ワクサカソウヘイ『ぼくたちはイカを知って大人になる』

だから私はハイエナに噛まれたい
カバと添い寝したい。
ヒグマにばったり遭遇してみたい。
ヘラジカの巨大さに圧倒されたい。
そして自分という生き物の正体を知りたい。
生き物たちと相対することでしか叶えられない衝動を携えて、私はいつも旅に出る。ジャングルで、サバンナで、大海原で、野生の彼らとの密会を追い求めている。
そういった探索の記録を綴ったのが、このたび上梓した『ぼくたちはイカを知って大人になる』である。
アイアイという生き物がいる。古くから童謡で歌われているので、その存在を知っている人は多いだろう。おめめがまるくて、しっぽがながくて、みなみのしまにすんでいる、おさるさんだ。
あのアイアイ、実際に会ってみると、イメージが一気に覆る。
まず、彼らは夜行性である。夜の森の中を、ガサガサと不穏な感じで徘徊しているのだ。あの童謡からは、太陽の下で愉快に踊っている姿しか思い浮かばなかったのに。
確かにおめめはまるいのだが、結膜は黄色く濁り、そして瞬きを忘れたかのように見開かれている。確かにしっぽはながいのだが、毛は棘のように逆立ち、そして先端は何かを探るようにして不気味に揺れている。
禍々しい鉤爪、不吉な口元、化け物じみた巨大な耳。月の光によって闇から本当の姿を現したアイアイは、非常に凶悪な印象を纏っているのである。みなみのしまである現地では「悪魔」とストレートな別称で呼ばれているらしい。
よく考えたら、あの童謡の歌詞において、「かわいい」という言及はどこにもなかった。アイアイの生き物としての特徴をただ並べているだけだった。叙述トリックかよ。
そう、アイアイはかなり怖いし、ナマケモノはわりとよく動くし、カメレオンは体色を変化させるまで意外と時間がかかるし、ハゲタカという名の鳥はこの世に1羽たりとも実在しない。この世界は不確かなもので溢れており、そしてこの不確かな世界の中に生きる私もまた、ひどく不確かな存在である。
では、確かなものなど、ひとつもないのか。
いや、ある。
それは、衝動だ。
たとえば私はいま、野生のハイエナに噛まれてみたいなあ、と思っている。これは衝動なのだから、理由はない。理由とは言い訳の類語であり、そして言い訳の必要がないものだけが「本当」だ。私はただ、ハイエナに噛まれたいと願っている。噛まれたいと願っている確かな「本当」だけがあるのだ。
その衝動の当事者として、アフリカ大陸へと旅立ち、ハイエナを探す。
その時、この世界の裏側にエントリーできたような感覚を味わう。不確かであったはずの景色が鮮明となり、そしてそこに漠然と存在しているだけだったはずの自分の姿にありありとした輪郭が現れる。
しかし、それは瞬間的な事象であり、ハイエナに噛まれようと無視されようと、やがて衝動は消え失せ、世界はまた不確かで不鮮明なものになる。自分の姿はおぼろげなものへと戻っていく。
だから私は、今日も次の衝動に従って、探索に出かける。確かなカバを、確かなヒグマを、確かなヘラジカを、そして確かな自分を求めに行く。
おめめがそれなりにまるくて、しっぽはすぼんでいて、ちいさなひがしのしまにぼんやりとすんでいる。
そういう生き物だったはずの私は、月の光ではなく衝動によってのみ、本当の姿を現すのである。
ワクサカソウヘイ
文筆家。1983年東京都生まれ。主な著書に『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫)、『男だけど、』(幻冬舎)、『ふざける力』(コア新書)、『出セイカツ記 衣食住という不安からの逃避行』(河出書房新社)など。また制作業や構成作家として多くの舞台やコントライブ、イベントにも携わる。


