『9月9日9時9分』刊行記念対談 一木けい × 三浦しをん
〝エモい〟作家の過剰な情熱
鮮烈なデビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』以来、恋愛や家族にまつわる苦しみを真正面から描き、女性読者の共感を集めている一木けいさん。最新作『9月9日9時9分』は、10代の男女が許されない恋に向き合う、日本とタイを舞台にした恋愛小説です。刊行を記念して、直木賞作家・三浦しをんさんとの対談が行われました。おふたりは、『女による女のためのR–18文学賞』で、三浦さんがデビュー前だった一木さんの応募作を激賞されて以来の関係。そんなおふたりが、今回の新作について、たっぷりと語り合いました。
過去作にはない、明るい女の子の物語
三浦
一木さんの新作『9月9日9時9分』を拝読しました。本当に素晴らしい小説だと思いました。
一木
嬉しいです。ありがとうございます。長い小説で、すみません。
三浦
ぜんぜん長さを感じず、ぐいぐい読みました。一木さんはデビュー以来、愛と暴力の境目とか、愛がはらんでいる暴力とか、人間関係のリアルな部分をお書きになっていると思っています。そういう痛みを伴ったものが、今回の小説では若い人たちのきらめきを通して、届けられています。愛に潜んでいる暴力性を、どのように克服していけばいいのか。きらきらした恋愛とともに繊細に描かれていて、胸を打たれました。
あとタイの食べ物や、街の情景がとっても良かった。登場人物たちと一緒にタイを旅しているような、臨場感も味わえます。すごい小説を書き上げられたと感動しました。
一木
ありがとうございます。三浦さんのお言葉に、たいへん励まされます。この小説は、私にとってはゲラを読むのも苦しい作品でした。主人公の漣は、基本的に性格の明るい女の子です。でも、何を言いたい子なんだろう? と途中でわからなくなって、ずっと模索していました。
他社では最近、あまりにも暗い小説ばかり描いていました。今回は明るい女の子の物語で、たまには自分も楽しくなりたかったのですが、結局楽しむどころではありませんでした。執筆は終始、難しかったです。
三浦
漣ちゃんはとても明るい女の子ですが、無神経な明るさじゃないのが、本当にいいなと思いました。彼女や周りの人たちが遭う状況は、深刻だったり、容易に解決法が見いだせないことばかりですが、漣ちゃんは逃げようとしないで、まっすぐ向き合っています。そういう女の子の真摯な姿に、読者は深く入っていけるだろうし、現実の家族や友だちへの想像力も立ち上がると思う。人とつながることの厳しさと、恋のきらめきが、一緒に詰まっています。いろんな意味で、開けた小説だなと感じました。
一木
ああ、書いて良かったです。
三浦
一木さんの小説は、登場人物が本当に魅力的ですね。特に、漣ちゃんが恋に落ちる朋温くんは、とってもいい! 絶妙な色気があって、何度もきゅんとさせられました。
一木
朋温の部分も、かなり悩みました。朋温が漣に惹かれたのは、どうしてかなと。現実は単純にフィーリングだったりするのかもしれないですけれど、やはりこの作品では納得のいく理由を描かないといけないと思って、書いては削ったり足し直したり、正解を探しました。小説ではいつも、どこまで書くか、書かないかというので悩みます。あまり書かないでいると、大切なことを書き逃してしまったり。自分のなかでバランスを取るのに、本当に苦労しました。
ゲラを直す作業中に悩みすぎて、三浦さんの『マナーはいらない 小説の書きかた講座』を読ませていただきました。三浦さんとお話しさせていただいているみたいな気持ちになれて、落ち着きました。執筆の精神安定剤になった本です。
『マナーはいらない~』には「自信を持ってください」「情熱と客観性を持って書いた文章なら必ず読者の心に届く」と書かれていますが、本当にそのとおり。私は情熱はあると思うんですけど、客観性が足りないので、いつも苦労します。三浦さんの言葉には、とても助けられました。
三浦
そんな、大丈夫ですよ。一木さんは、ちゃんと客観性あると思います。
一木
まだまだ足りません。書いている物語といかに距離を取るのか、私の大きな課題なんです。三浦さんは『愛なき世界』など、バランスが素晴らしい。お手本というか、三浦さんの小説を指針のひとつにして、悩みながら今回も書き上げました。
10代の疾走感や情熱が損なわれていない
── 一木さんは改稿の段階で、三浦さんから直接、アドバイスを受けられたそうですね。
一木
はい。編集者から「三浦しをんさんに読んでいただけることになった」と伺ったとき、厚顔無恥の極みで、気になるところをご指摘いただけませんかと、頼みこませていただきました。
三浦
アドバイスなんていうほど、大層なことはしてないですよー。
一木
いえ、本当に困っていたんです。もうゲラになる段階だったのに、何もかも頭のなかがとっちらかってしまって、作業が前に進まなくなっていました。本来三浦さんに読んでいただけるような原稿が整理された段階でもなく、相当失礼だったと思います。結局そこから何度も改稿しました。
三浦
私が拝読することで一木さんのお気持ちが楽になるなら、いつでもご指名ください(笑)。
一木
本当にありがたかったです。私は『女による女のためのR-18文学賞』で、三浦さんにかけていただいたお言葉が、常に胸に残っています。図々しいのは承知でしたが、勇気を出して、お願いして良かったです。
三浦
一木さんはご自分に厳しすぎるんだと思います。小説家として、悪いことではありませんけれどね。最初に読ませていただいた原稿も、おっしゃるほどとっちらかってなどいなくて、すでに「なんていい小説だろう!」と感じながら、読みました。
一木
アドバイスをいただいた後に、構成で行き詰まっていた部分がだいぶ解消されて、なんとか完成版にまとまりました。
三浦
よりテンポ感とバランスが整った印象を受けました。最初の原稿よりも、さらに整合性は取れているんだけど、こぢんまりすることはなく、作品にこもった10代のきらめきとか疾走感とか、熱い温度は、まったく損なわれていないばかりか、よりブーストがかかっていて、すごいです。
例えば漣ちゃんが「もし朋温だけしか使っていない言葉があったら、どんな難解な言語だったとしても絶対に習得する」みたいなことを言う場面があります。ああいうのは、最高にときめきますね。恋心の本質を突いている感じ。もうキャー! となって、超高ぶってしまいました。恋に落ちた女の子の心理描写は生々しいのに、全体のバランスが取れている。
一木さんのお陰で、小説が研ぎ澄まされていく過程に触れることができました。私の方こそ、勉強できちゃったような、得した気分でいます。
一木
もったいないお言葉です。頑張った甲斐があります。
ドロドロしない女の友情
一木
登場人物の何人かは、人物像をとらえるのに手こずりました。なかでも漣の友だちの曜子は、難しかったです。この子は、何を考えているんだろう? どういう思いでいるんだろう? 書き進めても、なかなかつかめず。大いに悩まされた女の子でした。
だけど、執筆中のあるとき、彼女が夢に出てきたんです。
三浦
へえ! 自作の小説の登場人物を夢に見るなんて、私は一度もないかも。
一木
私も初めてで、驚きました。
三浦
どんな話をしたか、覚えてます?
一木
シチュエーションとしては、私が年の離れた親戚で、曜子が何気ない学校の出来事なんかを、話してくれているんです。聞きながら、そうか、曜子はこういう日常を送って、漣をこんな風に見ているんだ、と。私の頭のなかの出来事のはずなのに、初めて聞かされたような気持ちでした。そこから曜子を書くのが、一気に進んでいきました。
三浦
すごい経験ですね。一木さんが、曜子ちゃんを「架空の人物」としてではなく尊重し、その言葉に耳を傾けて書こうとなさったことが伝わってきます。
『9月9日9時9分』には曜子ちゃんはもちろん、米陀さんなど、実際に存在しているみたいに生き生きとした女の子が、たくさん出てきます。ベースは恋愛小説なんだけど、女子同士の友情が、とてもうまく表現されていますよね。お互いを肯定するだけではないし、厳しい一面もある。でも、辛いときに大事な言葉をくれたり、心のいちばん深いところを理解してくれていたりする。私自身が経験してきた女の子の友情の距離感は、まさにこれ! と思いました。そこも、私の好きなところです。
一木
女子同士は、実際はいちど仲良くなったら、ドロドロしたケンカってないですよね。
三浦
そうそう。小説を読んでいると、表向きは親しくしているのに陰では悪口ばかりだったりとか、こっそり足を引っ張っていたりするような女性たちの姿が、たまに描かれていますよね。女の友情のリアルとか言われますが、私は正直、どこの星の女子たちだよ? と思っていました。
一木
まず、ないですよね。
三浦
ない。足を引っ張るほど嫌いだったら、そもそも近づかないし、交流しないでしょう。
一木
わかります。そっと離れる。
三浦
別に、ドロドロした関係を描くのがダメというわけではないのですが、女子の歪んだ友情の話を読むと、どんな心の砂漠で生きてきたの? と、問いかけたくなります。そういう意味でも、一木さんの描かれる女の子たちの友情は、私の実感に沿っていたし、大多数の女性読者にも受け入れられると思います。
一木
そうだと嬉しいです。
三浦
友だちだからこその照れや素っ気ない態度も、相手を思いやる気持ちも、きらめいている。彼女たちの日常の会話を、ずっと読んでいたくなりました。
例えば、米陀さんは日曜日のタイフェスに誘っても、つれない対応ですよね。興味ないのかと思ったら、「私は土曜に行く」って、あえて別の曜日に行っちゃう。なんでそこはツンなの!? と、笑いながら身もだえしてしまいました。
一木
漣たち女子のポジティブな空気感は、損なわないよう努めました。どうしても暗いテーマを扱うので、漣の持っている明るさは残しておきたかったです。
〝エモい〟としか言いようのない情熱
── 朋温との情熱的な恋をきっかけに、漣はある行動を取ります。この結末を一木さんは、最初から想定されていたのですか?
一木
漣ぐらいの女の子が本当にやれるのかどうかはわかりませんが、いろんな経験を乗り越えた彼女なら、きっとできると信じました。これしか選択肢がなかったというより、彼女だったら、こうするに違いないと。彼女の悩んだことや考えてきたことが、ぎゅっと結実したラストを描けたと思います。
三浦
余韻があって、読んだ人によって解釈が分かれるかもしれません。けれど希望というか、その先の展望が、たしかに感じられます。読者の想像する余地も残してくれた、とても素敵な結末ですね。
一木
どんな形であれ、希望は見える終わりにしたいと思っていました。その後の彼女の人生は、読者の方に想像してもらえたらいいですね。
── 何が正しくて、何が間違っているのか。正解を追い求めすぎるのは、決していいことではないのだと、あらためて気づかされる深い小説です。
三浦
本当にそうですね。10代だと、良いことと悪いことをはっきりさせたい潔癖さが、まだ強いですよね。でも、その潔癖さは、ときに他人を追い詰め、自分をも追い詰めることがあると思うんです。その苦境を、いかに乗り越えていくのか。善悪だけじゃない価値基準を、どうやって築いていくのか。本作では漣ちゃんの心の動きと、実際の行動を通して、誠実に描かれています。
自分の過去の過ちに落ちこんだり、理想と現実に揺さぶられたりしながら、なんとか前に進んでいこうともがいている。それは現実に生きている私たちの生々しさと重なります。だから、胸を打たれるんです。
一木
過去の失敗については私自身、まだ傷の生々しいものが、いっぱいあります。今回は、その生々しさをそのまま飾らずに描きました。
三浦
小説としての体裁を整えようなどという小手先の技とは次元の異なる、強いエモーションが全体に、みなぎっています。もちろん一木さんの技巧がなかったら、ここまでの完成度にはならないですが、技巧でどうこうしようという発想ではないですよね。〝エモい〟としか言いようのない、いい意味での歪さが、この作品の魅力になっています。
小説家の持ち味って結局、技術云々からは生じないんだなと思いました。書き手が文章にこめた過剰なまでの情熱とか匂いが、面白さを生み出し、読者の心をとらえるのだと。そういういい意味での過剰さが、「作家性」と言われるものなのかもしれない。『9月9日9時9分』は、一木さんでなければ描けなかった小説です。
一木
ありがとうございます。執筆中は、情熱や歪さが出過ぎて、ずっと空回りしている気持ちでした。三浦さんに過去にいただいた講評や、ご著書を何度も読み返して、空回りしない方向性を、試行錯誤しました。
行き着いたのは、「どうやったら伝わるのか?」ということ。読者の方へ届けることを、最も意識して、必死に書いてきました。うまく伝わったでしょうか?
三浦
伝わってきました。読み終えたあとも、ずっと残響に耳を澄ましています。
一木けい(いちき・けい)
1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年『西国疾走少女』で第15回『女による女のためのR-18文学賞』読者賞を受賞。同作を収録した『1ミリの後悔もない、はずがない』は椎名林檎など各界から絶賛される。他の著書に『愛を知らない』『全部ゆるせたらいいのに』など。バンコク在住。
三浦しをん(みうら・しをん)
1976年東京都生まれ。早稲田大学卒。2000年『格闘する者に○』でデビュー。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞を受賞。ほかの著書に『あの家に暮らす四人の女』『ののはな通信』『愛なき世界』ほか。エッセイ集では『のっけから失礼します』『マナーはいらない 小説の書きかた講座』など。
(構成/浅野智哉 撮影/浅野 剛)
〈「WEBきらら」4月号掲載〉