小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第8話

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第8話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 第8話 
だらだら


 窓辺にテーブルを置いてよかった。

 陽光に照らされたトマトパスタの赤と、エメラルドグリーンのタツオの短い髪。はじめてこのふたつを同時に目でとらえたとき、あんまりにも、まぶしくて、さびしくて、くらくらした。

 それからというもの、よく晴れた日にタツオが腹をすかせると、わたしはせっせとトマトパスタをつくった。

 タツオは何度同じものを出されても「またこれ?」とけっして言わない。それどころか、毎度律儀に「うめ」とちいさくつぶやく。

「どうしていつもそうやって、はらぺこのひとの食べ方をするの」

 タツオはいつも急いで食べる。誰かにとられまい、とするように湯気のなかに顔をつっこんで、フォークではなく箸を使って、焼きそばみたいにすすって食べる。

「うめーからです」

 タツオは得意げな顔でそう言って、それからもっともっと急いでかきこむ。口のまわりにトマトのつぶをたくさんつけながら。

 あっという間にトマトパスタをたいらげたタツオは、「これ吸ったら出るね」と言ってベランダに出た。窓の外には、ぞっとするほどの青空が広がっている。

 わたしはトマトパスタをだらだらフォークに巻きつけながら、空にむかって煙を吐きだすタツオをぼんやり眺める。

 タツオは、人間慣れした野良猫のような男だ、とよく思う。

 気が向けばふらりとやってきて、自分の家みたいにとろんとくつろいで、ごはんをあげたらばくばく食べて、満足すればどこかへ行ってしまう。

 絨毯のうえでごろごろと転がっているタツオを見ていると、わたしは触れたくなるのだけれど、こちらから近づくと、ひゅるりと逃げていきそうだから、わたしはただなんでもない顔をして、つかず離れず、さりげないふりをして、タツオと過ごすことにしている。

 しらないふりをしているけれど、タツオは野良の男なのだから、いろんなひとの家で、ごろごろしたり、喉を鳴らしたり、ごはんをもらったりしている。その証拠にときどき顔のあちこちにラメをつけているし、Tシャツからは毎度ちがう柔軟剤の匂いがする。

 ベランダから戻ってきたタツオは、

「きょう、あっついよ。ほら」

 と言って、すこし汗のにじんだおでこを、わたしのおでこにはりつけた。

「うげっ」

 いやそうな顔をつくりたいのに、くすぐられるみたいに、つい笑ってしまう。たのしくて、うれしくて、はしゃいでしまう。

 わたしが笑うと、タツオはほっとしたような顔をする。それが、いつもすこしさびしい。

 わたしの思う理想のタツオを、タツオは引き受けてくれている。

 でも、その間、ただの、ふつうの、タツオ自身のきもちは、てんでばらばらになってしまわないのか。ひとりしずかに歩くとき、タツオはどんなことを考えているのだろう。ひとり湯船につかるとき、ひとりお酒をあおるとき、タツオはどんなことで、悩み、怒り、泣いているのだろう。タツオは、誰に、どんなふうにされたら、くすぐられるみたいに、ふくふく笑ってしまうのだろう。

 わたしは二人分の皿を下げて、トマトソースを水で洗い流す。

「またくるね」

 タツオは言って、わたしにかるくくちづける。

 かるいのも、おもいのも、タツオが降らすくちづけは、わたしを決まって、くらっとさせる。

「うん、またね」

 言って、わたしは、ぬれた手をちいさくふる。

 また会いたい、とあかるく思う。

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得した。その他著書に、初の商業出版作品として23年9月に『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。

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