伊藤佐凪『星の集う場所』

伊藤佐凪『星の集う場所』

あのソーセージに勝つ日まで


 わたしはこれまで名古屋以外の場所に住んだことがない。

 名古屋で生まれ名古屋で育ち、つい先日37歳の誕生日を迎えた。大学院生の頃にメキシコに1か月滞在していた時期を除き、36年11か月ほど名古屋で過ごしていることになる。

 だからといって名古屋が大好きで離れたくないというわけではない。皆さんはご存じないかもしれないが、名古屋という街はその独自性を無形文化遺産化するべく住民の出入りが厳しく制限されており、外へ出るには検問所の獄吏に人質を差し出さなければならない。期日までに戻らなければ人質は処刑されるという『走れメロス』におけるセリヌンティウスと同じシステムが敷かれている。

 メキシコに行った際に人質となってくれた友人は、わたしが帰ったときには「だぎゃあ……だぎゃあ……」と、か細い声を上げることしかできなくなっていた。こうした悲しみを繰り返さぬよう、わたしは今も名古屋暮らしに甘んじている。

 コロンビアの作家ガブリエル・ガルシア゠マルケスは代表作『百年の孤独』で架空の街マコンドの興亡を濃密に描き、ノーベル文学賞を受賞した。ならばわたしも名古屋の街を濃厚にネットリと(味噌カツのタレのように)描けば新人賞を獲れるだろうと目論んだ。そうして書いた最初の長編小説は、箸にも棒にもかからずあっさり落選した。

 わたしは反省した。小説家とは想像力を武器にする職業である。生まれ育った土地をただ書いただけで賞を獲ろうなんて虫が良すぎたのだ。
 ならば行ったことのない、限りなく遠い場所を書いてやろう。
 そう思ったときにわたしの脳裏に浮かんだのは、南極だった。

 ちょうどその頃、物理学の研究者となった大学の同期が素粒子観測のために南極点にあるアムンゼン・スコット基地に滞在していた。学生時代から彼はよく言っていた。

「どこでもいいから、とにかく遠くに行きたい」

 彼の言葉は、まだ名古屋を出たことがなかった大学生のわたしに、未だ見ぬ地への憧憬を植え付けた。その言葉通り彼は世界を飛び回る研究者となり、南極点にまで到達した。彼が行くまで、わたしは南極とはどんな場所なのか考えたこともなかった。

 世界の果て、南極。
 言うまでもなく、南極は過酷な環境である。内陸部ともなれば気温マイナス80度を下回ることさえある。だが、そこへ向かう人々は苦行としてではなく、むしろ心を躍らせ嬉々として剥き出しの自然に挑んでいる。

 南極はなぜ人々を駆り立てるのだろうか。わたしなりに想像を膨らませたのが『星の集う場所』という小説である。幸運にもわたしはこの作品で小説家としてデビューすることができた。本作を読んだ方々が南極について想いを馳せてくれることを願っている。

 ちなみにガルシア゠マルケスの『百年の孤独』は刊行されるや「ソーセージと同じくらいによく売れた」という。
 スーパーの加工肉コーナーにてテープで2個に束ねられた山積みの袋を眺め、打倒シャウエッセンを心に誓い、わたしはこれからも小説を書く。

  


伊藤佐凪(いとう・さなぎ)
1989年、愛知県名古屋市生まれ。名古屋大学大学院理学研究科修士課程修了。システムエンジニアとして働く傍ら、第1回『日本ドラフト文学賞』に本作(改題前「メテオライトの恋人たち」)を投稿し、デビューする。

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『星の集う場所』
著/伊藤佐凪

高橋尚子『野生の暗き岸辺』
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