先の執筆予定を訊くと、意外な答えが返ってきた。
「決まっていた連載を全部断りました。今年の夏過ぎから仕事の仕方を変えて、全部持ち込みにすることにします」
持ち込みとはつまり、書き下ろしということ?
「持ち込みです(笑)。依頼を受けずに、自分が書きたいものを書いて、書き上げたら出版社に持っていく、ってことをやろうと思っています。数年間『源氏物語』の現代語訳をやった後、以前のようになめらかに小説を書けなくなったと感じていたんです。でもある時ふと、書けなくなったわけじゃないなと気づきました。連載の約束が先まで詰まっていて、いつも慌てて題材をかきあつめ、本当に書きたいのか分からないまま連載を開始し、その連載が終わったらすぐ次の連載が始まる……ということを繰り返していて、この先もそれが続くということに、精神が耐えられないんだなと思って。なので一回、書きたいものを自主的に書いてみることにしました。はじめての試みなので、どうなるか分からないですけれど」
角田光代(かくた・みつよ)
1967年神奈川県生まれ。魚座。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『紙の月』で柴田錬三郎賞。ほか受賞・著書多数。