◎編集者コラム◎『横濱王』永井紗耶子
◎編集者コラム◎
『横濱王』永井紗耶子
著者の永井紗耶子さんは、横浜生まれの「ハマっ子」です。小学生の時に、学校で横浜について学び、「横浜市歌」を覚えているのだそうです。そんな永井さんが一度書きたいと思っていた人物が原三溪でした。『横濱王』単行本刊行時に、「取材でビジネスマンの方々に会う中で、近代の文化的財界人として原三溪、益田鈍翁、松永耳庵の名をたびたび耳にしました。私は横浜出身で、子供の頃からなじみ深い三溪園を作った人物を調べ始めたら、凄い人物だと分かり、原三溪を書いてみたいと思ったのが発端でした」と語っています。次々と明らかにされていく原三溪の業績については、小説の中で描かれていますが、「政治の世界と一線を引いていた原三溪は、昭和十三年、日中国交断絶を決めた近衛声明に対し、強い憤りを記した手紙を残しています。自身は海外にでたことがなかった原三溪ですが、原合名会社は海外に支店を広げた国際企業でした。今の日本人以上にグローバルな感性を持ち、国益まで考えて世界と渡り合おうとした人だったと思います。また、三溪園に茶室『蓮華院』を作ったように、仏教の造詣も深かった。『自灯明・法灯明(自らを灯火とせよ、自らを拠り所とせよ)』という仏教の言葉が、原三溪の思想を表すのにいちばんしっくり来るのではないか。趨勢に流されずに考え、世界を見ていた人だった」とも語っています。
ところで、この小説の主人公は青年実業家の瀬田修司です。瀬田が、原三溪から融資を得ようと、その弱みを見つけるために彼を知る人物に会って話を聞いていくという構成です。終盤、瀬田は遂に原三溪本人と対面して話を交わします。実は、瀬田は幼い頃に関東大震災で被災し行方不明の妹を捜す中で、三溪に会っていました。瀬田は、原三溪の弱みを見つけることができないばかりか、自らの生き方をも問い直されるのです。
永井さんが描きたかったもうひとつは、「横濱」です。関東大震災から復興した横濱は、華やかな国際都市でした。モガ・モボが闊歩し、ジャズが流れ、夜のネオンに遊ぶ。今に通じる横濱の味もいろいろと登場します。
文芸評論家の細谷正充さんは、解説で「本書は関東大震災が起きた横濱から始まり、終戦直後の焼け野原となった横濱で終わる。(中略)何度叩き潰されようと立ち上がる人間の姿が、そこにあるのだ」と書いています。
著者の熱い気持ちが詰まった『横濱王』、是非ご一読下さい。