小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第11話

小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第11話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 第11話 
爪を嚙む


 ねむっているところをゆすられて目を開けると、立ってわたしを見下ろすあなたがいて、あなたの顔はいつもより、ずっとくすんで、そしてむくんで、黒黒としていたので、どうしたの、言おうとすると、そんな短い言葉さえ、あなたはさえぎって、わかるよね、とひとこと言ったのだった。わからないから、なにも言わずに黙っていたら、こんこん、何かを叩く音がして、その音のほうをみると、わたしの携帯電話なのだった。見たからね、つづけて、あなたはつやのない目でそう言った。見たからね、と言われても、どこのなにを見たのかによって、対応のいろいろは変わってくるのだから、パスワードという関門をどうやって突破したのかは、一旦、よしとして、緑色のものをひらいたのか、桃色のものをひらいたのか、青色のものをひらいたのか、つまるところ、誰との、どの事実に、あなたはそんなにもやられてしまっているのかを教えてもらわなければならない。起きたばかりだというのに、つめの先まで熱くなって、いまにも爆発、しそうで、それで、それから、覚えていない。つぎの瞬間には、あなたが、出ていく音がして、あの部屋はだれの部屋だったのか、わたしの部屋だったのか、わたしたちの部屋だったのか、あなたの部屋だったのか。わたしは、追いかけることすら、そういえば、思いつかずに、夕日のさす部屋のなかで、何だか、ねむくてたまらなくなって、しようがないとあきらめて、ソファーのうえでねむりつづけた。

 目を覚ますと、部屋は薄ぼんやりとしたむらさき色で、じきに朝になるようだった。歯も磨かずにねむっていたことを思い出して、重いからだをひきずるように、台所へ立った。その部屋には、独立した洗面台はなかったから、台所の隅にふたりの歯ブラシを置いていたのだったと思う。シンクに、マグカップがひとつあった。白い猫が一ぴき描かれている、チャコールグレーのマグカップだった。あなたがいつだったか、ふと、見せてくれた写真のあなたの実家の白い猫、もういなくなってしまったらしいあなたの白い猫に、よく似ていたから、ついうれしくなって、あなたへ買ったものだった。あの猫の、名まえはなんだったか思い出せない。マグカップには無数のちいさな傷がついていて、それでも割れることなく、季節を越えてきたのだね、となんだか、実感、やってきて、もう新しいのを買わなくてはいけないね、と話し合っていた毛玉とシミだらけのキッチンマットの上にうずくまって、それからちからがぬけてきて、べったりとすわりこんだ。そのまましばらく、動かなかった。涙は、ひとつぶも流れなかった。カーテンの隙間からこぼれる光はどんどんと色を失って、真っ白の、するどいものになっていく。あなたに、ちゃん付けで呼ばれるの、好きだった。あなたをいつまでも、さん付けで呼ぶのも、好きだった。あなたはとても厳しいひとだったけれど、とてもやさしいひとでもあった。わたしはあなたにとても惚れていたけれど、とてもおくびょうだった。厳しいからやさしくするのか、やさしさからの厳しさなのか、惚れたからおくびょうになるのか、おくびょうだから惚れっぽいのか。いいわけは、こんなにも無駄で、つめを嚙む。あなたはいつも、すこしつめが伸びているほうで、ときどき、すると、痛かったこと、一生、言えなくなってしまった。

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得した。その他著書に、初の商業出版作品として23年9月に『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。

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