睦月準也『月下の盤』◆熱血新刊インタビュー◆
善きものを提示する

出発点は、作家の脳裏にふと思い浮かんだワンワードだった。「居どころのわかっている人探し」。
元刑事の私立探偵である「私」が、ウェブ会議システムを通じて素性の知れない依頼人から、人探しを頼まれる場面から物語は始まる。ゴウダトオル。わかっているのはその名前だけで、依頼人自身も会ったことがなければ本人の姿かたちを示唆する情報すらもなかったが、「見つけてほしい人物の居場所はわかっている」。都心にある老舗の高級ホテル・東亜ホテルに、客として滞在しているのだと依頼人は言う。そのホテルは、4日後の10月6日いっぱいで閉館する。閉館までに見つけられなければ、居どころすらわからなくなる。「私」はゴウダトオルを見つけ出すことができるのか?
この魅力的な謎の答えは、作家自身も当初持ってはいなかった。
「ゴウダトオルが誰なのかも、本当に存在するのかもわからなかった。僕自身、主人公と全く同じ立場だったんです」
もともと、全く違う話を書く予定だったという。
「東アジア反日武装戦線のメンバーで、連続企業爆破事件の被疑者として指名手配を受けていた桐島聡さんが、偽名で入院中に〝最期は本名で迎えたい〟と言って自分の素性を明かした。そのニュースに揺さぶられるものがあり、桐島さんをモデルにした話が書きたいと思っていました。そこでまずプロット、お話の設計図のようなものを作ってみたんです。新人は編集者さんから許可をもらわなければ書いてはいけないんじゃないか、と勝手に想像して、人生で初めて作ったプロットでした。それ自体は編集さんからゴーサインをもらったんですが、おおまかな話の展開を把握してしまっている状態が気持ち悪くて、書きたい気持ちが薄れていってしまった。どうしようかなと思っている時に、このお話の出発点となったワンワードが浮かんで方向転換したんです。編集者さんには冒頭部分の原稿だけを送って、〝この先の展開は全く決まっていないんですが、書かせてもらえませんか?〟と伝えました」
実際に書き進めてみなければ、ゴウダトオルの正体はわからない。だから、書きたい。
「デビュー作の『マリアを運べ』も、未成年の女の子の運び屋というイメージが浮かんだことをきっかけに書き始めたもので、 彼女が運んでいるものの正体はわからなかった。わかってから、 〝マリア〟というキーワードが生まれたんです。先が知りたい、思い付いた謎の答えを知りたい、という気持ちが 小説を書き進めるモチベーションの一つなんだと思います」
一人称に変えた途端、物語がドライブし始めた
依頼を受けた「私」は即座に東亜ホテルへと足を運び、閉館日までの宿泊の手続きをする。そして、フロント係に始まり、ホテルに入っているさまざまな店で働く人々に、ゴウダトオルを知らないかと問いを投げかける。全てが空振りに終わったかと思われたところで、滞在している部屋の内線電話機のベルが鳴る。「──あなたが探している人物について、連絡した」。十七時半に、その男の部屋で会う約束を取り付けたが、時間通りに部屋へ赴くと四十歳前後と思しき男が刺殺されて横たわっていた。「私」は図らずも死体の第一発見者となってしまい……と、物語は序盤から活発に動いていく。
「殺人事件が起きるだろうなという予感は、ホテルに主人公が初めて訪れた場面を書いた時からありました。そのきっかけが1本の電話だったというのは、これまで読んできたハードボイルド小説の記憶が作用していると思います。電話がかかってくることで主人公の運命がガラッと変わる、というモチーフが僕自身好きなんです」
ハードボイルド小説の王道と言える一人称視点が、物語とマッチしている。
「ホテルという閉鎖空間で緊迫感を出すには、視野は狭く固定されていたほうがよかったのかもしれません。正直なところ、ハードボイルド小説の代名詞である〝私立探偵の一人称〟には手を出すべきではないなと思っていたんですよね。日本を舞台に、私立探偵という存在(職業)をリアルなキャラクターとして成立させるのは難しいと感じていて、少なくとも筆力がまだついていない新人が手を出していいものではないな、と。最初は三人称で書き始めたんですが、途中でしっくりこなくなったんです。一人称に変えた途端、物語がドライブし始めた。その時に、これは一人称で書かれるべき物語なんだと腹を括りました」
作家自身、「私」の五感にシンクロしながら書き進めていったそうだ。「私」が右を見ることで初めて右側にあるものを認識し、「私」が他者に投げかけた問いの答えを通して、ゴウダトオルがいかに正体不明な存在であるか、ホテルの殺人事件がいかに謎に満ちているのかを知る。「私」のセリフも含め登場人物たちの会話は、意図して書いた感覚はほとんどないと言う。
「登場人物たちが勝手に喋っているので、僕はそれを書き起こしているだけなんです。セリフを聞いて、僕も初めて知ることがたくさんあるんですよ。そこで新たに知った情報に合わせて、過去に遡って事実関係を編集する。作者は物語のスクリプターであり、エディターなんです」
王道ハードボイルドを超え、読者へ「善きもの」を届ける
物語は序盤こそハードボイルド小説の王道を突き進むのだが、ホテルで起きた殺人事件の詳細が明らかになるにつれて、別のジャンルの匂いが濃厚に漂い始める。実は本作、「○○○○トリック」を核に据えた本格ミステリーでもあるのだ。
「殺人事件について考えていくうちにトリックと呼ばざるを得ないものが必要になってきて、急遽こしらえました。トリック、というワード自体がハードボイルドの香りを失わせるものだと思うんですよね。そう思うのと同時に、ハードボイルドと呼ばれるジャンルの作品に、自分はどこか物足りなさを感じていたような気もするんです。その物足りなさを解消する手段が、今回であれば本格ミステリーの趣向を取り入れることだった」
ゴウダトオルの謎と殺人事件の謎が絡み合ううちに、歴史の扉が開かれ、「私」はある一族の秘密に触れることとなる。物語の骨格の大きさも、本作の魅力だ。
「100年続いてきた老舗のホテルを舞台にするとなった時点で、何らかの形で物語に歴史が関わってくるんだろうなとは感じていました。その意識が頭の片隅にあったからだと思うんですが、ホテルの歴史と関わる小道具が突然、登場人物たちの前に現れたんです。出てきたからには、その小道具が謎なり事件なりと関わっているはず。そうやって探っていくうちに、物語の全体像が見えてきました」
クライマックスで、「私」が長広舌を振るう場面が印象に残った。苛立たせることで相手の口を滑らせる、という「私」の回りくどい喋り方は、言葉の攻撃力を最大化するための手段でもあったのだ。この語り口は、クライマックスの場面にリアリティを与えるために選ばれたのではないか、と想像するほどだ。
「あの場面は、ああいう順番で言葉なり真実を突きつける方が読み手にとっては心地いいだろう、という感覚から生まれたものだと思います。もしも『私』というキャラクターの語り口のおかげで〝演出〟的な要素が裏に隠れたというか、違和感なく受け止めてもらえたのだとしたら、それは良かったですね」
本作の完成にはさまざまな偶然や幸運が味方したと言うが、全ては作家の中に「書きたい」という強烈な思いがあればこそだ。「書きたい」の中には、「届けたい」という思いも宿っている。
「書き上げた時に、他の人がこの小説をどう受け止めるのかわかりませんでした。ただ、人に届けたいと思う物語はできたという感覚はあったんです。小説を通して、善きものを提示したいなと思っています。それを読者さんの胸にちゃんと届けるためには、物語として面白いものである必要がある。これからも、自分はそういう気持ちで小説を書き続けていくのかもしれないと思うんです」
睦月準也(むつき・じゅんや)
1984年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2024年、『マリアを運べ』で第14回アガサ・クリスティー賞大賞を受賞し、同作で作家デビュー。

