角田光代『希望という名のアナログ日記』

私はきちんとそこにいた


 忙しいと言う大人にはなるまいと決めていたのに、三十代の半ばすぎから、忙しいと言うことも思いつかないほど忙しくなってしまった。もっとも忙しかった時期、一か月に締め切りは小説とエッセイを含め二十八個あり、毎日のように仕事がらみの人たちと酒を飲み、それでも翌日は午前五時には仕事場の机に座った。

 あんまり忙しいと、日々はかたまりになって過ぎていき、記憶もまだらになる。私はそのころのことをあんまりよく覚えていない。じつは数年前、仕事場から原稿の束が出てきて、どうやら小説のゲラ刷りらしいのだが、それがなんの小説なのか思い出せない、ということがあった。だれの書いた小説なのか、まさか私の書いた小説? それにしてもタイトルが記憶にない。その後、あるきっかけでその小説の正体がわかった。もっとも忙しい時期に雑誌で一年間連載していた、私の小説だった。単行本にするにあたってゲラ刷りにしたものの、書きなおしをしようとしたままになっていたのだ。自分が書いた小説すらも記憶にないとは、なんたること。

 四十歳も近づいて、さすがにこんな日々は何かおかしい、もっと自分のペースで暮らすべきだと思い、以後、なんとか締め切りも仕事がらみの会食も減らし続けて今に至る。それから十年以上がたって、ようやく朝の暗いうちに仕事机に向かわなくてもよくなった。それでもまだまだ、自分のペースとは言いがたいのだが。

 ところで私は家計簿というたいへんアナログな記録を、二十年以上、つけ続けている。その日使ったお金と、その日の夜に食べたものを毎日毎日書きこんでいる。驚いたことに、記憶のほとんどない時期も、この家計簿を見返すと、その一日一日がありありと、生々しく浮かび上がるのである。そうだそうだ、友人の個展にいって、そのあとみんなで中華を食べた、とか、そういえば牛すじのカレーに凝って、牛すじをよく煮ていた、とか、どれほどつまらない一日でも、何かしらくっきり思い出す。覚えていないことで、あとかたもなく消えたような一日、私はきちんといたんだなあ、と感動すら覚える。

 私のパソコンにも、外付けハードディスクにも、スマートフォンで撮った写真が、十数年前からすべておさまっている。けれどこれらの写真を見返しても、家計簿ほどには生々しく、くっきりと過去は起き上がってこない。私がアナログな人間だから、アナログな記録のほうが実際の記憶に近く思えるのだろうか。

 この十年ほどのあいだに、あちらこちらの新聞雑誌に掲載してもらったエッセイと、小説ひとつをまとめたこの一冊も、私にとってはアナログな記録なのである。書きつけたあんなこともこんなことも、読み返すまで忘れていて、ああ、私はきちんといたんだなあとまたしても思った。

角田光代(かくた・みつよ)

1967年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞して本格的に作家デビュー。
主な小説作品に、『まどろむ夜のUFO』(野間文芸新人賞)、『ぼくはきみのおにいさん』(坪田譲治文学賞)、『キッドナップ・ツアー』(産経児童出版文化賞/路傍の石文学賞)、『空中庭園』(婦人公論文芸賞)、『対岸の彼女』(直木賞)、『ロック母』(表題作で川端康成文学賞)、『八日目の蝉』(中央公論文芸賞)、『ツリーハウス』(伊藤整文学賞)、『紙の月』(柴田錬三郎賞)、『かなたの子』(泉鏡花文学賞)、『私のなかの彼女』(河合隼雄物語賞)などがある。
エッセイ集に、『愛してるなんていうわけないだろ』『しあわせのねだん』『世界中で迷子になって』『私たちには物語がある』『ポケットに物語を入れて』『世界は終わりそうにない』『よなかの散歩』『今日も一日きみを見ていた』『なんでわざわざ中年体操』『いきたくないのに出かけていく』など多数。

◎編集者コラム◎ 『絵草紙屋万葉堂 堅香子の花』篠 綾子
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