深沢 仁『ふたりの窓の外』◆熱血新刊インタビュー◆
ふたりでいても、孤独でいられる
ライトノベル出身の深沢仁は、イギリスが舞台のファンタジー『英国幻視の少年たち』で注目を集め、「高校生の夏休み」をテーマに据えた短編集『この夏のこともどうせ忘れる』や一般文芸初進出となる『眠れない夜にみる夢は』などで名前の付けられない切実な関係性を描き出してきた。最新作『ふたりの窓の外』も名前の付けられない男女の関係性から始まり、その複雑な色合いが増していく物語なのだが……最後に辿り着くのは恋愛、としか呼べない関係性だ。ここまで気持ちよくゴールテープを切る物語は、ありそうでない。
春夏秋冬の全4章は、ある出来事がきっかけで出会ったふたりの男女が、それぞれの季節で一度だけ旅をする様子を記録していく。男女それぞれの感情を、第一話に当たる春から丁寧に書いていった先に現れたのがあのラストだったのだろうか。そう尋ねてみたところ、想定外の答えが返ってきた。
「ある時ふと、火葬場で出会ったふたりの話を書こう、と思ったんです。担当さんから、もし4月までに原稿が揃えば冬に本が出せるという話を伺っていたので、冬に出す本なら、冬のシーンから始めたいな、と。最後の、冬の章から書き始めました」
まず最初に、ゴールテープを切るシーンがあったのだ。そのラストに見合うように、説得力を増すように、他の季節を書いていった。
「私はプロットを立てるのが下手なタイプなので、冬の章ができあがったところで初めて〝なるほど。じゃあ私は次に、ここに至るまでのふたりを書くわけね〟と(笑)。次は秋、その次は夏、最後に春、というふうに遡って書いていきました。春に火葬場で出会う場面の一番大事なやり取りは秘密にしておいて、〝ふたりの関係はどうやって始まったのかな?〟という興味で引っ張っていくような構成でした」
それを時系列順に並べ替えたのは、初稿を読んだ編集者からの助言だったという。
「担当さんからまず言われたことが、時間を遡らないほうがいい、でした。素直に書けばいいと思いますよと言われて、春夏秋冬を時間順に並べ替えることにしました。もうひとつ言われたことは、初稿だと春の旅のシーンは各章の回想にだけ登場し、春の章は火葬場の場面だけで終わっていたんですが、どうせなら春の章でもふたりに旅をさせたらどうですか、と。火葬場のシーンは好きだったので一瞬チェッとなったんですが(笑)、4つのお話を旅というモチーフで揃えたほうが、確かに素敵だなと思ったんです」
かくして構成上もまっすぐストレートで、キャッチーで、そのぶん書き手の力量が如実に試されるストロングスタイルの小説ができあがった。
私が〝なるほど!〟となれば、読者も〝なるほど!〟となる
春の章に当たる「1 花を摘まない」は、鳴宮庄吾が四月の第三週の土曜日の午後、東京駅地下中央口改札で待ち合わせた藤間紗奈と再会する場面から始まる。〈会うのは今日が二回目で、前回だって、たかが三、四十分程度会話しただけ〉。にもかかわらず、これから群馬へと一泊二日の旅行に出かける。実は、ふたりは2週間前に火葬場で初めて顔を合わせていた。〈火葬場で出くわす人間に共通しているのは、似たようなタイミングで近しい人物が死んでいる、という点である〉。鳴宮は父の葬儀、藤間は恋人の葬儀に出席していたのだ。亡くなった藤間の恋人と藤間は、旅行に行く予定があった。火葬場の片隅で、藤間は旅行について口を滑らせ、それを聞いた鳴宮は恋人の代わりに自分が行くのはどうかと提案して──。
売れない役者の鳴宮は36歳で、事務員として働く藤間は28歳だ。立派な大人同士であり同じ部屋にも泊まるのだが、色っぽい雰囲気はまるでない。
「藤間さんは、緊張しきっちゃってケージから出てこない保護犬みたいなイメージです。最初の旅を藤間さんの視点で書いたら話が何も進まないなと思って、鳴宮さん視点を選びました」
緊張感に満ちた旅路だからこそ、意外な出来事の勃発でクスッとくる。春の章には、シットコム(シチュエーションコメディ)の趣がある。
「ホテルの部屋で夕食をとる時に、藤間さんの恋人がこっそりサプライズプランを予約していて、その演出であたふたする場面は私も気に入っています(笑)。藤間さんはあたふたするんですが、鳴宮さんは普段俳優をしているので、アドリブに強い。さも自分で予約していたかのように振る舞う姿を書くことで、鳴宮さんらしさも出せたかなと思っています」
場面設定を決め、登場人物たちのやり取りを即興的に組み上げて、ストーリーへと昇華する。プロットや登場人物の履歴書などは事前に詳しく作らない代わりに、演劇で言うエチュードの方法論を徹底していったようだ。
「まずセリフが出てきて、こういうセリフを言いそうな人はどんなバックグラウンドを持っているんだろうかとどんどん詰めていく。〝あっ、こういう人たちなんだ〟と、私自身も書きながら知っていく感じです」
本作にとってストーリー上の最も大きなハードルは、夏の旅だ。一度目の旅は衝動や流れで、魔が差して実現できるとしても、二度目の旅ともなれば説得力のある理由がいる。熟慮が必要になってくると思われるそのポイントも、エチュードで出てきたのだという。
「夏の旅は、お盆の話にするのが夏っぽいし、ふたりっぽくていいなと思ったんです。鳴宮さんが、おばあちゃんと一緒にお墓参りに行くんだけれど、おばあちゃんが飼っている犬の面倒を見て欲しくて藤間さんを誘う。その展開までは最初に考えたんですが、どうして藤間さんじゃなければならなかったのかという理由を、鳴宮さんが途中で語り始めますよね。そのセリフを書きながら、〝なるほど!〟と(笑)。私が〝なるほど!〟となるってことは、たぶん読者の皆さんも〝なるほど!〟となるはずだから、じゃあこれでいけるとなったんだと思います」
誠実でいようとするからこそ、関係を前に進められない
事前に全体像を作らず、エピソードをひとつずつ順番に積み上げていくことで、ストーリーになめらかさが宿る。春夏秋冬の旅を経験し、ふたりが心の距離を少しずつ近づけていくプロセスも、同様だ。
「この人たちのことをもっと知りたい、と思えるとお話もうまくいく気がするんです。今回のふたりもそうでした。ふたりのことが大好きで、書けば書くほどふたりのことを知ることができるから、書いている間じゅう楽しかったです」
ふたりのどんなところが好きになったのだろう。
「誠実な感じがしますよね、ふたりとも。鳴宮さんはいろんな経験をしているし頭もいいから、こういう展開に転がせば物事は大抵うまくいくだろうと分かっている。でも、それをするのはズルいんじゃないかなって自分で自分をストップさせる感じが、ちゃんとした人だなと思うんです。藤間さんは、ぽんぽん喋らないんですよね。聞かれたことをちゃんと自分の中で消化してから返すっていうことが今、なかなか難しい時代になっていると思うんですが、彼女はそれをやっている。だから不器用と言われがちなんですが、鳴宮さんはその姿勢に気づいて感銘を受けて、一回一回一緒に立ち止まってあげるようになる。その関係って微笑ましいな、すごくいいなと思うんです」
ただ、そんなふたりだからこそ、恋愛、という名前のついた関係に進展させることは難しい。春は鳴宮、夏は藤間、そして再び鳴宮が視点人物となる秋の旅で、彼がぐるぐると思考を巡らせる場面は愛らしくてたまらなかった。
「誠実でいようとするからこそ、自分の存在が相手に対していい影響があると確信できなければ、関係を前に進められない。そんなふうに思ってしまって、一歩を踏み出せないんですよね。でも、そこを確かめるのって本当に大変だし、どこかで勢いが必要になってくる」
その先に現れるのが、藤間の視点を採用した冬の旅の、意外すぎる展開なのだ。
「一番最初に、冬の章だけを書いていた時は〝藤間さんもなかなかエキセントリックなことをするのね〟と(笑)。でも、他の季節を書いていったことで、藤間さんがああいう行動を取ることを納得できたんです」
作中で印象に残ったフレーズがあった。「ふたりでするひとり旅」。きっとこのふたりは、ゴールテープを切った後も、その感覚が抜けきれないのかもしれない。それでいいし、それが、いい。
「私は海外文学が好きで、普段はあまり日本の小説は読まないんですが、漫画はたまに読むんですね。最近の恋愛ものは、溺愛してされて、一生離したくないし離れたくない、みたいなものが多い気がするんです。でも、このお話に出てくるふたりは、英語で〝Let’s be alone together〟という言い回しがあるんですが、常に個と個が独立している。ふたりでいても、孤独でいられる関係を書きたかったんです」
自分を裏切った恋人ともうすぐ旅行に出かけるはずだった女、その恋人の代わりに旅に同行することを申し出た男。なぜか承諾してしまった女は、それまで見ず知らずだった男と春の宿で一夜を過ごすことになる──。春の宿、夏の墓参、秋のドライブ、そして冬の宿。火葬場での出会い以来、それぞれの季節に一度ずつしか会うことのなかったふたりの一年を四章仕立てで描いた、絵画のような恋愛小説。『眠れない夜にみる夢は』の著者の新境地的傑作。
深沢 仁(ふかざわ・じん)
2010年、詩集『狼少女は羊を逃がす』を自費出版。翌年、『R.I.P. 天使は鏡と弾丸を抱く』で第2回「このライトノベルがすごい!」大賞優秀賞を受賞、本格的な執筆活動をスタートさせる。20年には作品集『この夏のこともどうせ忘れる』で第12回高校生が選ぶ天竜文学賞を受賞。ほかの著書に〈英国幻視の少年たち〉シリーズ(全6巻)、『渇き、海鳴り、僕の楽園』『眠れない夜にみる夢は』などがある。