瀬尾まいこさん『ありか』*PickUPインタビュー*

瀬尾まいこさん『ありか』*PickUPインタビュー*
 26歳の母親と、5歳の娘の二人家族。二人で支え合い、周囲に助けられながら送る日常を豊かに描くのが、瀬尾まいこさんの最新小説『ありか』だ。じつに微笑ましい母娘関係は、実際の瀬尾さんと娘さんの関係そのものだという。執筆の裏側と、作品にこめた思いとは。
取材・文=瀧井朝世 撮影=浅野剛

 26歳の美空は4年前に離婚して、5歳の娘ひかりを一人で育てている。自身は母親との関係に悩みながら生きてきたが、自分が母親となったいま、娘との日々は充足している。そんな母娘の世話を焼こうとするのは、子ども好きな義弟のはやで……。瀬尾まいこさんの『ありか』は、日々の喜びや不安、悩みを丁寧に掬い取り、こちらの胸を満たす物語だ。

「以前から水鈴社の篠原一朗さんに、私と娘を描いた小説が読みたいです、と言われていたんです。うちの娘はいま小学6年生ですが、篠原さんは彼女が小さな頃から一緒に遊んでくれていて、娘がのんきでいつも幸せそうなのはなんでなのかなと思う、と言っていました。私も夫と、誰に似たんだろうと話しているんですけれど」

瀬尾まいこさん

 じつはこの取材の日も、瀬尾さんの娘さんはニコニコと取材陣を出迎えてくれた。非常に仲がよい親子という印象で、篠原さんもどんなふうに子どもと接しているとこんな親子関係になるのか、物語を通して読んでみたいと思ったのだそうだ。

 もちろん本作は私小説ではなく、フィクションだ。

「子育ても社会に出るのもはじめてで、どうやって生きていくのか分からないという主人公にしました。親と子どもが密着している最後の期間を書こうと思い、ひかりは5歳という設定にしました」

 美空とひかりのやりとりは、ほとんどが瀬尾さんと娘さんの実際のやりとりだという。ひかりが非常に明るく素直な子で、母親のことが大好きでたまらない様子が伝わってきて、なんとも愛おしい。

「夜泣きされて眠れない時期はしんどかったけれど、言葉を喋り出して意思疎通ができるようになると、喜びのほうが多くなったんです。それに5歳くらいの子どもって、母親のことを最高と思っていて全肯定してくれるんですよ(笑)。朝、私が忙しくてパンとぬくめた牛乳しか出さなくても嬉しそうにしてくれる。まだ文句を言うという発想がないんですよね。それと、子どもが生まれて思ったのは、自分がこんなに人に影響を与えられるのか、ということ。娘はすぐ〝ぎゅーして〟って言うんですけれど、ぎゅーしただけで幸せそうだし、言うことを聞いてちゃんと宿題もするんです(笑)」

 子どもといると、ふとした瞬間に〝よかった〟と思えることがすごく多い、と瀬尾さん。

「小説の中にも書きましたが、一般的に〝子どもができたら、親の恩が痛いほど分かる〟といいますよね。自分もそう思っていたんです。でも、実際に子どもが生まれてみると、なんでこれに恩を感じろって言われていたんだろうと思いました。こんなに喜びを与えてくれて、親のほうが感謝したいくらいなのに」

瀬尾まいこさん

 もちろん、大変なことも多い。ひかりを保育園に通わせ、化粧品を扱う工場でパートとして働く美空の日々は慌ただしい。ただ、毎週水曜日は、元夫の弟、颯斗が保育園のお迎えと夕食の準備をしてくれる。子ども好きでなにかと世話を焼きたがる彼に最初は遠慮していた美空だが、体調を崩した時に彼を頼ったことをきっかけに、水曜日のこの習慣ができたのだ。

「子どもって絶対に大人が育てないといけないじゃないですか。その時、いろんな大人の目があったほうがいい。この小説も母親と娘の二人だけの世界の話ではなく、誰かにいてほしかったので、颯斗君に出てきてもらいました。実際、私の妹がうちの娘をすごく可愛がってくれて、夫婦で娘を遊びに連れていってくれたりするんです。そんなに姪っ子って可愛いものなんだと思って。それに、たとえば、もし親戚が結婚したら親戚が一人増えて嬉しいし、もし離婚したら親戚が一人減って悲しくなりますよね。そこは関係が繫がっていてもいいのに、と思うんです」

 子ども好きな颯斗には、男性の恋人がいる。つまり彼は、今の社会では自分の子どもを持てる可能性は低い。そんな彼は、過去に辛い思いをしていて──。

「子どもが苦手な人や嫌いな人はいますし、それは人それぞれだと思いますが、子どもが好きで関わりたいのにそれができないのは、すごく悲しいじゃないですか。颯斗君にはモデルがいて、彼も高校時代に辛い思いをしているんです。颯斗君みたいな人を書くのははじめてだったので、こういう表現は使うのかどうかなど、彼にひとつひとつ相談しながら書きました」

 もともと美空は、甘えたり頼ったりするのが苦手な性格だ。

「私自身がそうで、すぐに〝すみません〟と言ってしまうんです。人に頼りたい時でも〝たいしたことない〟と言いがちなんですけれど、ママ友に〝そういうのはよくないよ〟って言われたんです。〝それって人を信用してないってことやわ〟って。それが三池さんのモデルになった人なんですけれど」

 三池さんというのは、美空が親しくなるママ友のことだ。いつも派手な服装をしてサングラスをかけ、他の母親たちからちやほやされている様子を見て、美空は最初は苦手に感じていた。だが、じつは気さくな人で、サングラスをしているのには理由があることを知るのだ。

「子どもが幼稚園に通っていた頃、その人は本当にサングラスをかけてポルシェに乗って送り迎えしていたんです。私も最初は苦手かなと思って距離をとっていました。でも、幼稚園の最後の年に私が謝恩会委員になって準備が大変だった時、その人が係でもないのに〝やるで〟って声をかけてくれたんです。サングラスをかけている理由も、〝私キョドるんだけれど、サングラスしてたらみんな寄ってこないから楽なんだよね〟って言ってました(笑)。そこから仲良くなりました。謝恩会で私は保護者劇を作ったんですけれど、それが時間内に収まるかどうか、サイゼリヤで二人で時間をはかりながら練習したりしました」

 ママ友たちは、本当に助かる存在だという。

「みんなすごく世話を焼いてくれるし、心強いんです。私はすごく人見知りで内向的なんですけれど、子どもがいると、いろんな人と知り合うんですよね。自分と似ていない人とも知り合って、社交的になりました。子どもがいることで母親の世界も広がるんですね」

瀬尾まいこさん

 そして娘との幸福な日常は、さまざまな変化を迎えていく。作中、三池さんがつぶやく「子育てって永遠に続くものだって、だからゴールがなくてしんどいって思ってたけど、終わりの連続だよね」という言葉が印象的だ。

「私も最初は子育てってずっと続くと思っていたけれど、本当にいろんなことが終わっていくんですよ。手を繫いでくれる期間も、ママママ言ってくれる期間も終わっていく。こんな細切れにゴールが待ち構えているんだなと思いました。娘にとって大事なものが変わっていくのは、すごく寂しくもあるし、嬉しくもあります」

 だからこそ、ひとつひとつの期間がとても貴重なのだ。

「半分くらい書いた時点で、タイトルが浮かびました。自分が欲しかったもの、探していたものがここにあったんや、って。全部ここにある、〝ありか〟はここだったんだ、という思いでこのタイトルをつけました」

 颯斗やママ友だけでなく、職場の親切な年上の同僚や、気さくな(元)義母など、美空は人間関係に恵まれている。が、彼女を抑圧する人間もいる。それは実母だ。彼女もシングルマザーで、一人で美空を育ててきてくれたが、美空は母親からの愛情を感じることはなかった。

「自分が親になる前は、子ども嫌いな人でも自分に子どもができたら好きになるんだろうと思っていたんです。でも、いろんなママたちと付き合っているうちに、誰もが子どもに愛情を持てるわけじゃないと知りました。愛情が持てないことがしんどいという人もいるし、自分の子どもが大きくなった後でも、よその小さな子の泣き声を聞いただけでぞわっとするという人もいる。だから、子どもが生まれることも奇跡ですけれど、子どもを好きだ、可愛いって感情が湧いてくることも、すごく貴重なことなんだと思うようになりました」

瀬尾まいこさん

 美空の母親も、子どもに愛情の湧かない人だったのだろう。現在50代の彼女は、美空たちの都合も気にせず強引に家にやってきては、娘をけなし、軽んじ、愚痴をこぼし続けるような人間だ。

「人は歳をとるとまるくなると思っていたんですけれど、そうではなくて、歳とともに頑固になる人もいるんですよね。美空の母親は100%悪い人間ではないけれど、だんだん美空にとっては負担になっていく」

 どうしたら美空がその抑圧から解放されるのか。

「母親と完全に縁を切ることはできないし、美空さん自身も母親にとっていい娘でありたいという気持ちがあったりして、本当にどうしたらいいんだろうと思いますよね。でも、いちばん大事なもの、守りたいものがなにかは、美空さんも最初から分かっている。それをはっきりと母親に伝えることが、大きな一歩になるのかなと思いました」

 成長していくのはひかりだけではない。美空もまた、娘の存在によって、強くなっていくのだ。人から助けてもらっているばかりでなく、彼女が人を助けようと行動を起こす場面もある。瀬尾作品はいつも、誰かが誰かに手を差し伸べる際の真っ直ぐさが胸を打つ。

「書きたいと思っているわけではなくて、自分の知っている感情しか書けないので。人って、助けてもらいたいって気持ちはあんまりないと思うんです。でも、助けたいっていう衝動ってあるじゃないですか」

瀬尾まいこさん

 瀬尾さん自身、助けたいという気持ちで行動を起こす人だ。昨年末、書き下ろし短篇も収録したエッセイ集『そんなときは書店にどうぞ』は、印税の受け取りを辞退し、書店マージンを50%(通常は23~24%)にて取り扱うことにした。

「私は書店をうろうろするのが好きなんです。普段ママ友と身の回りのことを喋っていると、仕事のことを忘れてしまうんですよ(笑)。でも、書店をまわって、書店員さんと話すと、やっぱり書こうって気持ちになる。でも今の時代、書店はいろいろ大変だと聞くし、実際、どんどんなくなっていますよね。あの書店員さんもおらへんようになったんや、と思うことがすごくある。それはすごく悲しいし、自分にできることがあればしたいです。でも、できることって少ないですね」

 いやいや。瀬尾さんの小説、そして瀬尾さん自身に、励まされる人は少なくないはずだ。

ありか

『ありか』
瀬尾まいこ=著
水鈴社

瀬尾まいこ(せお・まいこ)
1974年大阪府生まれ。2001年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年作家デビュー。05年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、09年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞、19年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞。20年刊行の『夜明けのすべて』は映画化され、ベルリン国際映画祭フォーラム部門に正式出品されたほか、数々の映画賞を受賞した。その他の著書に『私たちの世代は』『そんなときは書店にどうぞ』など。


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