採れたて本!【デビュー#44】

採れたて本!【デビュー#44】

 宇宙人が地球にやってくる話は、スピルバーグの『E.T.』はじめ、映画でも漫画でも小説でも昔から無数にある。私事ながら、ついきのう僕が翻訳を終えたコニー・ウィリスの最新長編『ロズウェル道中』(仮)では、タンブルウィード(西部劇によく出てくる回転草)そっくりの宇宙人が主人公をアブダクト(拉致)する。

 野沢きみ(1988年、青森県弘前市生まれ)の本書『宝石のこえ』も、そういう〝宇宙人もの〟のひとつ。第20回小説現代長編新人賞受賞作「ようこそ!ここはあなたのふるさとです」を改題・改稿した単行本だが、その帯には、『宇宙人に聞いてみる。/私の居場所がどこにあるのか。/「ふるさと」を探し求める、/痛みに満ちたメモワール』と記されている。

 もっとも、これだけだと、作中に本物の(?)宇宙人が出てくるのかどうかよくわからない。というわけで、実際に手にとって読みはじめてみると、語り手の〝私〟は、大学進学のために家を出て、東京(推定)でひとり暮らしをしながら〝宇宙人の店〟で働いている。防音の個室で〝お客さん〟の宇宙人と一対一で向かい合い、一定時間、声を聞かせる(朗読でも歌でも思い出話でもなんでもいい)。ある程度の時間(1分だったり30分だったりする)が過ぎると、お客さんは宝石のような透き通った石をどこからともなく出現させる。宝石が出たら手順に従ってそれをしまい、セッションは終了。次のお客さんを待つ。

 ──とまあ、宇宙人SFとしては相当に奇妙奇天烈な設定がたんたんと開示され、〝私〟はたんたんと日々の業務をこなしていく。奇妙な仕事という意味では、高山羽根子の芥川賞受賞作『首里の馬』で主人公が従事するトイ読者ヨミの仕事(オンラインの相手に一対一でクイズをリモート出題する)以来かもしれない。

〝宇宙人の店〟の説明だけとりだすと、故郷を捨てて上京した主人公が生活費を稼ぐために風俗でアルバイトする話のメタファーかと思われそうだが、本書は(すくなくとも外形的には)寓話でも不条理小説でもなく、こういう仕事が成立している理由は(納得できるかどうかはともかく)律儀に説明される。本文から抜粋してみよう。

 私が中学二年生のころ、地球に宇宙人がやってきた。(中略)
 現在では、宇宙人の星では言語はすたれ、イメージの直接的なやりとりによるコミュニケーションが行われている。(中略)
 宇宙人たちは、進化の過程で人間でいう声帯の部分が退化し、聴覚は残ったままになっていた。彼らの耳、あるいは脳には、人間の、特に女性の声は甘美で心地よく響く。個体差はあるが、ある一定のラインを超えた瞬間に、彼らは宝石を放出する。

 しかし、SF的な背景説明があるとはいえ、本書はSFのように語られるわけではない。宇宙人がどこからどうやって地球にやってきて、いまどこに滞在しているのか、宝石とはなんなのか、語られないことは無数にある。〝私〟は〝宇宙人奨学金制度〟の審査にパスし、給料のほかに予備校や大学の学費、生活費の補助まで受けつつ、多くの宇宙人と直接対面できる特権的な立場にあるが(奨学金を得られるほどこの仕事に適性があるのは数百人に一人らしい)、大方のファーストコンタクト小説と違って、〝私〟と宇宙人の間にコミュケーションはほぼ成立しない。作中では、宇宙人の謎に深入りするかわりに、〝私〟と関係の深かった人々との思い出を中心に〝私〟の過去がこれまたたんたんと語られ、〝私〟という人間がどのようにかたちづくられたかがすこしずつ明らかになってくる。

 小説は、山川出版社の世界史の教科書(『詳説世界史 改訂版』)の一節を主人公が朗読している場面から始まるのだが、〝私〟はそのページにある「オアシスの道をいく隊商」とキャプションのついた写真に目を留め、ラクダの背に揺られて砂漠を行く人々に思いを馳せる。

 幸運にも、宇宙人のおかげで、〝私〟は18歳まで暮らした「品性のかけらもない、クソみたいな街」を捨てて都会に出て、何不自由なく生活できるようになった。第一志望の大学に合格し、すばらしい恋人も得た。物質的には申し分なく恵まれているように見える。それでも〝私〟は、ほんとうの居場所を見つけることができない。〝私〟のふるさとはいったいどこにあるのか?

 あまりにも切なく美しい結末を読み終えて思い出したのは、(小説のタイプはまったく違うものの)鈴木いづみのSF短編群だった。ここは私のいる場所ではない。私にはどこかに帰る場所があるのではないかという、うずくような思い。

 よるべなさを抱えるすべての読者の心にまっすぐ突き刺さる、痛切すぎる小説だ。

宝石のこえ
『宝石のこえ』

野沢きみ
講談社

評者=大森 望 

萩原ゆか「よう、サボロー」第167回
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