「推してけ! 推してけ!」第4回 ◆『9月9日9時9分』(一木けい・著)
評者・浅野智哉
(ライター・著述家)
南国の果実のように鮮やかな飛躍
何人もの実力派を輩出してきた新人賞『女による女のためのR─18文学賞』で、近年最高の収穫作家と呼べるのが、一木けいだ。
2016年、読者賞となったデビュー作を収録した『1ミリの後悔もない、はずがない』が、アーティストの椎名林檎から絶賛され、1作目にして話題をさらった。続けて発表した『愛を知らない』『全部ゆるせたらいいのに』なども高い評価を集めた。
心を裂かれるような辛い境遇の女性の心情をすくいとる、繊細な筆致で若い女性ファンが増加している。デビューからわずか数年で、読書好きの間では、次回作が最も楽しみに待たれる作家のひとりとなった。
そんな一木が最新作『9月9日9時9分』を発表する。これまでの作品のなかでは最長の長編になると思われる、タイと日本を行き来する10代の少女の恋愛小説だ。
主人公の漣は、タイからの帰国子女の高校1年生。電車通学で不愉快な痴漢に遭うなど、日本の生活に馴染めず、タイでの暮らしを懐かしんでいた。家では、夫のDVで離婚した、姉のまどかと同居。以前の姉とは様子が変わり、元気で明るかったのに、いまは前髪を下ろして、口数も減った。また強迫観念にかられたように、漣のことを気にかけるようになって、戸惑っている。もやもやする漣に突如、変化が訪れる。同じ高校の先輩、朋温と初めて会った瞬間、恋に落ちたのだ。
朋温が痴漢の現場にいた漣を助けてくれたことから、ふたりは急接近する。だが朋温は、なぜか積極的ではない。朋温は、まどかが離婚した元夫・修一の弟だった。
どちらの家族からも、賛成されるはずのない恋。それでも漣と朋温はお互いの思いを止めることができず、離れがたい存在となる。
周囲に隠した交際を続けるなか、恐れていた事態が起こる。花火大会でふたり一緒にいるところを、姉のまどかに見つかってしまったのだ。当然のように、まどかは漣と朋温の交際を絶対に認めず、両親も反対。漣は、家族に嘘をついていた罪悪感もあってか、自ら別れを決断する。
きらきらした10代の恋模様から一転して、家族がそれぞれに受けた深い傷が明かされていく中盤以降の展開は、あまりに切ない。まどかの心身の痛みは想像を絶するもので、そんな姉を漣は理解しようと努めるが、溝は簡単には埋まらない。
好きな人を、好きでいたいだけなのに、それが家族の傷を、よりえぐってしまう。加えて漣は友だちからの指摘で気づいた、自分の偽善性にも打ちのめされる。
初恋に落ちた女子高生には、過酷すぎるほどの試練が続くが、懐かしきタイへ旅行で戻ったとき、現地で起きたことを起点に、漣はある決意をする。
正しい答えはない。けれど、答えを出そうと、もがく。誰の手も借りないで、失ったものの再生を試みようとする漣の姿には、南国の果実の生命力が宿ったかのようだ。好きな人への思慕にのたうつ少女のエモーションを、細密にとらえた描写力には目を見張る。
著者の一木は、かつてインタビューで「語りすぎるのは読者に委ねていないということだ」「書きすぎると、逆に読者に伝えたいものが、削り落とされてしまう」と語った。だが本作では、少女の心のわずかな揺れや、ミリ単位のひび割れさえも、とらえて言葉にしようという作家の意欲が感じられる。書けるところまで書き掘り、その果てに、言葉では表現できない感情を行間から立ち上げるという、大変な技術を習得したように思える。
学校の文化祭のシーンで、漣の友だちは言った。「諦めて投げ出したら何も変わらない。やれるだけのことをやって、進んで行くしかないんだよ」と。その言葉に、漣のやりぬいた挑戦が集約されている。朋温との関係に、どんな帰結が訪れたか、たしかめてほしい。さまざまな解釈ができそうな魅力的なラストには、初恋の果実を素手でもいで、一生残るかもしれない苦みを受け入れた、少女のたしかな成長があらわれている。
一木は本作で、著作が4作目となる。だが成熟ぶりは、すでに10冊以上の長篇を経てきたかのようだ。新作が刊行されるたびに進化する作家は何人もいるが、4作目でこの域に到達できた作家は、かなり希少ではないか。
注目女性作家の、現時点での代表作と呼ぶのに、躊躇いはない。さらなる評価上昇を確信する秀作だ。
【好評発売中】
『9月9日9時9分』
著/一木けい
浅野智哉(あさの・ともや)
ライター・著述家。カルチャー、文芸誌等でインタビューを手がける。構成に渋澤健『SDGs投資』堀江貴文『将来の夢なんか、いま叶えろ。』『それでも君はどこにでも行ける』ほか。
〈「STORY BOX」2021年3月号掲載〉